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コーチ物語 〜明日は晴れ〜 クライアント5 対決!ファシリテーター

 朝九時。携帯電話の呼び出し音がけたたましく部屋に鳴り響く。
 この時間、私にとってはまだまだ早朝に当たる。昨日は佳子のやつがもう一軒なんて誘うもんだから、ついハメをはずして飲み過ぎちゃったし。
「ハイハイ、もうちょっと待ってよ……」
 布団の中から手探りで枕元においたはずの携帯電話を探る。けれど手の届く範囲にそれはない。
「ったく、うるさいなぁ……」
 眠気よりこのうるささのほうが勝ってしまった。私は仕方なしに上半身を起こして、目をこすりながらあたりを見回す。
「あ、あそこか……」
 その音の主は私が昨晩、ソファの上に脱ぎ散らかした服の上に置いてあった。そういえばどうやって寝たのか記憶にない。
「はいはい、今出ますって」
 私しかいない部屋でひとりごとをしゃべるのは、元来私のおしゃべりな癖がそうさせているのであって、決して一人の寂しさを紛らわせるためではない。そう自分に言い聞かせながら、やっとのことで電話にでる。
「堀さん、また寝てたでしょ。約束の時間、十時だからね。そろそろ出る準備しないと間に合わないと思って電話しましたよ」
 声の主は、私の営業エージェントをやっている楠田であった。
「十時って、なんだっけ?」
「堀さん、もう寝ぼけないでくださいよ。今日はアクトタワーホテルの社員研修のプレゼンテーションだったでしょ。この仕事がとれれば、かなり大きなものになりそうなんですから。シャキッとしてくださいよ、シャキッと」
 あ、そうだった。そのことは昨日の日付を超える手前までは覚えていた。けれどそれ以降はすっかり頭から抜けてたな。
「大丈夫、今から支度すれば十分間に合うから。現地集合でよかったわよね。今から準備するから」
 そう言って一方的に電話を切る。早速シャワーを浴びに向かう。髪は洗っていたら時間がないわね。そこはちょっとごまかすか。
 頭の中は徐々にビジネスモードに変化していく。今日のためにそろえたプレゼン資料を頭の中で再度イメージング。うん、この流れならバッチリね。この手のプレゼンテーションなんか、堀みつ子の手にかかればチョチョイのちょいよ。そうしてシャワーが終わる頃には、すっかり仕事の顔になっていた。
 ファシリテーター、堀みつ子。これが私の本来の姿。ビジネススーツに見を包みお化粧をすれば、どこからどう見てもバリバリのキャリアウーマンの出来上がり。うん、我ながらすばらしいわ。
 私の仕事は、主には企業や組織の会議を運営するファシリテーター。そしてその技術を指導する講師でもある。この仕事を専門でやっている人は全国にもそう多くはない。私はこの仕事に誇りを持っている。
 今回のクライアントは、駅前にもうすぐできるセントラル・アクトの中に入るアクトタワーホテル。元々は全国展開を行なっているホテルグループがここに入るのだが、今までとは違う新しいコンセプトでいきたいという。そのためのスタッフ教育の一貫として、ファシリテーションが必要になったとのこと。どうやら社員間で頻繁に話し合いを行わせ、自分たちでやるべきことを決めるという社風を作りたいらしい。
 そこで、そのためのリーダークラスへの研修を依頼されたというわけだ。今日はその研修のプレゼンテーション。プレゼンテーションとはいえ、他にこんなことできるのは、この地域では私くらいしかいないんだから。ほぼ仕事は決まったようなものよね。これがうまくいけば、このホテルチェーン全体へ波及していく可能性だってあるから、絶対に取りに行かないといけない仕事なの。
 タクシーを飛ばして、セントラル・アクトへと向かう。時間は十時五分前。仕事柄か、元々の性格なのか、こう見えても時間にはうるさい。約束の時間はきっちりと守る方なの。
 ちょっと駆け足で、まだ開業間近のホテルのフロントへと足を運ぶ。エレベーターが開いたと同時に急いで中に入ろうとしたそのとき。
「あっ!」
 一人の男性と肩がぶつかってしまった。むこうは降りようとしていたようだ。
「大丈夫ですか? お急ぎのところすいません」
 ぶつかった男性の紳士的な態度に、一瞬の怒りがどこへやら。逆に好感すら抱いてしまった。なかなかのハンサムで長身。年齢は三十そこそこかな。私はとうにおばさんの領域に入った年齢ではあるけれど。ちょっと乙女心をくすぐられる。
「おい、羽賀ぁ。さっさと行くぞ」
 もう一人、ガサツな男が先にエレベーターを降りてこの男性を呼んでいる。羽賀さんっていうのか。なんとなく、また会えるような気がして仕方ない。
「それでは失礼します」
 この羽賀さんがそう言った途端、エレベーターのドアが無情にも閉まった。その結果、ホテルフロントになっている七階へと強制的に送り出される結果となった。
 再びエレベーターのドアが開くと、目の前には仏頂面をしたエージェントの楠田が腕組みをして待ち構えていた。
「堀さん、待ってたよ」
「時間ぴったりでしょ。さ、行きましょ」
 キリッとした態度で主導権を握る。負けず嫌いの性格がそうさせているのはよくわかっている。楠田もその辺は心得たもので、私より半歩後ろを歩いてフロントへと向かう。
「本日、支配人の笹原様とお約束をしている、堀と申します」
「堀さま、ですね。お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
 うん、基本的な接遇態度は訓練されているようね。
 通されたのは奥の応接部屋。どうやらここは大きな商談などでも一般に貸し出されるような部屋のようだ。壁には大きな絵が飾ってあり、高級そうな壺も置いてある。その部屋には支配人の笹原さんと、もう一人若い男性がいた。笹原さんは一度会ったことがあるがこちらの男は初めてだ。すかさず名刺を手にその若い男性に対してあいさつをした。
「初めまして。ファシリテーターの堀と申します」
「わたくし、ここで副支配人をさせていただいております坂崎と申します。堀さんのお噂はかねがね耳にしております」
「それはありがとうございます。失礼ですが、参考までに。どちらのほうで私のことを?」
 その問いに関しては、支配人の笹原さんのほうが答えてくれた。
「実はこちらの坂崎くんは、四星商事からの派遣なんですよ。このホテルはご存知と思いますが、今回我がホテルチェーン、シーザスグループと四星商事の共同出資で経営されていまして。我々はどちらかといえば低価格で室の高いビジネスホテルを展開してきました。けれど今回のこのホテルは一流のサービスを提供する高級ホテルにしていくつもりです」
 そのあたりの経緯は前回笹原さんとお会いした時にも耳にしている。
「そこで運営スタッフとして、四星商事からもこうやって坂崎さんにきてもらっているというわけなんですよ」
「堀さんのお話は、以前経営塾で講話を聞いてワークショップも体験しました」
 なるほど、だから今回私にお声がかかったのか。エージェントの楠田のおかげじゃないじゃない。
「そこで今回、堀さんに我がホテルスタッフのファシリテーション研修をやってもらおうと考えていたのですが……」
 ですが? ですがってなによ? ちょっとイヤな予感がするわね。
「実は弊社の営業スタッフ研修を依頼しているコンサルタントの唐沢さんから、こういったのに向いている講師がいるからと紹介がありまして。先ほどお会いしたところなのです。その方のご専門はコーチングなのですが、そういった要素も取り入れないといけないとは常々思っておりまして」
 なによ、じゃぁこの仕事はそのコーチングの男に任せようっていうの?
