期待はずれ

私は、お酒が飲めない。

正確には「飲みたくない」だ。お酒の味が嫌いなのだ。
ビールの味は苦く、日本酒や焼酎は舌がしびれて味も何もない。
ウォッカやジンの入ったカクテルも、一撃で舌がしびれてしまう。
梅酒ソーダやカシスオレンジなどという、軟弱な酒しか舌が受け付けないのだ。我、メンタルに乙女という言葉が存在しないため、そのような軟弱な飲み物なぞ飲んでたまるか!!!というのと、どうせおいしくないものに高い金や二日酔いなどのリスクを払いたくないので、率先してウーロン茶を頼むハンドルキーパーを買って出ている。

そのくせ、実は、我、酒がものすごく強い。

齢1歳のころ、以前投稿で紹介した祖父トヨキチの飲んでいたぐいのみのぬる燗を一気飲みしたことがある。それは
完全に事故ではあったが、ぐいのみに半分以上残っていた日本酒を飲み干したものの、顔色ひとつ変えずにごきげんな私を見て、親族一同「こいつは大酒飲みになる」と確信し、

そして期待した。

祖父トヨキチは漁師で、当然のように酒豪だった。そして父も伯父も、なんならご近所全体、皆々様大酒豪だった。漁師というのはイメージどおり、酒に強い。酒飲んでんだか船酔いなんだかわからなくなってるうちに強くなるのだろう(偏見)。
私が生まれ育ったのは、当時は「閑静な住宅地の皮をかぶったゴリゴリの漁師町気質」だったので、イベントとあれば酒!酒!であった。
大晦日は神社で年越し☆the☆大忘新年会!が夜を徹して行われた。祭りにも熱心で、ウン十年前とだけ言っておくが、我が家の目の前で指の本数をあえて足りなくされたおヤンチャな方々の間で殺傷事件も発生した(そのおかげで今だにこの界隈の人間は、地元最大の祭りの神輿担ぎに出禁である)。典型的漁師町育ちとして、1歳にして日本酒がイケル私は、サラブレッドだった。

そして、私はひとりっこだ。「ザル」を超えて「木枠」と呼ばれるほど酒が強く、滅多に酔っぱらわない父は将来娘と晩酌をするのが夢だったに違いない。日本酒飲んでニコニコする愛娘を見る目は、心配より期待に胸おどったであろう。

それが、まさかの「酒嫌い」である。

内臓の皆さまはいつでもスタンバイOKなのに、舌がまさかの酒共演NGなのである。(余談だが、交際当時の夫と大げんかしたとき、夫秘蔵のいいちこ600mlをがぶ飲みしたが、酔いすらしなかった。わが身ながら、酒コスパ最悪である。ジュース飲んでも一緒やん。)

成人を迎え、正式に飲酒できるようになったというのにアルコールに手すらつけようとしない娘を横目に、父は黙って飲むしかない。

娘が選んだ男も、まさかの下戸民であった。結婚の挨拶に来た青年は、緊張から普段飲まない酒が進み、あっっっっという間にタコ男と化した。全身真っ赤になってくねくね転がりながらすね毛をこねくりまわし「おかあさん、僕の足、ありんこちょりちょりできるんです」といったのは今だ迷言として語り草だ。
これまた、父の願いは残念ながら・・・である。

その後、父は胃がんを患い、3年間の禁酒生活を余儀なくされる。模範患者として医師に言われたことはすべて守りとおし、抗がん剤に手術を経て、3年後、酒が解禁された。今までのような酒量は体力的にも飲めないが、久しぶりにビールを飲んだ!とわざわざ携帯メールしてくる父は、やはり酒飲みだ。肝臓に再発したというのに、医師から酒飲んでいいと言われてるので毎晩の晩酌稽古は今も続いている。

そんな父のそばに、もう1年以上帰れていない。次の帰省は、みんなで、父の晩酌に付き合おうかね。お酌専門だけど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?