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タヌキの親子見聞録 ~東北旅編⑤~ 岩手(盛岡)


第1章 BAERENに行こう

 盛岡駅には午後7時頃到着した。いつまでも暑い日で、駅前の地下道を通って今夜の宿泊先へ向かう足も、暑い空気の中重くてなかなか上がらなかった。

盛岡駅

ホテルにチェックインして、ウェルカムドリンクを貰って部屋へ向かう。本日で3日目なので、もうウェルカムドリンクを貰えるのが基本と思いつつある子ダヌキたちは、手慣れた調子で飲み物をゲットしていた。子どもは順応性が高い。母ダヌキのほうが、ウェルカムドリンクの出る機械が少し違うだけで手間取って、子ダヌキたちに教えてもらう始末だ。本日は、ホテルの最上階の見晴らしのいい部屋で、盛岡駅がよく見えた。いい眺めなのだが、ずっと歩き続けの体力勝負の旅なので、風景を楽しむことができない。荷物をベッドに置くと、「よし、7時半になるから、ご飯食べに行こう」と父ダヌキがみんなを先導した。本日は金曜日であり、もしかしたら駅周りの店はいっぱいで、夕食難民になる可能性が高いからだ。この旅最後の夜は、旅行のスケジュールをたてる時から、「せっかく最後の夜くらい、おいしいものが食べたい」と調べていた。盛岡駅周りで、地元のものが食べられて、美味しくて、子どもも喜ぶような店を探していたら、「ビアーベースベアレン盛岡駅前」というお店が気になった。調べてみると、地元の食材を使い、美味しいビールも頂けるという、子ダヌキたちも、父母ダヌキもうれしいお店のようだった。「これは必ず行きたい」と母ダヌキは騒ぎだし、父ダヌキは「飲み放題の付いているコースがいい」と、さっそく予約を入れようとしたら、ちょうどその日はコース料理の予約が取れない日になっていたので、コースでなくてもいいから当日に入れるかどうか行ってみようということにしていたのだ。こんな暑い日はうまいビールが飲みたい。父ダヌキは、仕事から帰り、お風呂から上がって一番にビールを飲むのが好きなのに、この旅の1日2日目はビールを飲まずに頑張って来た。3日目に、花巻駅で時間の余裕ができたときに、ようやく初めて地ビール1本を購入して飲んだ。それも、「今夜はベアレンに行くから、ベアレン以外の地ビールを飲む」と言って、別の岩手地ビールを買った。それほどベアレンに行くことを楽しみにしていたのだ。そんな父ダヌキの気持ちも知らず、「マックぅ~、マックぅ~」と兄ダヌキがホテルを出る前から言っている。「今日は、最後だから盛岡の美味しい店で食べようね」となだめながらベアレンへと向かった。
 金曜日の駅周りは人通りが多いかと思ったが、逆に少ないと感じた。どうしてかということは、しばらく歩いて「ビアーベースベアレン盛岡駅前」について、なんとなくわかった。店の中は団体客でいっぱいのようで、午後8時前では、次いつ入られるかわからない状態だった。「8時半過ぎに入れるかどうか確約もできません」とお店の人に言われ、子ダヌキたちもお腹を空かせているので1時間ここで待つことをやめて、別のベアレンの店へ行ってみることにした。金曜の夜で、人々は宴のために店の中にいるのだ。「だから、通りに人が少なかったのか」と理解した。金曜日の夜8時頃ならば宴もたけなわであろう。もしかしたらもう一つのベアレンも無理かもしれないが、せっかく盛岡に来たのでベアレンで食事をしたかった。「ごめんだけど、もう少し歩いてくれる?」と子ダヌキたちを説得し歩く。しかし、頑張って歩いたものの、もう1店舗もいっぱいで入れなかった。「ご飯どうする?」「駅前に帰る?」と相談し、結局もう一度駅前方面へ戻り、時刻8時半に近くなるのでダメもとで最初のベアレンへ行ってみることにした。「それで無理なら、マックかコンビニで買って食べよう」と最後の望みをかけて歩いた。

