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note開始から2週間、はじめての自己紹介

自己紹介は大事である。

記事を読んでおもしろいと感じればプロフィールに飛ぶだろう。
この文章を書いたのはどんな人であろうかと興味を持つ。
何を経験し、現在どんな状況に置かれていて、どこを目指しているのか。
プロフィールの少ない枠の中に書いてある情報だけではわからないことも多い。
もし固定記事で自己紹介があればひとまず目を通してみる。
それがごく自然な流れである。
その人となり(あるいは人生)を知ることでさらに別の記事も読んでみようという気になる。

だから自己紹介は大事なのである。

自己紹介記事を作っておけば、読者の理解は深まるし、また自分というキャラクターを知ってもらえる良い機会となる。Win-Win


note編集部も"まずは"自己紹介を書いてみようと言っている。
全くもってその通りである。異論はない。



自己紹介の書き方について丁寧に説明してくれている。
こうして公式が初心者をサポートしてくれているのはたいへんありがたい。

初心者のみんなはぜひ参考にしてみよう。



さて、ここまですでに周知の事実を書き連ねてきたわけであるが、誰か読んでくれているだろうか。

そしてもし読んでいるとするならば「それで、自己紹介はまだ始まらないのか?」という呆れとじれったさと退屈を感じてこの記事から離れようとしているであろう。
(もしくはもうとっくのとうに離れている。)

しかしながら、さっきふと「そういえば自己紹介書いてない。自己紹介って大事だよな」と思ったからこのような記事を書いているにすぎず、見切り発車であるからしてどんな自己紹介をしようかまだ検討すらしていない。
とりあえず走り出してみて、進みながらほどよい終着点を探そう。そういう試みなのだ。


noteは自由な場所だ。
自己紹介と題しておきながら自己紹介をしないのもまたひとつの形ではないだろうか。

だからこれはただの日記のようなもので、自分の内から出てきた言葉を出てくるままに、順番を気にせず並べていて、それが仮に自己紹介に辿り着けずにいたところで、誰に責められるということもない。

そして自己紹介が大事だと思ったから自己紹介をするのかといえばそうでもなく、僕はひねくれているから、あえてしないという選択をしている。

だから誰も僕のことは知り得ない。

ただ現時点でわかるのは、こうやって意味もなく言葉を並べて、書いている自分の時間と、投稿後にありがたく目を通してくれている読者の時間を奪っている僕は、どうしようもない奴だということだ。


それが僕の自己紹介であるのかもしれない。



(僕がnoteを始めたのはこんな無意味な文章を書きたかったからではないはずなのだが。わざわざcanvaでサムネイルまで作って...。)



では、また明日。



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