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第三回 / わたしの(芝居への)異常な愛情/その1

スタニスラフスキー師の著作は当初「俳優修業」というタイトルで日本語訳が出てました。
それにあやかって「(令和の)(50代の)俳優修行」をつらつら書きます!
そのうち本にしたいなあ。


2019年5月


劇団小林組プレ旗揚げ公演「烏賊ホテル」

フライヤーデザイン:内田 宇則 

なにしろ組員4人ともほぼ未経験で、さあ、どうする?!

11月の企画立ち上げから6ヶ月間「この役はなんでこんな事言うんだろう?」の追求しかしなかった。
結果、本番一週間前になっても誰もセリフが入ってなくて、演出を頼んだ高森さんがアタマを抱えた。

何回か原田大二郎氏に稽古を付けて貰った。我々アラフィフの鼻ッタレは毎回大天狗殿にこてんぱんにしごかれた。これは今でも私の大いなる財産になっている。大二郎さんの本読み、間近で観られないよ普通は。
しかも初見でめっちゃ面白いんだよ。どうなってんだよ。

大天狗殿と劇団小林組

幕開けすら危ぶまれたがしかし、公演自体は大好評の大盛況。
私はとても興奮した。
しかし、自分の芝居が上手くいったかどうかは自信がなかった。松尾氏加藤氏菅原氏はそれぞれ素晴らしく魅力的な演者だが、私は…?
ヤカラな不動産屋さんの役だった。私自身にはヤカラな要素がまるでないので、割と苦労した。
苦労している私を見て、加藤氏は不思議だったそうだ。
「敬さん無頼かと思ってた」
違うのだ。そして、自分に馴染みのない要素をどう実装するか、まるで見当も付かなかった。その点加藤氏は見事だった。全く心が動いてなくても、ガンガン心が動いている様に見せることが出来る。これが技術か、と思った。
菅原氏は、加藤氏と全く別の方向性で見事だった。私と同じほぼ未経験なので技術らしいものは装備していない。そして小林組の「烏賊ホテル」は菅原氏のモノローグから始まるのである。本人はしきりに「やべええなああああ」と嘆いていた。確かに、フツーはやめとけ、である。
ところが菅原氏は、明かりが付いて一声発するだけでお客様を引き込んだ。私は袖で「よし!いただいた!」と思ったのをよく覚えている。小林組版「烏賊ホテル」は彼が主役なのだ。
これを執筆している5年後の今でもその状況は変わっていない。加藤氏は、菅原氏が主役のホン以外書けなくなった。当の菅原氏は演劇/映像関係者から「技術は全然ないのに、物語を引っ張る力が群を抜いている」とか「何も考えずにごちそうをばらまけるギフテッド」とか評されている。

一方の私は本当に途方に暮れていた。やるしかないのだがやり方が分からない。とりあえず、役の言動をとにかく理屈で理解しようと試みた。ところがその技術もないので、中途半端にアタマ、破れかぶれで本番、という具合だったと思う。舞台上で感情がこみ上げてきて泣き喚きたくなったのを必死に堪えたりした。つい自分に返ってしまう瞬間がないではなかったが、とにかく無我夢中だった。そして舞台自体は大ウケだった。
(と、思う)
ウケた(ような気がする)ことが、本当に嬉しかった。
アーティスティックな隠れ家、というか、決して広くはないアトリエが会場だった。お客様にはぎゅうぎゅうに詰め込まれていただいた。
狭ーい空間での高密度演劇の追求。これが私の生きる道に違いない。そう思った。

舞台だし、記録映像はないしで、記憶の中ではどんどん美化されるのだが、観て頂いたお客様にはご満足いただいたのだろうか?
当然というか残念ながらというか、私の耳にはほぼ良い評判しか聞こえてこない。

精一杯客観的になると「鎌倉という土地で近所の遊び仲間の中年男性が演劇に情熱を燃やす」のは何らかのヴァリューがあるかもしれない。お求めやすいチケット価格で、近所のお客様同士の社交の場としても機能させられるかもしれない。たくさんのひとが協力的なのも大きなプラス要素。
と、まあ「烏賊ホテル」の価値は客観的にはそれぐらいだろう。
個人的には、奇跡の大傑作だと思っている。たまたま見れた人は自慢していいと思っている。今でも。


2019年10月

tommy's project vol.1「サヨナフ」にお呼ばれ。まわり全員専業のプロじゃねえかあああ、と気後れした。
鎌倉でしか舞台に上がったことがないのに、赤羽の芝居に本当にたくさんお客様来てくれた。
大竹野正典氏の「サヨナフ」は大好きな戯曲。一読してしばらく立ち直れなかった位大好きな戯曲。上演に参加できて嬉しかった。そして同時に、小林組でもやりてぇなあこれ….と云う欲望が私の中で渦巻き始めた。

