この生活の安全性の上にある脆さ
スケボーに乗って近所をクルージングしていた。LUCKY TAPESがMOODのMVで乗りこなしているのを見て憧れてその場で色々調べだして、その日のうちにAmazonで買ったPennyのバカみてえなキチガイイエローのボードに乗り始めてもう2週間がたった頃だった。普通に乗るくらいなら全然余裕で滑れ程に上達していて、楽しくて近所を走っていたんだよな。
普段行かないところまで行ってみたらすごい走りやすい道(アスファルトがなだらかで静かに走れる)があって、調子に乗ってたらやべえ下り道にいつの間にか差し掛かってて、「これ死ぬかもな」って思った。その時点で引き返していたらいいものを、怖いもの見たさでそのまま加速してしまった。どんどん上がる速度に僕は怖気付いて身体が「やべえ!死ぬぞ!」という信号を発しても僕は「死んでもいいかな」とかスカした考えをしており、まもなく僕の身は宙に投げ出された。
結果から言うと僕は全身ズタズタになって近所の公園で血を洗おうと思ったけど暗いせいでぜんぜん見つからず結局まいばすのトイレで洗ってその隣にあったドラッグストアで消毒液と包帯を書いてその辺の道で巻いた。傷口が痛くて上手く袋を開けられないし、腰にできた傷口がシャツに張り付いて剥がす時すげーー痛かった。ひとまず応急処置だけして、帰り道を歩きながら今日は風呂をどうしようか考えていた。左腕に違和感があるから長引くようなら医者に行こうと思う。
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街を歩いているとスマートフォンを意識を乗っ取られて街を歩いている人がかなり多い。画面ばっか見て周りの人に合わせて横断歩道を渡ったり、立ち止まったり。
まるでキョンシーみたいだ。スーツに身を包んでスーパーで買ったレジ袋を片手に抱えて。携帯端末で意識をログアウトさせて家までの道すじを無かったことにしているんだ。そこで出会ったもの、すれ違った人を無かったことにして。ちょっと前に友達がスマートフォンの事を“モバイル魂ログアウト装置”と呼んでいたのを思い出してなんか笑えてきた。
まあ、だからと言って僕はそんな事しないかと言うとそんなことないし、非難しようという訳じゃない。僕が言いたいのは、常に人の脆さに胡座をかいて僕達は生きて生活をしている、という事だ。
例えば人通りの多い横断歩道で信号を無視しても、まず轢かれることはないだろう。車のドライバーが怒鳴り散らすことはあったとしても。その背景にあるのは「歩行者は弱いから車が譲歩をする」という原則であり、僕らは普通に暮らしていたら意識もしないと思う。
また例えるなら、自転車と車、どちらも夜間は灯りをつけることが義務付けられている。だがどちらか片方が無灯火でも必ず事故になる訳では無いよな。自転車が無灯火でも車が灯りをつけていれば存在を認知して自転車は避けることが出来る。
つまり、この世界は誰かの気遣いの上で成り立っているというか。そういう“前提”が幾重にも重なり合った上で生きているということだ。 もちろん急にそういう前提全てを意識するなんて無理だし、意識を広げれば広げるほどどうしても疲れる。日々の生活の中で人間の脳は都合のいいように必要のない前提条件や情報をシャットアウトしているように。
話を戻すが、人通りが多かろうが少なかろうが信号を守るというのは生活する上での大前提で。それを破って行動するというのはニアイコール自分の弱さを曝け出すという事だ。
もし車の運転手が居眠りをしていたら容赦なく轢かれるし、スマホを見ながら周りの人に合わせて進んでいたら周りの人が悪意を持って嘘の行動をしていたら。そう思うと怖くなってくるのではないか?子供が自転車の乗り方を習得する前は怖くて仕方がなかったのに、僕らはその気持ちを忘れて悠々と生活を回していし、当時の怖い気持ちなんて思いも出せないだろう。
もちろん全てを疑うことは疲れるが、目に見える事が全てと捉えず、すべて氷山の一角と考えることを忘れてはいけない。ということを言いたい。
例えあなたが事故に遭い、全身血だらけになって街を歩いていて、なんてことないサラリーマンが酔って道をはみ出して歩いているのを見かけたら「何を呑気に」と思うだろう。しかし生活の中で考えるとそれが普通で、あなたが異常なのだ。
どうか、目に見えるものが全てではない、ということを頭のどこかに置いて、忘れないで欲しい。あなたの大切な人は声もあげられずに苦しんでいるかもしれない。
……なんか怖いこと言って〆るのは気が引けるので最近よく聴いてる音楽でも乗せておく。
beabadoobeeのAre You Sure
https://music.apple.com/jp/album/are-you-sure/1482163543?i=1482163544
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