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45年後の『土曜日の雨』

毎朝、起きる直前に見る夢(半覚醒状態)が毎回無茶苦茶で気持ち悪い。
夢というよりは、こんなことやあんなことをやってみたらどうか……というアイデアで頭が埋まったまま起きることもある。でも、起きて時間が経つにつれ、「そんなことしても、どうせ……」となって、行動には移さない。

バカラックと唖蝉坊の回で書いたが、「唖然某」のアイデア自体は20年くらい前から持ち続けていたが、実行には移さなかった。それを、「どうせもう長くはないから」ターンに入っている今、重い腰を上げてやってみたけれど……というのが前回の話。
同時に、バカラック的なことを追求するのであれば、作った時期に関係なく、いいと思うメロディを残しておく行動をするのは多少なりとも意味があるのではないか、という気持ちがあり、45年前に作った『土曜日の雨』という曲を書き直して録音してみた。

これは大学2年のときにつき合っていた1学年上の子と別れたことを歌った失恋の歌というか、恨み節みたいな曲だった。
1976年の「アンガジェ」(当時のバンド)解散コンサートの最後に歌った録音が残っている。⇒これ

この曲。始まりの部分が4度のコードから始まっているのがちょっとユニークだし、メロディも個性的だと思うのだが、なにせ恨み節的な歌詞がひどい。

先日、朝起きるときにこの曲を作るきっかけとなった恋人の名前をすっかり忘れていることにショックを受けた。
起きて数分後、下の名前は思い出した。「昭子」だ。
当時、何人もの「アキコ」ちゃんが回りにいたのだが、彼女だけが昭和の「昭」と書くのを思い出して、そこからようやく「あ、アキコちゃんだ」とたどり着いた。
でも、姓が思い出せない。これは思い出すのに1日くらいかかった。

その程度の「想い出」なのだよなあ、45年経った今となっては。

何人もいたアキコちゃんたちは、みんな、四ッ谷のキャンパスの中でキラキラと輝いていた。今もどこかで、それぞれに幸せな人生を送っているだろうか……。

メロディを生かして、歌詞を全面的に書き換える作業……どこまで頑張れるかなあ……と思いつつ、なんとか仕上げたのが⇒これ

土曜日の雨サムネイル2

これは恋の歌ではなく、友への感謝と懺悔の気持ちを込めて書いたのだが、読む人によって失恋の歌にもなるような普遍性というか、曖昧さを意識して書いた。

若書きのときのほうが伝わる力は強いんだろうけど、まあ、いいでしょ。

テンキチのベースがおさえめな中にも品があっていい感じだし、間奏の混沌が短時間でス~ッと昇華していく感じも気に入っているので、自分的にはOK。
妻に「ベースがシブイだろ」と言ってみたけど、「え? 私、楽器のことは分からないから……」だと。
ああ、伝えることの難しさよ。

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こんなご時世ですが、残りの人生、やれる限り何か意味のあることを残したいと思って執筆・創作活動を続けています。応援していただければこの上ない喜びです。