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ボスケ・モ・ンタナの一生①

ボスケ・モ・ンタナは州の発行する公共宝くじが方舟(はこぶね)から放たれた鳩がオリーブの枝を船内に持ち帰って以来初の莫大な額のキャリーオーバーを起こす中、神秘主義的な作法により8つの謎に包まれた数字を見事に言い当てて389回生きてもまだ遊べるだけの金が手に入ったので、さっそく新しい親戚が増えた。

1人目のボスケ・モ・ンタナの新しい親戚、すなわちアオキ・ボスケ・モ・ンタナは麻布1枚の姿でボスケ・モ・ンタナの戸を叩くと(奇しくもその麻は、在りし日のボスケ・モ・ンタナが俘囚の憂き目に遭った時のものと同じ黄麻であった)、涙なしには聞けぬ身の上話をたっぷり97分(うちトイレ休憩7分)戸口で語り、感に堪えざるボスケ・モ・ンタナは快くアオキ・ボスケ・モ・ンタナがただヤシ酒を飲むだけのこれまでの人生を19回はやり直せるだけの額を小切手に書いてやった。もちろん、ヤシ酒を飲むのはもうやめて、妻子のために使うことをアオキ・ボスケ・モ・ンタナがビスミラに誓った後で。

2人目の親戚イオキ・ボスケ・モ・ンタナは、島いちばんの学府に身を置きながら、年々脳が縮小していきついにクルミ大にまでなる奇病のために苦痛のただなかにいる男であった。ボスケ・モ・ンタナは、自分の学の無さと日々の気の持ちようの軽さを恥じ、この苦学生イオキ・ボスケ・モ・ンタナに専用の研究施設を南のハラウエ・ボナノッテに建てるための資金をくれてやった。もちろん、自分にも若いころに打ち込んだ学問の1つや2つあったかのようにほのめかした上で。ボスケ・モ・ンタナには保険の概念はなかったので、万が一研究センターが建造中に燃えて灰燼に帰してもイオキ・ボスケ・モ・ンタナががっかりしないだけの額をあらかじめ小切手に上乗せしてやった。それが、ボスケ・モ・ンタナなりの、リスクヘッジという教養の示し方であった。

さて、ボスケ・モ・ンタナの親戚を名乗るものがボスケ・モ・ンタナの小さな戸口に現れて物語りを語っては、小切手やパンを手に入れてぱたんと背を向けていくことがざっと108回ほどあったのち、その親戚、すなわちナオキ・ボスケ・モ・ンタナは、自らがほんとうにボスケ・モ・ンタナの親戚であり、ボスケ・モ・ンタナに生後7か月のころにおしめを替えてもらったこともあると主張して、やはり戸口に現れた。

「見てください。私が生後7か月のころ、世界がはじっこの方から荒いドット状になってさらさらと崩れ落ちていくイメージの夢をみてお漏らしをした時に、あなたがシーツとともに替えてくれたのがこのおしめです」と、ナオキ・ボスケ・モ・ンタナはからからになった薄黄色い布をひらつかせた。「残念ながらシーツの方はもう、とうの昔にトウモロコシ畑を手に入れるときに使ってしまいましたが……」
老ボスケ・モ・ンタナは、扉のノブをがっしり掴んだまま、この親戚を果たしていつ目にしたのかを必死で思い出していた。その眼にはボスケ・モ・ンタナも気づかないうちに涙が浮かんでいたが、それはナオキ・ボスケ・モ・ンタナとボスケ・モ・ンタナの間で風にたなびく例の薄黄色の布から発散されるアンモニア臭によるものであった。

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