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実は難しいことじゃない~第9回子どもの権利条約ハンドブック逆引き読書会振り返り~

 閲覧ありがとうございます。年度末ってあっという間に時間が流れますね。教員の異動の発表が校内で聞くよりも早く新聞で出るようになって、ちょっと戸惑ってみたり、特別支援教室の面談に同席した李、新入生の食物アレルギーの面談に同席したり、合間に身体計測の資料をいじってみたり。
もう、何屋さんなんだか、、、。さらに、こちらの準備も佳境でして。
(今年も現場に出るのはちょっとだけですが、お手伝いしてます)

ついでに、HIPPOのプログラムで娘がホームステイに出かけるので、その準備もあれこれしておりました。(すったもんだで出かけましたが、4月には帰ってきます)これはこれでいろいろかけそうなのですが、帰国してから書けるかな?

 さて、そんなさなかで行われた第9回子どもの権利条約ハンドブック逆引き読書会です。いつも本を振り返る間もなくおしゃべりが止まらないのですが、今回のテーマは「意見表明権・その2」前回、「同調圧力」「子どもの意見を形にする」がキーワードで出てきたので、そのあたりを、、、と話し始めたのですが、今回はなんと当事者である高校生ちゃんが出席してくれたのと、本の著者、木附先生も出席してくださったので、面白い話し合いになりました。

 例えば学校の中では多数派の意見が優先されがちで、「自分が少数派だったらどうしよう」という気持ちになる。多数派の意見を引っ張るのはいわゆる声の大きい、コミュ力の高い(そしてリア充な)「一軍」の人たち。でもその人たちも必ずしも威圧的なわけではなくて、声の小さい人たちの意見の拡声器になってくれることもある。
 そんな話を高校生の子がしてくれたのですが、おばちゃんたちは「ナヌ?!一軍?それは我々の頃のヤンキーみたいな子たち?そもそも一軍とか二軍とか野球じゃないんだし!クラスの中でそんなのおかしくね?」みたいな勢いだったのですが、後に続く言葉を聞いて、今の若い世代は優しいし、繊細なんだなあとしみじみ思いました。スクールカーストなんてけしからん!と思うのは大人の方で、当事者がそう思っていないということもあるんだなあ。(いいか悪いかは当事者がきめることではあるものね)
 今、意見表明権が注目されていて、「子どもの意見を聞きましょう」みたいな流れが来ているけど、その実大人の都合で聞いてもらえたりもらえなかったりしているのではないかと思います。「聞いてもらえるような意見にしてから表明しなさい」みたいな。でも、子どもの意見とは実は「気持ち」や「素朴な疑問」だったりするわけで、時には泣いたりわめいたりすることが「表明」であるから、それに対して大人がきちんと目を向けて「痛かったね」「辛かったね」と応答してあげるという実にシンプルなことなのだ、と木附先生からは教えていただきました。(実は子どもの意見を叶える、みたいなことは意見表明権とはまた別の話)でも、そのシンプルなことがなかなかできにくくなっている現状があります。例えば幼児期の子育てで、おもちゃの取り合いが起こったときに、私たちは我が子に「貸してあげなさい」ということが良い親としてのふるまいであるとインプットされているのだけど、海外だと「今遊んでいるからちょっと待ってね」とはっきり伝えるそうです。小さなことだけど、繰り返される「自分の(負の)気持ちを抑えなくてはいけないんだ/感じてはいけないんだ」という経験の積み重ねのなかで、子どもは何を体得していくのでしょうか?そして親も「世間から見てよい親としてふるまわなければ」「自分がトンデモ親として見られたらどうしよう」という不安から子どもへの言葉かけをするのは、とても息苦しいのではないかと思います。

 子どもの権利条約逆引き読書会次回は第10回になります。
今回、部活や校則の話が出てきたのでもう一度第2章「2-2自分の力を伸ばす権利」「2-1遊んだり、のんびりしたりする権利」それから「2-6だれからも自分をつぶされない権利」を取り上げてみたいと思っています。

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