第2章 みんなで乾杯

 「ビアーベースベアレン盛岡駅前」に再び戻ってきたのは、午後8時半頃であった。ビルの地下1階にある店の入口の前で、先ほど案内をしてくれた女性が「大丈夫ですよ」と言ってくれて、タヌキ一家は全員ホッとした。夜の街を歩き疲れて汗臭くなった小汚いタヌキたちを、店員さんはさわやかで気持ちのいい笑顔で店の奥のテーブル席へと案内してくれた。先ほどの宴の残党もいるのか、あちこちでにぎやかな声が聞こえていた。タヌキたちは席に着くなり「何飲む?」とメニュー表を見た。頼む料理は、地下に入る途中の壁に貼ってあったおすすめ料理と兄ダヌキの強く希望したフライドポテトと決めていた。「お父さん、ビール飲みなよ」と、母ダヌキがビールのページを見せた。少し悩んで父ダヌキは、「定番のクラシック1パイントにする」と決めた。子ダヌキたちはリンゴジュース、母ダヌキは岩手県産リンゴを2個以上使ったドライシードルにして、ようやく一家で、今回の旅の苦労を労って乾杯した。思えばずっと歩き通しの旅だったが、一番小さな弟ダヌキは必死に歩いてついてきた。兄ダヌキは、昨年の萩往還からずいぶんと身長が伸びて、母ダヌキを今では追い越しており、足の長さも父母タヌキ共々負けてしまった感があるが、まだ子どもなので痩せており、焼けるような暑さに体力を奪われながらも頑張って歩いた。父母ダヌキは、子ダヌキたちの成長を感じつつ、こうやって一緒に旅できるのはあと何年なのだろうと、うれしさと悲しさの混ざった複雑な感情をビールやシードルで飲み干した。おすすめメニューの三陸産タラフライと南部赤鶏の野田塩焼きを美味しくいただき、白金豚サラミピザやマルゲリータも追加で注文した。もっとたくさん食べて、たくさん飲みたかったタヌキ一家であったが、少し飲み物が高くお手ごろなものは売り切れていたので、「あとはコンビニで何か買って帰ってホテルで食べよう」とホテルへとコンビニ経由で戻ることを決めた。コース料理には飲み放題がついているのだが、本日はコース料理が注文できない日であったため母ダヌキは残念がった。「次来られたら、絶対コース料理にしようね」と、花巻のやぶ屋と同じように食べ物に後ろ髪惹かれるタヌキ一家なのであった。

乾杯‼
美味しかったおすすめメニュー&フライドポテト

 次の日は、朝から朝食を調達に「福田パン」に歩いて向かう予定としていた。午前6時に起床し、7時前にホテルを出発し「福田パン」へと向かった。午前7時ちょっと過ぎの「福田パン」の前には店の外まで行列ができていた。行列に並ぶと、店内に貼ってあるメニュー表や注文の仕方を、遠くから目を凝らして見た。どうやらコッペパンに挟むもので料金に違いがあり、自分の好みでトッピングが追加できるようだった。並んでいるお客には常連もいるようで、流れるように様々な組み合わせのコッペパンを注文し、一人で20個くらい買って帰る人もいた。父ダヌキは「オリジナル野菜サンドにポテトサラダをトッピングする」と早々と決めた。兄ダヌキは一番人気の「あんバターサンド」に決めた。弟ダヌキは最初「エッグハムカツにする」と決めていたが、メニューの多さに迷いだした。食い意地の張っている母ダヌキは「甘いのも調理パンも気になる」と店内に入っても迷っていた。結局、弟ダヌキは「ポテトサラダパン」、母ダヌキは「ハムサンド(レタス入り)」と、みんなで分けると言って「田野畑山地酪農牛乳クリーム」を購入した。急いでホテルに帰って部屋でコーヒーを淹れ、みんなで少しずつ味見をしながら朝食として食べた。コッペパンが柔らかく、何を挟んでも美味しいと感じたが、さすが一番人気「あんバターサンド」のおいしさは格別であった。あんこの甘さとバターの塩気がいいバランスで、「コーヒーと一緒に食べるのにもう一つ買ってもよかった」と母ダヌキが言ったほどだった。朝食を終えるとチェックアウトして、盛岡市内の観光へ向かった。