「そこでいろいろと考えたのですが。弊社としても堀さんにもお声がけさせていただきましたし。この際コンペにさせていただけないかと」
 コンペって、価格で決めようっていうの? 私が一番イヤなパターンだ。だが笹田さんの次の言葉で、私の思いが燃え上がった。
「コンペの方法は、実際にミニ研修を行なってもらい、それで評価させていただきます。いかがですか?」
「望むところです」
 間髪入れずに私はそう返事をした。私が負けるわけないじゃない。
「参考までに、そのコーチングの方のお名前は?」
「羽賀さん。羽賀純一さんです」
 羽賀さん。この言葉でさっきのエレベーターで私とぶつかったあの男性の姿を思い出した。長身でメガネをかけて、笑顔が爽やかで、感じの良い、あの人。彼が私の敵になるのか。ちょっと身震いした。こういう形で彼と再会することになるとはね。
 このあと、コンペの方法については後日連絡するということで打ち合わせは終了。エレベーターで一階に降りると、楠田が心配そうに尋ねてきた。
「堀さん、コンペだなんて大丈夫かい?」
「それは任せてよ。私は今まで何度も研修や指導をやってきたんだから。そんな聞いたことのないような男には負けないわよ」
 言いながらも不安は隠せない。なぜだかあの羽賀という男に勝てる自信がない。どうして? 理由はわからないけれど、なんとなくそんな感じがする。おかげでその日の夜は不安が募り、家で一人でワインを一本空けてしまった。
 翌日、またも朝九時にけたたましく携帯電話が鳴り響いた。また楠田だ。
「なによ、私に電話するときは十時以降にしてって言ってるでしょ」
「堀さん、寝てる場合じゃないよ。コンペの相手の羽賀って男を調べてみたんだけど、こりゃちょっとヤバイよ」
「何がヤバイのよ」
「羽賀ってのはあの桜島コーチの秘蔵っ子らしいぞ」
「桜島コーチって、あの東京で活躍しているあの人?」
 こういった人材育成系に関わっている人なら知らない人はいない、桜島コーチ。以前は某大手電機メーカーの人材育成研修に関わり、そこで人材育成の伝説を作った人だ。そのあと、いち早くコーチングを取り入れ、今ではそちらの分野で幅広く活躍している。本人は第一線を退いたと言っているが、その影響力は業界の中でも未だ強く感じるものがある。
 その桜島コーチ直伝の愛弟子が、あの羽賀って男か。
「それだけじゃない。なんとあの羽賀ってヤツは以前は四星商事のトップセールスマンだったそうだ。さまざまなプロジェクトをいくつも成功させている超エリートだぞ」
 それを聞いてさらに身震いした。すでに四星商事とつながっているとは。これじゃ私に勝ち目ないじゃない。おかげで一気に目が覚めた。
「堀さん、今回ばかりは負けるかもしれないなぁ」
 だが、楠田のこの一言が私の魂に火をつけた。
「何言ってんのよ。相手が桜島コーチの秘蔵っ子だろうが、元四星商事のエリートだろうが知ったこっちゃないわよ。ファシリテーターなら私が一番なんだから。それを見せつければいいのよ」
 これは半分、自分に言い聞かせた言葉でもある。だがこのセリフを吐いてわかった。私は根っからのファシリテーター。この分野なら誰にも負ける気はしない。いや、負けてなるものですか!
