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出発そして入国審査

出発を数日後に控えて夫婦喧嘩をし、初めて私が家出をしました。いままでは夫婦喧嘩の時は夫が家を出て行っていました。それも子供が生まれる前の頃ですが。原因は覚えていませんが、その時は夫の言うことにどうしても納得できなくて話し合うことをあきらめたと記憶しています。家出といっても近くの人通りの少ないところで星を見ていました。そこへ父娘3人で探しに来てくれました。娘達は本当に心配したようでした。それが夫にも伝わったようだったのでその気持ちにほだされて家に帰りました。ほんの数十分の家出でした。

数ヶ月前アメリカに行くことが決まった時、友人がシカゴでご主人の転勤に同行した主婦が大学に入った経験を書いた本を貸してくれました。それによると成績が平均C以上なければ学校を追い出されるというのです。絶対評価で100点満点とは限りませんので%で成績は付くのですがAは90%以上、Bは80%以上、Cは70%以上です。全て英語の授業で70%以上取れるのだろうかという不安もありました。

誰でも未経験のことには不安があるのは当然ですが、あまりにも急激な変化について行くのに必死で不安を感じる暇もなかったのに、いよいよとなった時やっと現実味が増し不安を口にして夫と言い合いになったんだと思います。これから銃の数が人口を超えるくらい出回っているアメリカという国で女だけで暮らすこと、久しぶりの学校生活への不安だったのだと思います。安全面はもちろん子供たちの責任を全て負わなければならない上に、自分でもあまり得意でもない勉強もしなければなりませんから。

しかし、そうこうしているうちにあっという間に数日が過ぎいよいよ出発です。九州の田舎から羽田、成田、シアトルと2日くらいかけてシアトルのタコマにあるSEA-TAC空港に無事に着きました。 
 
シアトルに着いて入国審査が始まりました。一緒に行ったFさんは別の窓口ですんなりと入国を許されました。しかし私たちの窓口の日系の係官は難しい顔をしていてなかなか通してくれません。私は語学学校(ESL)の入学許可から出た6ヶ月の学生ビザを持ち、娘たちはその同伴として認められましたが、同行した夫だけが観光のためビザを持っていなかったため親子4人で移住してきたと思われたらしいです。(当時は3ヶ月以内の滞在はビザは不要でした)
 
しばらくしてどこからともなく別の日系の通訳の女性が現れ日本語で「こちらに来てください」と別室に連れて行かれました。もしかして入国できないの?初めて不安が頭をかすめました。通訳が白人の係官に説明していました。すると3分もしないうちに係官はなぜ問題があるかというような顔で私達の方を向いて “Welcome to America”といってくれ、娘達にも “Enjoy your school!” と言ってくれました。その言葉で私たちは一瞬でアメリカが好きになりました。そしてこの一言でなぜか私達にこれから起こるかもしれない不安までも消してくれたような気がしました。

(*写真は長女が通関手続き場に行くところです)

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