迷ってしまうほどメニューがいっぱい
福田パン

第3章 石川啄木もいた盛岡

 タヌキ一家は、この東北旅を計画した時に、始めはあまり盛岡市内での観光時間を取っていなかった。しかし、「2023年行くべき52か所」という旅行特集でNYタイムズ紙が「盛岡がロンドンに次いで2位」と報じられた記事を読み、「せっかく東北に来たのだから、一度は盛岡を見ておこう」ということで、半日市内観光を行うことにし、駅前ホテルから出発し、岩手銀行赤レンガ館を目指すルートを歩くことにした。
 朝9時前に歩き出したタヌキたちであったが、この日も太陽の暑さに早速とろけそうになりながら、アスファルトの上をのっそりと歩を進めた。北上川を渡るときに、左手に山頂に白いものが見える高い山が見えた。「あれ、岩手山だよ」と父ダヌキは写真を撮った。住んでいるところから雪をたたえている山が見えるのはすごいことだと、改めて思いながら母ダヌキもスマホで写真を撮った。

遠くに岩手山が見える

橋を渡ってすぐ、左手の通りに宮沢賢治が「注文の多い料理店」を発行した「光原社」の跡地があり、現在では工芸品店や喫茶店などが並んでいるようだが、時間が早すぎて開いておらず外観だけ見て次へ進んだ。通りには賢治にちなんだモニュメントがいくつかあった。その通りに赤ちょうちんがあったので覗いてみると、「酒買地蔵」とお寺があり、お寺の前でお祭りの準備をしているようだった。

「光原社」跡地のある材木町案内図
現在の「光原社」跡地には工芸品店などがある
この通りには宮沢賢治に関するモニュメントがある
「酒買地蔵」

 寄り道から戻り、喉が渇いたので自販機が通りのところどころにあるのを歩きながら見ていると、どれもこれも通常ならば150円~180円しそうなジュースが100円という自販機を見つけたので、「私はここで買う!」と母ダヌキがレモンティーを買った。兄ダヌキも「メロンクリームソーダを買いたい!」と言い出したので、母ダヌキが500円玉を渡したところ、お釣りを取り損なって、100円玉を自販機の下のコンクリート穴に落としてしまった。なかなか戻ってこない兄ダヌキをタヌキたちが見に行ったら、一生懸命指を突っ込んで100円玉を取ろうとしている兄ダヌキがいた。家族から注意されたり叱られたりして、高くて苦いメロンクリームソーダとなってしまった兄ダヌキであった。

反省中の兄ダヌキ

 ジュースを飲んで水分補給しつつ進むと、「啄木新婚の家」に着いた。鉄骨と網で家の周りが囲まれており、修繕中であったためか、ガイドブックにある写真とは違うように感じた。中は、二十歳で結婚した当時の生活(この家で結婚当初3週間生活した)がわかるようになっていた。母ダヌキは「一握の砂」という歌集で有名であること以外はほとんど知らなかったので、早く結婚したり、子どもの頃は神童と呼ばれていたり、さらには岩手の人ということすら知らなかったので勉強になった。宮沢賢治よりも10歳年上で、26歳という若さで亡くなっているので、二人とも面識はなかったようである。