 気合を入れるために、一度シャワーを浴び、部屋のカーテンを開けてパソコンに向かった。そしてコンペのための研修プログラムづくりに取り掛かる。
 程なくして、再び楠田から電話。今度はコンペの内容についての打ち合わせと、羽賀さんとの顔合わせをやりたいとのこと。私の対応可能日時については楠田はすべて把握しているので、そちらでセッティング済み。早速明日の午後イチバンに打ち合わせということになった。
 翌日、服装も化粧も気合を入れて打ち合わせに望んだ。ここで相手に軽く見られちゃいけないからね。
 案内された会議室に入ると、支配人の笹原さん、副支配人の坂崎さんはすでにスタンバイをしていた。だが、まだ肝心の羽賀は来ていないようだ。
「こんにちは、お世話になります。今日はよろしくお願いします」
 精一杯の営業スマイルで、二人にあいさつ。ほどなくして、二人の男性が到着。この前エレベーターですれ違った、見覚えのある背の高い男の姿がそこにあった。あの羽賀という男だ。
「こんにちは、お世話になります」
 そう言ったのは、背の高い男と一緒に来たもう一人の男。こっちの男は、いかにも営業マンといった空気を漂わせていた。確かあのときにいたもう一人の男だな。気になる羽賀の方はまだ正体がつかめない。いわゆる「ニュートラルな感じ」が全身から出ているのだ。
 その羽賀と名刺交換をしようと思った矢先に、こんな声が。
「ではそろったようなので、そろそろ説明に移らせていただきます」
 口火を切ったのは支配人の笹原さん。
「今回は失礼ながらも、お二人の講師にコンペという形で研修依頼先を決めさせて頂こうと思っております。私たちのホテルグループは、今そのときが真剣勝負を合い言葉に今までお客様と接してきました。その考え方は、こういった場面でも尊重したい。だからこそ、今目の前にいるお二方の先生がどのようなことを私たちに提供していただけるのか、生で向き合いたいと考えています」
 なるほど、この支配人の言うことももっともだわ。内容よりもプレゼンテーションで聞いたうわべのことを重視して、失敗した企業もたくさん見てきた。そう考えると、このホテルの経営者は堅実な方法を採っていると言えるわね。
「おっと、いくら内容重視とはいえお互いの自己紹介くらいは入れておかないといけませんね。今回講師をお願いしているお二人から自己紹介を。まずは堀さん、よろしくお願いします」
「はい、では簡単に自己紹介をさせて頂きます」
 そう言って、自分のことを話し始めた。今までのファシリテーターとしての経歴や実績、そしてどのようなポリシーでこの仕事をしているのか、さらには今回このホテルで講師として入ったときには、どのようなことを狙っているのか、など。おそらく4〜5分くらいは話したんじゃないかな。ちょっと長いと思ったけれど、とにかく自分の伝えたいことは伝えておかないと。そう思ったのだ。
「丁寧な自己紹介ありがとうございます。では続いて羽賀さん、お願いします」
 羽賀の力量を見定めてやろうという気持で、その自己紹介に耳を傾けた。
「はい、初めまして。羽賀純一です。いやいや、今朝はちょっとあわてましてね。いつもは朝六時には起きるのですが、こんな大事な日に限って目覚ましが鳴らなくて。ここにいる唐沢が迎えにきてくれなかったら、思いっきり遅刻するところでしたよ。実はここだけの話、このホテルに入るまでは頭がこんな感じで大爆発していたんですよ。ほら、ちょっと前のアニメでスーパーサイヤ人ってのがあったでしょ。あんな感じでしたよ」
 羽賀はそういって、髪の毛を逆立てるジェスチャー。これには一同思わず微笑んでしまった。
「ということで、こんなドジな一面もありますが、これからよろしくお願いします」
 え、これで終わり? 私はあっけにとられた。時間にしてわずか三十秒ほどだったのだ。だが、この自己紹介勝負は明らかに相手の勝ちを認めざるを得ない。どちらの自己紹介の方が相手に印象に残るかと言えば、間違いなく羽賀の方だ。コンパクトにまとめて、しかも印象づけることを忘れない。そしてなにより、この自己紹介でさっきまで緊張感が走っていた空気が、一気になごんでしまった。この男、意外にも強敵になりそうだわ。
 講師の自己紹介も終わり、いよいよ本題。
「では今から、ファシリテーション研修のコンペの方法についてご説明します」
 言い出したのは副支配人の坂崎さん。黒服のよく似合うスマートな人だ。私は聞き漏らさないように手帳を広げて待ちかまえていた。
 ここで羽賀が手を上げてこんなことを言い出した。
「あのぉ、すいません。この会議室にはホワイトボードってありますか? もしあれば準備をして頂きたいのですが」
「えぇ、そちらの準備室にありますので今すぐご用意させて頂きます。おい、ホワイトボードを出してくれ」
 笹原のその声に、二人の従業員がすぐにホワイトボードの準備を始めた。この時点で「しまった!」と思った。この羽賀という男がやろうとしていることがすぐにわかったからである。
 ホワイトボードが用意されて、すぐに羽賀はその横に立った。そしてこのように発言を始めた。
「では今から説明していただくことを、こちらに記載させていただきます。それでは坂崎さん、よろしくお願いします」
 羽賀が始めたこと。これこそがファシリテーターの基本ではないか。出された意見を板書して確認を取りながら進める。これにより合意形成を促す。それを自然な形でやってのけた羽賀。ますます手強さを感じてしまった。この男、本当に只者ではない。
「という感じでよろしいですね。では堀さん、これについて何かご意見はありませんか?」
「えっと、肝心の日程がまだ出ていないと思うのですが」
「おっと、大事なことをお伝えしていませんでしたね。今回のコンペはそれぞれ同じ日に同じテーマで二班に分かれたメンバーを同じように研修していただき、そのメンバーからの感想で研修講師を決めます。一回目は来週の日曜日。二回目は三日後の水曜日。時間はいずれも午後五時からを予定しています」
 副支配人の坂崎さんが事務的にそう返事をした。それに続いて、支配人の笹原さんが続けてこんなコメントを。
「あと一月ほどでこのホテルもオープンされます。オープン後はスタッフも慣れないことばかりでいろいろとトラブルの発生も考えられます。そんなときに、ここに働く全員が一丸となってそのトラブルに対応できるためには、今回行おうとしているファシリテーション研修は大きな意味を持ちます。サービスが売りとなるホテル業界において、怖いのはミスを起こすことではなくミスをそのままにしておくこと。そのためにも、私たちトップが判断するのではなくここで働くスタッフ一人ひとりが判断し、さらなる向上の提案ができる環境をつくりたいのだ。ぜひとも、お二人には期待しています」
 その言葉に私も賛成。大いに納得した。
「はい、今回は精一杯やらせていただきます。よろしくお願いします」
 思わず立ち上がって、支配人にお礼の言葉を述べた。だが、その気持ちを一瞬にして崩してしまったのは、誰あろう羽賀だった。
「支配人、一つお聞きしたいことがあります。今回の研修、これは一体誰のために行うのですか?」
 な、なに!? この男は先ほどの支配人の言葉を聞いていなかったのか? もちろん、スタッフ一人ひとりの能力を上げるためだろうが。
 だが、支配人の笹原さんは羽賀の質問に頭を抱え始めた。
「誰のための研修……。今質問されるまでは、従業員のための研修だとばかり思っていたが、よく考えるとそうではないよな」
「では、従業員がしっかりと教育されると、誰が喜ぶのですか?」
「誰が……もちろん、お客様へのサービスの一環だ。ということはお客様が喜ぶのは間違いない」
「それだけですか?」
「それだけ……というと?」
「お客様が喜ぶと、どうなるのですか?」
「そりゃもちろん、このホテルの評判が高くなり、利用するお客様も増えていく。そうなると、ホテルとしても利益が上がる。そういうことなのか」
「それで全てですか?」
「まだ先があるというのか?」
「えぇ、まだ笹原さんの本当の声が聞こえてこないものですから」
「本当の声、というとやはりこういうことか。ホテルの利益が上がると、私の評価も上がる。そうなれば、本社からも認められこの先の私の生活も安定する。つまりは自分のためだ、ということだな」
「やっと笹原さんの心の声が聞こえましたよ」
 確かに、先ほどまで支配人の笹原さんはちょっと厳つい顔つきをしていた。何かせっぱ詰まったような印象を受けたのだ。
 だが、羽賀とのショートコーチングの会話で、最後は心の奥に詰まっていた何かが飛び出したのだろう。笹原の顔には安堵の色が見え始めたのだ。
「なるほど、これが自分の本音を出す、ということなのだな。こういった環境をつくり出すことが、今回の研修の狙いでもある。お二人には本当に期待していますよ」
 支配人の最後のセリフは先ほどとほぼ同じ。だが、その言葉の中にはすべてをゆだねる、信頼性の高い意味を感じ取ることができた。
「はい、ぜひやらせて頂きます」
 羽賀のセリフである。私はこの男から一歩も二歩も出遅れてしまったことを痛感した。しかし、コンペでは負けないわよ。採点するのは受講者の二十名。今度はここをターゲットに、私の本領を発揮した研修を提供するわ。見てなさいよぉ〜っ!
