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生き抜くための雑考2021

「国」という概念を捨ててみる

コロナコロナで明け暮れた2020年だったが、ほとほと疲れ果て、今さらながら思うのだ。
テレビでもネットでも、これから日本がどうなるとか、アメリカがどう動けば中国がどうだ、とか、そんな話ばかりだけれど、「国」って、なんかもう関係ないというか、「国」を基準にしていちいち問題を論じるのは虚しい。

今の日本やアメリカや中国の状態をどれだけ分析しようが、世の中は変わらない。なるようになる。
世の中のもろもろに対して腹を立てても、文句を言っても、正論を訴えても、それで何かが変わるわけではない。
世の中を形作り、動かしているのは、自分以外の「人々」なのだから。
世の中がとことんひどいことになって、ようやく「人々」の行動が少し変わる。そうしたことの繰り返しで世の中は動いている。今に始まったことではない。

であれば、あと何年残されているのか分からない自分の人生をどう過ごせるか、が自分にとっての問題なのであって、世の中が変わればどうのではなく、今の状況下で自分がやれることをやるしかない。
この「やれることをやるしかない」というのは、別に倫理社会の教科書のような偉そうなことを言っているわけではない。「それしかできない」という意味での「やれること」である。
金を使わなくても不幸を感じないように工夫する、絶望して鬱にならないようにする、できる限り危険因子を避けて生活する、なるべく他人を不快にさせないようにする(私がそう思って努力すればするほど、それをますます不快に思う人はいるのだろうが)、……その程度の「やれること」だ。

その意味において、「国」という範疇は、もはや関係がない。
今の日本は本当にじり貧で、情けないけれど、それも含めて「国」という概念を捨ててものを考え、行動していくしかない。
自分がアメリカに生まれてアメリカで育っていても、中国に生まれて中国で育っていても、結局は同じことしかできないだろう。
自分はたまたま日本という地域にこの時代に生まれて生きている。「国」がどうのこうのではなく、自分を取り巻く環境(従わなければいけない法律とか、周囲の人々の性癖や思考・行動パターンとか、金銭的、物理的な条件とか)とどう折り合いをつけていくか、なのだろうな。
今のところ、空から爆弾が降ってきたり、特高に引っ立てられて拷問されたり、特攻機に乗せられたりすることはないのだから、なんと幸運な人生だろうと感謝するしかない。


文系の量子論

そうした諦めにも似た結論を受け入れた上で、煩悩が消えない私はさらに思いをトンデモ空間?に飛ばしてみる。
こんなにくだらない世の中が「世界」のすべてであるはずがない……と。
何か違う世界が必ずあるはずだ、と。
その「別の世界」は、おそらく今の自分の肉体(脳)が知覚している物理世界とは次元が違う世界だろう。
その別の次元の世界と自分の脳は、ほとんど関係がなく、結ばれていないかもしれない。だから、自分の肉体(脳)の消滅と同時に、こんな駄文をウダウダ書いている自分は消滅するのだが、もしかすると、今の自分の脳が理解できない、把握できない何かが、その「別の世界」に飛び込んでいき、「別の何か」が始まる、あるいは「一旦元に戻る」のかもしれない。

アインシュタインも理解しえなかった量子の振る舞い……私立文系馬鹿クラスの自分には到底理解できないけれど、理解できないがゆえに、もやもやっと「感じる」ことはできるかもしれない。
理系の頭脳が、優秀であるがゆえに縛られているものを、私立文系馬鹿クラスの人間は最初から持っていない。その「バカさ」をうまく楽しめればいいな、なんてことを漠然と思う。

……とまあ、うまく文章にはできないまま、2020年は終わり、2021年になった。
あ、この2020年とか2021年とかいう「年」という概念もまた、「国」と同じで関係ないって言われそうだけど、春夏秋冬が一回りして1年、というのは、人間が生活していく上での基本単位ではあるから、これはまあ、いいんでないの? 

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↑2010年のカレンダーが今年使える。捨てなくてよかった。

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こんなご時世ですが、残りの人生、やれる限り何か意味のあることを残したいと思って執筆・創作活動を続けています。応援していただければこの上ない喜びです。