石川啄木新婚の家

 そこからさらに歩いて行くと有名な「石割桜」があった。もともとは、盛岡藩の家老の屋敷跡だったそうだが、現在は裁判所となっている。周囲が21mもある花崗岩の真ん中から押し広げて生えている桜は、力強く、暑さにへこたれない様子で、涼しげに緑の葉をたくさん揺らしていた。

石割桜

 「石割桜」からすぐ、通りの突き当りに盛岡市役所が見えたので、通りを横切って盛岡城跡公園方面へ歩いて行った。その公園にある櫻山神社の前の通りを左に行くと、目的地の「岩手銀行赤レンガ館」があるのだ。櫻山神社をお参りし、側にある烏帽子岩を見てから目的地の赤レンガ館を目指した。

盛岡城跡公園案内図
櫻山神社
烏帽子岩

第4章 レトロもりおか

 櫻山神社から少し歩くと、右手に親水公園のようなものがあり、親子連れが水辺で何か獲っているようであった。何が獲れるのか母ダヌキは聞いてみたかったが、人がいるところまで少し距離があったので断念した。そこから橋を渡ってすぐに「岩手銀行赤レンガ館」があった。明治44年(1911)に東京駅と同じ設計者の辰野金吾らによって設計された、岩手銀行旧本店本館である。2012年に営業を終了した後、3年半の保存修理工事後、歴史的建造物として公開を開始しており、有料ゾーンと無料ゾーンがある。

岩手銀行赤レンガ館
有料ゾーンと無料ゾーンがある

タヌキ一家は無料ゾーンを見学して、レトロな外観を撮影し、その建物の建っている通りから少し奥にある「釜定」という南部鉄器の店へ、南部鉄器を見学しに行った。定番の鉄瓶や風鈴、新しいものでは犬や鳥の可愛いオーナメントなどが置いてあった。中でも父ダヌキは栓抜きのデザインが気に入り、いくつか見比べてひとつ購入した。その後、赤レンガ館前に戻り、大きな通りの向こう側に「プラザおでって」という盛岡市の観光文化交流センターがあったので、何か観光の情報がないか行ってみた。

「釜定」の南部鉄器
父ダヌキが買った栓抜き(左はBEARENで購入したもの300円)

 「プラザおでって」の2階に行ってみると、毎年8月1日から4日に行われている「岩手さんさ祭り」の展示や盛岡市の観光案内があった。2階から中の階段を通って1階に行ってみると、八百屋のような店があったので入ってみた。中には地元産の野菜や果物が販売されており、他にも飲み物や乳製品を売っていた。暑い中歩いてお腹も少しすいたので、何か買って1階の休憩室で食べることにした。小岩井農場が有名な岩手なので、岩手産のヨーグルトとアイスを買って食べることにした。アイス売り場を見ると特に岩手らしいと思うものは無かったのだが、どんぐりが入っている珍しいものがあった。「どんな味ですか?」と母ダヌキがお店の人に聞いても、はっきりとどんな味と教えてもらえなかったので買って食べてみることにした。まずは言い出しっぺの母ダヌキから食べてみると、特にどんぐりっぽい味はしないようで、普通のバニラアイスよりあっさりした味で、少しざらっとした舌触りが加わったような感じだった。子ダヌキたちはあまり好きではないようで、プリンやヨーグルトのほうを好んで食べた。

一度は食べてみたいどんぐりアイス

その後、休憩所からでて八百屋にゴミを捨てに行くと、外の広場で着物姿の人が10人ぐらい居て、今まさに何か始まろうとしていた。「岩手さんさ踊り」のデモンストレーションだった。大きな花が飾ってある菅笠を頭に、白を基調にした着物を着てカラフルな帯を締めて踊るのだ。「さんさ踊り」の発祥は、盛岡市の三ツ石神社の「三ツ石伝説」に由来するものだそうだ。昔、人々を苦しめていた鬼を三ツ石の神様によって退治してもらい、鬼が降参の印に三ツ石神社の大きな石に手形を残して去った時に、喜んだ人々が三ツ石のまわりで「さんさ、さんさと踊り囃した」のがさんさ踊りの始まりと伝えられている。ちなみに、「岩手」という名前も、鬼が岩に手形を押したことに由来するとのこと。次の週にあるさんさ祭りには参加できないが、祭囃子に合わせて踊る姿を見ることができて、少しお祭りに参加できた気分になった。「お祭り気分が味わえてお得だったね」と言いながら、「プラザおでって」近くの「もりおか啄木・賢治青春館」に向かった。