「よし、これで完璧だわ。私の今までの研修実績の全てを凝縮させたわよ」
 ホテルでの打ち合わせのあと、私の頭の中は研修プログラムの組み立てていっぱいだった。なにしろ、今回の仕事を獲得すると、収入と実績はかなり大きなものになる。しかも、私は負けず嫌い。羽賀というライバルがいるおかげで、今まで以上に私の心は燃え上がっていた。
 そして迎えた研修対決の初日。私はいつになく心がはずんでいた。
「いよいよだわね。よろしくお願いしますよ」
 私の目の前には、長身の男、羽賀が立っていた。その顔はこの前見せたものと同じく妙に笑顔がはまっている。
「はい、ファシリテーターとしては大先輩の堀さんですから。ボクも精一杯がんばりますので、お互いにいい結果を残せるようにしましょうね」
 とても今から対決する人間のせりふとは思えない、余裕のある言葉。これは自信に裏打ちされていないと出てこないはずだ。
「では堀さんは五階の会議室へ、羽賀さんはこの四階の会議室でお願いします。私は今日は羽賀さんの研修を受けさせて頂きますのでよろしくお願いします」
 副支配人の坂崎さんはそういうと、軽く礼をした。
「あ、坂崎さん。プロジェクタの準備はできていますか?」
 私は念のため坂崎さんに確認をとった。
「えぇ、言われていたプロジェクタとホワイトボード、それに机の配置はできています。ところで羽賀さんの方の準備はホワイトボードだけでよろしかったんですよね。机は動かさなくていいということでしたが」
「えぇ、確か通常はロの字の配置になっているということでしたよね。そのままで結構ですよ」
 ちょっと耳を疑った。研修をやるのにホワイトボードだけ? しかも会場は普通に会議を行う形状のロの字の配置? 私だったら、とてもそんな状態で研修を行おうとは思わないわ。
「では今から二時間、よろしくお願いします」
 坂崎さんはそういうと、羽賀と一緒に研修会場へ消えていった。
「ま、相手のことなんかかまってられないわ。私は私のやり方で研修をやり遂げるだけ」
 自分にそういい聴かせて、気分を新たにして研修会場へ向かった。
「初めまして、堀みつ子といいます。今から二時間、研修でご一緒させて頂きますのでよろしくお願いします」
 研修会場に入り、支配人から簡単な挨拶と私の紹介があったあと、私は精一杯の笑顔と元気で研修を受ける十人に向かってこう挨拶した。
 さて、いよいよ研修のスタート! 私はスイッチを切り替えて、いつも通りの明るいトーンで言葉を発し始めた。
 まずはアイスブレイク。研修を受ける人は、最初はたいてい気合いを入れてくるか仕方なしにそこにいるという、対極的な雰囲気を持っている。その雰囲気と表情をほぐすために、研修前には必ずアイスブレイクを入れて、緊張をほぐすようにしている。二時間の研修でも、ここには最低でも十分はかけるようにしている。これをやったのとやらないのとでは、研修の効果は格段に違うのだ。この時点で、研修メンバーには笑いが多く見られるようになった。よし、つかみはOK。これからいよいよ本番だぞ。
 そのあとは、ファシリテーションについての講義を少々。ここではプロジェクタと同じものをレジュメにした資料を基に、ファシリテーションの概念について説明を行った。アイスブレイク後で気持ちが高まっているため、全員が目を輝かせてこちらに注目しているのがよくわかった。よし、これもOK。
 続いて演習に入る。まだろくにファシリテーションの技術も持たないまま、うまくいかない会議をやってもらうのだ。
 実はこれが私の研修スタイル。まずは自分たちで答えを導き出し、その後私が持っている専門知識を受講者に与える。最初から講義で全ての知識を与えたところで、話の半分も頭に残っていない。それを防ぐために、受講者に問題意識を持ってもらい、そのあとに専門知識を与えるのだ。そうすることで、スポンジが水を吸収するように知識を吸い取ってくれる。
「このような意見が出ましたね。ではファシリテーションではこれらを解決するためにどのようにすればいいのかを解説します」
 こうなると、全員が興味津々。私がホワイトボードに書くことを全員が必死になってメモをしている。ここまではいつも通りの食いつき。
 ところがここで一つ問題発生。
「堀さん、すいません。どうしても聞きたいことがあるのですが」
 受講生の一人の男性から質問があがった。
「はい、なんでしょうか」
「ちょっと思ったのですが、今ここにあがっている問題点とその解決方法って、一つの理想論だとは思います。けれど、実際の会議でこれらが全部実行できるとはとても思えないのですが。特に最初にやっていただいたアイスブレイク。あんなのを毎回の会議でやるなんていうのはちょっと現実離れしていると思います」
 でた〜っ! 会議で必ず一人はいる困ったちゃん。その中の「出た意見に対してなんでもいいからいちゃもんをつける」というやつだ。
 年の頃なら五十前後。たたき上げでホテルマンを経験してきた、そんなプライドがぷんぷんにおう男性である。普通の人だったら、ここで「そんなことはありませんよ」などと反論をするところだろう。
 だが私はプロのファシリテーターである。ここでの対応が研修講師としての力量をはかられることになるのは間違いない。しかも、今回は支配人の目もある。ここでちょっと思い切った行動に出てみることにした。
「ではこの件について皆さんでディスカッションしてみましょう。そうですね。二グループに分かれてのワークショップ形式です。ちょうどここ、真ん中から二つに分かれて、机を移動して二つの島をつくりましょう」
 全員が私の指示通りに動き始めた。移動が落ち着くと、再び私の指示。
「それぞれのグループでファシリテーターを一人決めてください。せっかくですから先ほどまでディスカッションした技術を試してみたいという方、ぜひグループ内で立候補してください」
