どこにでもいる

最近、体験型のエッセイが気になる。

その人がいた村のはなしや家庭のはなし。
宗教や会社や学校。
事件や事故や病気。
結婚、出産、子育て。

そのどこにでもいると言われる人の
普段聞けないはなしに心をつかまれる。

私は人のはなしを具体的に聞きたい。
しかし、そんなこと聞くなんて失礼だ。とか。
失礼かなとかを考えるようになって
あまり聞けなくなった。

聞くというのは保守的に耳を傾けるということもあろうけれど
私の聞くは攻撃的な聞くだ。

知りたいの欲求で聞いてしまうのだ。
どうして。なんで。それってなに。

普段の生活で聞けることはなかなかない。
ちょっとでもチャンスがあれば飛び込むけれど。

だから、体験型のエッセイを読むと今まで聞けなかった
あれやこれやがあふれていて夢中になってしまう。

そして、どこにでもいる人。平凡でなんのとりえもない。
と言われたり思われていたりする人。
(と、自分自身が自分の事をそう思っている人)
がとてつもないパワーで日々を生きていることを知る。

それは、いわゆる情熱とかポテンシャルとか何かを成し遂げる系の
パワーとは違うんだけど。
生きるっていうのはそれだけで興味深いことだよな。やっぱり。
と静かに感動してしまうのだ。

だから、私が書いているこの、ちょっと思ったんですけど
というような文字もそれはそれで地味なパワーを発揮していると
思うんだな。そうなんだな。

どこにでもいる。
そんな大味に人を見てしまうけれども
実はそこにしかいない人ばかりなんだな。

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