さんさ踊り

 「もりおか啄木・賢治青春館」は、明治43年(1910)竣工の旧第九十銀行を保存活用し、石川啄木と宮沢賢治の青春時代と盛岡について紹介している。赤レンガ館と同様にレトロな外観が、盛岡の街の中にある緑と調和して、懐かしく心安らぐ雰囲気を醸し出しているように母ダヌキは感じた。喫茶店などでゆっくりと街の雰囲気を堪能したかったが、子ダヌキたちはそろそろ限界が来ているようで、「早く帰ろう」「おなか減った」とさっきアイスなど食べたのに騒ぎ出した。名残惜しいが東京行きの新幹線の時間もあるので、青春館を少し見て駅のほうへ向かって歩き出した。

もりおか啄木・賢治青春館
レトロな盛岡の消火栓

第5章 行くべきところ 世界第2位

 盛岡駅へ向かう途中、橋を渡ると、左手に盛岡城跡公園地下駐車場と書いてある建物があった。公園の外観を損なわないように、地下へ駐車スペースを作ったのだろうか。公園周りにあまり車が止まっているように見えなかったのは、この地下駐車場のおかげなのだろうかと母ダヌキは思った。

盛岡のマンホールはカワイイ

そこから2~3分歩くと、先ほど親子が何か獲っていた親水公園に戻って来た。まだ1組の親子が頑張っていたので、父ダヌキが「何獲ってるんですか?」と聞くと、「ザリガニです」と返って来た。後で調べてみると、ここは「鶴ヶ池」という盛岡城の内堀跡であった。水の中に、渡りやすいように、ところどころ石が設置してある。そこを足場にして、体を屈めて釣り紐と網を持って一生懸命獲っていた。水の流れを挟むように生えている木々と遠くに見える石橋、水面に映る緑の木々が夏の太陽に照らされて、キラキラとしている。「あれっ?なんか見たことある」と母ダヌキは言った。「ほらっ、NYタイムズ紙の記事に載っていた写真ってここじゃない?」と言うと、父ダヌキも気づいて何枚か写真に収めた。

絵のような鶴ヶ池

盛岡市の駅の近くはビルが多いが、少し遠くを見ると岩手山という2000m級の山があり、ちょっと離れると、緑がふんだんに溢れている城跡公園があり、新しい風の吹く繁華街と昔懐かしい気分になれる古典的な建物と自然が混在する場所が、この盛岡なのだと訪れて初めて知った。NYタイムズ紙の「2023年行くべき 52か所」の特集記事を読んで、自分が気付きにくい持っている良いところを、他の人に教えてもらって改めて知るというような感じで、盛岡の良さを知ることができてよかったと父母ダヌキは思った。(子ダヌキたちはポケモンセンターがあるところでないと嫌なようだった)まだまだ日本には、盛岡のような、あまり知られていない魅力にあふれた町があるのではないかと、タヌキの親子の腕(足)が鳴った。
 駅まで歩くには暑すぎて、盛岡城跡公園近くで「盛岡中心市街地循環バス でんでんむし」に乗って盛岡駅まで行くことにした。12時前のバスは、あまり混んでいなくて乗りやすくとても快適であった。運転手さんは女性であった。母ダヌキは、この旅で、駅で働く人もバスの運転手も女性が多いなという印象を受けた。駅前でバスを降りると、ホテルで預かってもらっていた荷物を受け取り、帰るために盛岡駅へと向かった。