 最初は遠慮しあっていたが、グループ内の誰かに推薦される形でそれぞれのグループのファシリテーターが決定した。
「ではテーマは『理想の会議を実行させるには』。これが会議の目的になります。そして結論としては『理想の会議を成功させるための工夫点を出す』これにしましょう。時間は二十分。ホワイトボードを十分活用してくださいね」
 そう言うと、私はストップウォッチを片手にスタートの合図。二十分間は傍観することにした。各グループとも最初はしどろもどろで始まったが、先ほどホワイトボードに書き記した私の解説と、プロジェクタで説明した内容が書いてあるレジュメを参考に必死になってファシリテーターが会議を進めている。その様子の中から気になる点をメモしていった。
「はい、二十分経ちました。まずはファシリテーターの方から、どのような結果になったかを発表してください」
 最初のグループ、そこには先ほど質問をした男性が含まれていた。
「はい、私たちのグループで話し合ったこととして……」
 どことなく教科書通りの回答ではあった。そのほとんどが私のテキストに書かれている内容であった。だが、教科書をただ読んだだけの回答ではなく、考えに考えた結果ここに行き着いた、そんな感じがうかがえた。
 続いて二グループ目。ここには支配人が含まれていた。
「私たちのグループも基本的には同じですが、違う意見も出たので発表します」
 このグループでファシリテーターを勤めたのはフロア係の女性。若いけれどしっかりとした口調で説明を始めた。
「理想の会議を実行させるには、まずその理想の形というのを明確にしないといけない、ということが私たちのグループの意見です。そのために、まず理想の会議スタイルをこのホテルで作り上げる必要があると考えました。残念ながら時間がなかったので、その理想の形を作るまでには至りませんでした」
 この意見には私もびっくり。ここまではっきりとした答えが出されるとは。
「ではここまで学んできたことをおさらいしましょう」
 私は残り時間を気にして、最後のまとめに入った。
 レジュメの最後にまとめて書いてある部分についての解説を行った。そこには今日私が伝えたことが書かれてある。が、残念ながら最後に出された意見についてはそこには記されていない。その部分をフォローするために、ホワイトボードにこう書き記した。
 『会議の理想型を自分たちの手で作り上げる』
 ここで私が答を用意していないからといって、この項目を取り上げずにいると参加者から不満が出るのは明らか。それを防ぐためにも、会議の上では出された意見を必ず採り上げるのが鉄則である。そのことを追加して全員に伝えたところでタイムアップ。このあと、支配人の手からすぐに私の評価シートが配布された。これについては、内部資料とさせてもらうということで、私の目には触れることはない。なかなか厳しい評価になりそうだ。
「ふぅ、思ったより緊張したわ。あのオヤジのおかげで予定の研修がかき回されちゃったじゃないの」
 研修が終わって、一階の喫茶店で一息ついていた。そのとき、あの羽賀が彼のエージェントの唐沢という男と一緒に喫茶店に登場してきた。
「あ、堀さんじゃないですか。今日はお疲れ様でした」
 羽賀は笑顔でそうあいさつ。私は少し疲れていたせいか「あ、どうも」という返事しかできなかった。
「あれれ、天下に名高いファシリテーターの堀さんが、結構疲れていらっしゃるじゃないですか」
 そう言ってきたのは、羽賀の連れの唐沢という男。どうも私には合わないタイプだわ。
「唐沢、からかうんじゃないよ。研修ってやつは結構体力使うんだから。おまえだって知ってるだろう」
「羽賀、そういうおまえはそんなに疲れているようには見えないけど。ちゃんと研修やってきたのか? オレが見ていないからって、手抜きしたんじゃねーのか?」
 唐沢の言うとおり、確かに私の目から見ても羽賀は疲れたようには見えなかった。いや、疲れているどころか今からでも研修をやるぞ、という気力に満ちあふれた態度であった。
「ま、ボクの場合は研修といっても研修じゃないからね。おそらく、今日一番楽しんだのはボクだと思うよ」
 え、研修を一番楽しんだのは自分だって? 一瞬耳を疑った。
 今まで、研修を受ける人がどれだけ楽しみながら関心を寄せてくれるか、そこに気を遣いながらやってきたつもりだ。そのため、研修後は人一倍の疲れを感じる。だが、この羽賀という男は疲れていないどころか、一番研修を楽しんだ、なんてことを平気で言ってのける。私にはそこが理解できない。
「堀さん、今日の手応えはいかがでしたか」
 羽賀と唐沢は隣のテーブルに着き、私にそう尋ねてきた。
「ま、こんなもんじゃないかな。ちょっとアクシデントがあったけどね」
 余裕を見せるために、こんな返事をした。
「アクシデントか。そう言えばボクのところでもあったな。突然一人の人が『こんな研修を受けても、理想通りの会議なんて開くことができるんですか』なんてことを質問してきて」
 え、どういうこと? それって私の時と同じ質問じゃない。
「そ、それで羽賀さんはどうやって対応したの?」
 あわてて羽賀の研修の時の対応を聞き出そうとした。
「え、ボクですか。いやぁ、そんなこと考えもしなかったので素直にこう言いましたよ。『そうですね、それも一理あるな』ってね」
「で、それからどうしたのよ?」
「それからですか? えっと……確かこう伝えましたよ。『別に全部の技術を使わなくてもいいんじゃないですか。かえって今までのやり方の方が良い点もあるし』ってね」
「それで?」
「それでって、それで終わりです。それがどうしたんですか?」
 なるほど、読めてきたぞ。ホテル側は私と羽賀の両方に同じような質問を仕掛けて、その対応方法を比較したに違いない。だから、評価シートを私に見せなかったのだ。となると、次回も同じような仕掛けをしてくるに違いない。