赤羽サヨナフの楽屋にて。タクシー運転手2なのでここを怪我している。
結局3冊とも買った

2020年2月

2019年5月に旗揚げ。実験的なアトリエ公演を9月と11月の2回打って、大盛況の大成功で我々はますます調子に乗ったまま年を越して、2020年になった。

アトリエ公演/撮影:加藤多美
アトリエ公演/撮影:加藤多美
アトリエ公演/撮影:加藤多美


お客様兼友人達も「お前らマジで売れそうだな頑張れ」とか熱のこもったお世辞を言ってくれた。
私は燃えに燃えた。自分の芝居は相変わらず五里霧中状態だったが、お客様からお代を頂くという絶好の機会を重ねていけば、嫌でも成長できるだろう、と思っていた。
ジミー・ペイジがレッドツェッペリンの最初のセッションを振り返って「全員にとって人生が変わるような経験だった」と言ってたという話をしきりに思い出していた。小林組の4人は控えめに言ってもツェッペリンぐらいの奇跡だと思っていた。

燃え盛りながら3回目のアトリエ公演を準備していた2020年の2月。
コロナが来た。

私は「こんなショボいウィルスに対して米中の二大大国が大慌てしているのは、何か容易ならざる事態が起こっているに違いない」と思った。

予感は当たった。

私が人生を賭けて追求しようとしていた「密室的な劇場にお客様をパンパンに監禁してストレートプレイをお見せする」が、全く不可能になったのだ。

おまけにPrayersStudioは対面でのワークショップを全て休止した。世相を考えれば当たり前だが、これも私には大きな痛手だった。目の前に居る人間に対して、気後れを乗り越えて本当の声を伝える訓練がどうしてもまだ足りない。さあ、どうする?代わりになるモノなどあるのか?

2020年5月

公演も一切打てないPrayersのBasicクラスにも行けない。そんな喪失感から自暴自棄になった。致死率50%越えの凶悪なウィルスならまだ納得は行ったのだが….。
そんなとき、「sunset drive」で知り合った荻久保氏が「サヨナフはZOOMでできるんじゃないかな?」と言ってくれた。
なるほど!
私は小林組版サヨナフZOOM配信公演の準備を始めた。
私は心中密かにこれを「ズムナフ」と呼んでいた。

客演として、岡ゆかり氏、桑原文子氏、Aya氏、眞田規史氏を招いた。
岡ゆかり氏は、鎌倉アクターズワークショップで加藤氏とは旧知の仲だった。2019年3月の「凪の剣」での芝居が大変魅力的で、私の印象に強く残っていた俳優だった。

岡ゆかり氏 / 撮影:加藤多美

桑原文子氏とは、かって鎌倉に一瞬だけ存在した「劇団5月13日」のワークショップで出会った。極端なまでの礼儀正しさと、秘めたる内圧の高さのギャップに驚いた。やはり私の印象に強く残った俳優だった。

桑原文子氏 / 撮影:加藤多美

眞田規史氏とは、甲冑演劇「鎌倉四兄弟」で出会った。あの座組唯一のプロの俳優だった。年少の大先輩として、出会ったときから今まで、私の彼に対する尊敬の念は全く揺らぐことはない。

 眞田規史氏 / 撮影:加藤多美
ズムナフ稽古の様子

稽古の途中で松尾崇氏が組を辞めた。加藤氏は大変動揺していた。菅原氏は「ま、しゃーないねー」と流した。
私の所には「いちばん顔のいい奴を抜けさせるとはなんたるマヌケ」「全くフォトジェニックじゃない3人でこれからどうするのか」という苦言が寄せられた。
私の耳にそんな言葉が聞こえてくる位なのだから、水面下では知己のほぼ全員が「さすがの小林もこれで一巻の終わりだろうウヒヒヒヒヒ」と思ったに違いない。
ところが私は自分たちの行く末に何の不安もなかった。
ストーンズはブライアンが居なくなってから売れたし、スウェードもバーナードが居なくなってから売れたし、A.R.B.だってそうだ。
劇団はロックバンドではないが、大きな穴が開けば、より大きな何かが入ってくるのが世の常ではないか。
松尾氏の後任として、いっしー氏を招いた。氏はやはり鎌倉アクターズワークショップで加藤氏と旧知の間柄。あまりにもあっさりと「NKSBの会」のアンサンブルに溶け込んでくれて驚いた。

いっしー氏 / 撮影:加藤多美

小林組版「サヨナフ」は、こうして始まったのだった。

(続く)
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