循環バスを待つタヌキの親子

第6章 さよなら東北

 午後1時前の新幹線に乗る前に、昼食を買うために駅ビルの中をさまよった。時間で言うと20~30分程度しかなくて、お店で食べる余裕はないので、新幹線に持ち込めるお弁当を買うことにした。暑いのであまり食べられず、あっさりしたものがよかったので、お寿司を2人前購入して乗り場へと向かった。乗り場は蒸し暑くて、買った寿司が腐ってしまうのではないかと心配するほどだったが、父ダヌキは子ダヌキたちに見せたいものがあった。「はやぶさ」と「こまち」の連結の場面だ。これは盛岡駅と福島駅の2か所でしか見られないもので、せっかく盛岡で新幹線に乗るのなら、子ダヌキたちに見せてやろうと思っていたのだ。待ち構えているはやぶさに向かって、こまちがゆっくりと静かに近寄って、最終的に「ガチンッ」と大きな音をたてて連結が完了した。それを見届けると、急いで自分たちの乗る号の車両へ向かった。連結後から乗り込むまで、数分しかなかったので、タヌキたちは最期の力を振り絞って新幹線に乗り込んだ。

「はやぶさ」と「こまち」の連結

新幹線内は、外と打って変わって涼しくて快適であった。乗るとすぐお茶とお寿司を取り出して、親子で分け合って食べた。涼しくなると、食欲が戻って来たが、あいにく、2個しか寿司を買わなかったので、「1人1個ずつ買えばよかった」と、いいネタを食べられるたびに父ダヌキは思った。それから東京へ向かうまで、東北新幹線の座席に配布してある「トランヴェール」という東日本旅客鉄道株式会社発行の雑誌を読んで過ごした。(西日本には無いサービスと思われる)母ダヌキの隣の子ダヌキは、お寿司を食べた後すぐに眠りに落ちていた。母ダヌキも、雑誌を読む間で何度も眠りの谷に落ちた。

盛岡駅で買ったお寿司

東京駅に着くと、土曜の駅の中は、人が多くて、ぶつからないで歩くのがやっとだった。「コロナが終わったから?」と母ダヌキが聞くと、よく東京へ出張に行く父ダヌキは「コロナの時はこんなんじゃなかったよ」と答え、人を縫いながら先頭を歩いた。どこの店の中もいっぱいで、子ダヌキたちの好きなレゴの店に入っても、ゆっくり品物を見られる状態ではなかった。疲れているうえに、人の多さに酔いそうだったので、早くに空港へ向かうことにした。空港に着くと、搭乗手続き前に何か食べたかった母ダヌキは、色々と見たが、いい食べ物が無かった。やはり盛岡駅で寿司を4人前買っとくべきだったと母ダヌキは後悔した。しかし、ほとんど弟ダヌキに寿司を食べられていた母ダヌキは、何か食べたくて結局マックではないけどフライドポテトとサンドイッチを購入した。量が少ない割に、盛岡の寿司と同じくらいの値段を支払った。「東京は怖い」と財布からお金を出しながら母ダヌキは思った。
 午後6時前の山口行きの飛行機で東京を離れた。帰りは座席前にテレビがついていたので、子ダヌキたちは外の風景より、テレビを好き勝手に操作してアニメを見たりして過ごした。母ダヌキも、父ダヌキも、窓際の席で富士山のてっぺんをのぞき込んで見ながら、旅の終わりの寂しさを味わっていた。「はぁ~、夏休みがもう終わった」と父ダヌキは何度もため息をついていた。母ダヌキも、この4日間の非日常をまた味わえるだろうかと、窓から過ぎていく風景を見ながら思った。
 人は欲深い。況やタヌキをや。念願の東北旅を終えたとしても、必ず、また何か新しい目的地に向けて旅に出るだろう。

帰りの飛行機から見えた富士山

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