 でも、今日の羽賀の対応、これはどう考えても私の勝ちでしょ。私は質問に対して深堀をしていき、ついでにファシリテーションの実習までやってもらった。その結果、予想外のアイデアが飛び出したのだから。それに対して、羽賀の方は質問を軽くこなしただけでおしまい。印象の差ははっきりしている。
「ありがとう。さっきの答え、私の参考になったわ。次回もお互いしっかりと研修していきましょうね」
「ありがとうございます。次回も全力で楽しんできますね」
 羽賀は笑いながらそう答えた。私は敵に塩を送るほど人間ができてはいない。今の言葉は『ご愁傷様』という皮肉を込めた言葉なのだ。
 そして二回目の対決の朝。
「よし、これで完璧だわ。前回よりもさらに工夫を凝らしたし、前回のような質問がきても、どのようにも対応できるはずだわ」
 ほぼ徹夜で仕上げた自分のスクリプトを見て、悦に浸っていた。これ以上のファシリテーション研修、やれるものならやってみなさいよ。羽賀がどんな手法を使ってきても、私はびくともしないわよ。
「さて、そろそろ行きますか」
 シャワーを浴び、化粧をして、スーツを身にまとい、研修の時に愛用しているバッグを肩から提げ、戦闘スタイルに変身。堀みつ子、ここからが勝負だぞ。
「では二回目の研修を始めます。受講生が交替して、今回の研修の評価点をつけてもらいます。一回目と二回目の合計点をもって、研修講師を決定させて頂きますのでよろしくお願いします」
 副支配人の坂崎さんが私と羽賀の二人にそう伝えた。
「今日もよろしくね、羽賀くん」
 今日は私の方から羽賀へ握手を求めた。私なりの宣戦布告だ。
「あ、こちらこそ」
 予想外の行動だったのか、ちょっとビックリして握手を返す羽賀。
「よし、今日もがんがんいっちゃうぞ!」
 そう言うと、張り切って研修会場へと向かった。
「はいっ、みなさんこんにちは!」
 テンション高く、妙に張り切った研修を開始した。このテンションに最初はついていけない人もいたけれど、アイスブレイクをした後は雰囲気がこっちに引っ張られている。よし、第一関門クリア。
 今回は最初からワーク形式のものを取り入れてみた。おかげで楽しみながらファシリテーションの要点を押さえてもらうことができた。
「それでは今のワークの振り返りをしてみましょう。振り返って頂く項目は二点です。一つ目は、自分がどのような意見をどのような場面で出したのか。二つ目は、自分が思わず発言してしまった要因は何か。話し合いの時間を十五分とります。ではスタート!」
 この時点で、すでに私のマジックにかかっている参加者。今話し合って出された答え、それが会議において発言を促す技術そのものになる。その答えを私からではなくワークを通して自分から見つけさせようというものだ。だが、ここで思いも寄らない言葉を耳にした。
「これって、前回羽賀先生がやったことと同じような答えだよね。確かここにメモしてあるよ」
「うん、今日も羽賀先生から教わったことを活用したら、たくさんの意見が出てきたのよね。やっぱりうまくいくものね」
 そうか、よく考えたらこの人達って羽賀の研修を前回受けているんだわ。ということは、会議で意見を引き出す方法もある程度把握している。しまった、その点に気づかなかった。けれど、それは致命的なダメージにはならないはず。問題は研修をいかに効果的に進められるか、それが一番のポイントよ。それに、羽賀の方だって条件は同じなんだから。落ち着け、落ち着け。
 十五分間の話し合いの後、出された意見を全てホワイトボードに書き記した。よし、これでまとめに入ればばっちりだわ。
 と思ったときに、またもや予想外の質問が飛び出した。
「堀先生、一つ質問があるのですが」
「はい、なんでしょうか」
「あまりにも意見が出すぎて、それが元で意見の対立が起こったときにはどうすればいいのですか?」
 おっ、出た出た。きっとこれが今回の私と羽賀に出される共通の課題ね。この質問は頻繁に受けているので、難なく答えられるわ。
「この場合はですね……」
 すらすらっと説明を始める私。この意見の対立、コンフリクトの解消方法はいろいろあるけれど、私なりの経験からお奨めの方法がある。今回はそれを強調して説明を行った。だがここで予想もしなかったことが起きてしまった。
「おいっ、おいっ」
 よく見ると、一人の男性が斜め前に座っている男性をつついている。なぜ男性はつつかれたのか。なんと、こっくりこっくりと居眠りを始めてしまった。
 うわっ、失敗したっ。今まで研修では眠るような人を出さないのが自慢だった。だが、今回はコンフリクトの解消方法の説明があまりにも長すぎたようだ。調子に乗ってしゃべってしまったなぁ。そして研修終了。
「では、この結果は明日にもご連絡できると思いますので」
 今回私の方の研修に参加した副支配人の坂崎さんが私にそう伝えた。この時点で少し落ち込んでいた。最後に居眠りを出してしまうとは。
「堀さん、なかなか楽しくて学びのある研修でしたよ。あのような研修だったら、みんな飽きずに学んで行けそうですよ」
 坂崎さんは私にそうコメントしてくれた。このコメントは救いだわ。まだ望みがあるってことよね。坂崎さんにお礼を言って、一階の喫茶店へ向かった。ちょっとお茶でも飲んでいかないと、この不安な気持ちは落ち着かないわ。
「ミルクティー、ホットでおねがい」
 オーダーを済ますと、思いっきり背伸びをした。ちょっと体に力が入りすぎたかしら。その背伸びをした手が、後ろに座っている人の頭にこつんと当たってしまった。
「あ、ごめんなさい」
 そう言って振り向いたときに目があった男。あの羽賀であった。
「あ、堀さん。今日はお疲れ様でした」
 声を先にかけたのは、羽賀の方であった。
「あ、羽賀くんか……お疲れ様」
 私は、気持ちの上では本当に疲れていた。そのため、返事もおざなりのものでしかなかった。
「あれ、堀さん。なんだか思い悩んでいるように見えますが」
 羽賀は背中越しに私の顔を見て、そう言ってきた。
「わかる……ちょっと失敗しちゃってね」
 普段は的に弱みを見せるようなマネはしない私。けれど、今は本当に疲れていたんだろう。本音がぼそっと出てしまった。
「失敗かぁ、それならボクも今日ちょっとやってしまったからな」
 羽賀がそう答えた。そのとき、無性にそのことを聞きたくなった私。お冷やを持って羽賀のいる席へススっと移動して、こう質問した。
「ねぇ、よかったらその失敗談聞かせてよ。私も今後の参考になるしさ」
「えぇ、いいですけど」
 羽賀はこう言って、自分の失敗談を話し始めた。羽賀の話はこうだ。
 今回の研修課題は「会議で自発的に意見を出すための環境作り」であった。これについては、羽賀もある程度の答えを持って来ていたようだが、ここで例の共通課題「意見の対立が起きたら」という質問が出たとか。
「で、羽賀さんはどう答えたの?」
「えぇ、ここで失敗したんですよ。『あなただったらどうしたいですか』って、質問返しをしたんです」
 え、そのくらいだったら私でもやるわよ。しかし羽賀はこう続けた。
「そしたら、質問した方が『それがわからないから質問しているんです。まじめに答えてください』って怒っちゃったんですよ」
 ふんふん、それなら私も経験あるわ。
「で、どう答えたの?」
「ボクはどうやら根っからのコーチみたいですね。ここでさらに質問を加えちゃったんです。『ではあなたが意見を対立させていたら、どうして欲しいですか?』って。そこから脱線しちゃって、後半はその話題でみんなでディスカッション。結果的に、本題である『意見を引き出す環境作り』の話はどこかにいっちゃって。どうもボクは研修講師には向いていないなぁ」
 なるほど、そういうことか。研修の本題を脇に置いて、途中に出た質問に集中して講義を進めちゃったのね。
 ちょっと安心した。私から見て抜け目のない完璧さを見せていた羽賀も、こんなところがあったんだって。でも、逆を言えば彼は立派なコーチだわ。今回のテーマがグループコーチングなら、私もそうやっていたところだもん。
 ここで羽賀がちょっとおかしなことを言い出した。
「今回の研修対決、ちょっと裏がありそうな気がするんですよね」
「裏? なによ、それ?」
「これはあくまでもボクの直感なんですけど。四星商事はこの研修を通して、このホテルグループの組織改革に乗り出そうとしているんじゃないかって」
「よりよい組織にするんだったらそれに越したことはないんじゃないの?」
「そうじゃないんです。ホテルチェーンのシーザスグループは、どうしても安いホテルのイメージから脱却できていないのが現状です。しかし、一部の幹部の中には高級ホテル市場への参入も意見として出ています」
 羽賀はどこからそんな情報を? 私はさらに羽賀の言葉に耳を傾けた。
「今回は四星商事と組んで、新しい体制でこのホテルができました。これを成功例として、シーザスは高級路線へと走ることになるでしょう」
「それのどこがいけないの? 悪いこととは思わないけれど」
「それで社長や幹部がごっそり入れ替わっても?」
「まさか、そんなことは……」
「ありえるんですよ。四星商事なら。おそらくは一年くらい経ってこのホテルの業績が成功したら、それをダシに四星商事はシーザスへ高級路線のホテル建築を促すでしょう。もちろんタダではありません。増資をおみやげにね」
「それと私達の研修対決がどう関係するの?」
「今回、おそらく講師として選ばれるのは堀さんです。ただし、条件付きでね」
「条件って?」
「その前に、どうして今回わざわざボクとの対決にしたと思いますか?」
「そりゃ、羽賀くんのところの唐沢さんだっけ、彼が売り込みをしたからじゃないの? そう聞いているけど」
「違うんです。誰か講師がいないかと聞いて来たのは副支配人の坂崎さんの方なんです。支配人の笹原さんは、その話に乗っかるような形で同意をしただけ」
「つまり、四星商事が場を支配した、と?」
「ボクはそう読んでいます。これは後からわかった事実なんですけどね。で、肝心の条件とは、おそらく今後ファシリテーション研修についてはシーザスグループ専任でお願いしたい、ということになるでしょう」
「そりゃ願ったりだわよ。こっちはわざわざ営業しなくても仕事になるんだから。というより、それを狙って今回この仕事を取りに行こうとしたようなもんだし」
「堀さん、それでずっとシーザスの、いや裏で仕切っている四星商事に飼い殺しされてもいいと?」
「飼い殺し? どういうこと?」
「逆を言えば、シーザスの仕事以外はやってはいけない、ということなんです。さらに、研修の内容に対しても徐々に注文が入るでしょう。こういう要素を取り入れてくれ、と。それで徐々に社員を洗脳していく。講師もお金になるから、さらには契約をしたからということでその条件を受けざるを得なくなる」
「ちょ、ちょっと、冗談じゃない。私のスタイルを崩されてたまるもんですか。でも待ってよ。どうしてそこまで言い切れるの? 何の根拠もないんでしょ?」
「根拠ならあります。これです」
 羽賀は一枚の写真を私に見せた。それはメガネをかけた男と副支配人の坂崎さんが何やら話をしている様子が写されている。
「この男は?」
「四星商事営業部の軽部くんです。ボクの以前の後輩になります。もしやと思って唐沢に坂崎さんを張らせたらビンゴでした」
「どうしてこの二人が会うのが証拠になるの?」
「実は、今回のシナリオ。ちょっと母体は違いますが、私が以前レストランチェーンを無理なく買収しようとしたときに立てたシナリオと全く同じなんです。あのときは研修講師ではなく、コック対決を舞台にしていましたが。そのシナリオは一度ボクが取り下げたんですが、プロジェクトから外されてそのまま進行してしまいました。その結果……」
「その結果?」
「レストランチェーンは一年後に四星商事の手に渡りました。そして経営陣もそっくり入れ替えです。もうそんな悲劇は繰り返したくないっ」
 羽賀は机にうつぶして、拳に力を入れてそう力説した。
「羽賀くん……じゃぁ、私達にできることって何なの?」
「堀さん、それを一緒に考えたいんです。力になってくれますか?」
 これについては、一瞬考えた。今後の仕事の安定を考えると、四星商事に乗っかってもいいかという気持もあった。だがそれが楽しいかどうか。このとき、前回の研修後に言った羽賀くんの言葉が頭に響いた。
「今日一番楽しんだのはボクだと思うよ」
 うん、そうよ。楽しくなくちゃ。学ぶ方も教える方も、楽しくないと本当に必要なことは伝わらない。それを誰かの言いなりになってやるなんて、意味ないことじゃない。
「わかった、一緒に考えよう」
「堀さん……ありがとう」
 気がつくと、二人で手を取り合って握手をしていた。羽賀くん、なんだかとても安心できるし信頼出来る。そんな感じがした。
 翌日、早速羽賀くんの事務所へ足を運び、もう一人の男唐沢も一緒になって対策を考えた。そして出した結論がこれ。
「この仕事、ダブル講師でいくということにしましょう。内容もファシリテーションだけでなく、コーチング要素も取り入れる。それぞれでパートを分担して行う。これならば向こうからの条件が出ても断ることが可能になる。じゃぁ早速その企画書作成にとりかかりましょう」
 私のファシリテーションで、短い時間でここまで結論が出せた。もちろんは羽賀くんも唐沢も優秀なおかげでもある。
 おかげで企画書も翌日には完成。そして二人して乗り込むことになった。
「まさか、二人お揃いでおいでになるとは思いませんでした」
 支配人の笹原さんは驚いた様子だった。それ以上に驚いた顔をしたのは、副支配人の坂崎さんである。私たちは早速こちらの提案を伝えてみた。
「なるほど、よく考えたら最初から対決などせずに、二人で力を合わせることをお願いすればよかったのか。それは気づかなかった」
 笹原さんは私たちの提案に大いに納得。しかし、坂崎さんはいい顔をしない。
「支配人、予算の関係もありますし……」
「何を言っておる。予算はちゃんと当初の通りの見積で出してくれているじゃないか。問題はないだろう」
「いや、しかし……」
 坂崎さんはそれ以上声にならない。どうやら羽賀くんの言ったことは本当のようだ。坂崎さんは慌ててこんな事を言い出した。
「我々としては、全国でのシーザスグループの社員研修を今後お任せできる方をと考えていましたので。できればどちらかの方のほうが……」
「なぜ二人じゃいかんのかな? その方がよりよい研修になるじゃないか」
「あ、いや、四星商事としてはですね、えっと……」
 坂崎さん、シナリオにない展開になったのでどうにもしどろもどろ。見ていてちょっとおかしくなってきちゃった。
 ここで羽賀くんがさらに追い打ちをかけた。
「全国でのシーザスグループの研修、ありがたいお話ですが辞退させていただきます」
「ど、どうしてだ?」
「ボクも堀さんも、地元に根ざした仕事がしたいんです。全国を飛び回るのも悪くはありませんが、まずは地元の活性化から。そのためにはまだまだやるべきことがたくさんあります。これは二人で一致した意見です」
「そ、そんな贅沢を言える立場なのかっ!?」
 坂崎さん、言っていることがしどろもどろ。私達のような仕事は確かに安定したものを求めたがる。けれど二人でそこも話し合った。そもそもこの仕事をやっている目的ってなんなのだろうって。そして出した結論が、今羽賀くんが言ったことだった。
「坂崎くん、いいじゃないか。私は逆に、素晴らしい二人の講師を迎えることができて幸せだよ。このホテルは素晴らしいものになる。お二人とも、よろしくお願いします」
 こうして羽賀くんとのつきあいが始まった。今まで一匹狼で仕事をしてきた私。エージェントの楠田はいるけれど、彼はお金だけのつきあいだったからな。これからはなんでも話ができる、心強い仲間ができたって感じ。
 うん、決めた。私は日本中に名前を響かせるファシリテーターになる。そして羽賀くんを日本中に名前を響かせるコーチにしてみせる。あ、ついでだけど金魚のフンの唐沢もちょっとは名前を上げてあげるか。
 この日から、また新しい気持で仕事に向かえるようになった。誰よりも自分が楽しむ。これがこのチームの合言葉になりそうだ。

「なにっ、シーザスグループの買収計画が失敗しただとっ!」
「も、申し訳ありません。まさか、羽賀先輩が当て馬になっていたとは知らなかったもので……」
 四星商事役員室。その部屋には専務の畑田と彼の部下である軽部がいた。
「それにしても、また羽賀のやつに邪魔されたか……あいつをどうにかせんといかんな。おい、軽部っ」
「はいっ」
「羽賀を合法的に追い詰める策を今すぐ考えるんだ。いいか、あいつが社会的に抹殺されれば、我々の仕事もスムーズにことが運ぶ。ただし、暴力や圧力であいつを押さえつけても無駄だ。よいか、合法的に、だぞ」
「わ、わかりました」
 畑田専務から無理難題を押し付けられた軽部。しかしその目は決して死んではいない。いや、むしろ嬉々としてさえいる。
 役員室を出た軽部。早速どこかへ電話を入れた。
「あ、軽部です。少々お知恵を拝借したくてお電話いたしました。えぇ、今からお伺いしたいのですが。はい、ひょっとしたら兵隊を数名お貸しいただくことになるかと。詳しくは後ほど。よろしくお願いします」
 軽部は電話を切ると、ニヤリと笑った。
「よし、今度こそは成功してみせる」
 軽部の野望。それは一体……?

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