教育ママゴンの反省 その1
子連れ留学をするに至った経過は簡単に触れ、また外国語を習得させるタイミングについても書きましたが、その前に時間をさかのぼって、この決断をするに至った経過を恥を忍んで書いておきたいと思います。1980年代の話です。当時私は今ではほとんど聞かなくなったいわゆる「教育ママゴン」でした。
長女は3歳からピアノを習いはじめました。特にピアノを弾く環境でもなかったのですが両親とも音楽を聴くのは好きでしたし、娘も歌を歌うのも好きだったので、とりあえずピアノのレッスンを受け始めました。
最初のうち娘は「となり」という意味さえわかりませんでした。私が「となりの音でしょう?」と何度言っても同じ鍵盤を弾いたり、とんでもない鍵盤を弾いたり。そのたびに親の私の方がイライラ。もっと違う言い方はなかったのかと今になると思いますが。
小学3,4年の頃、ピアノを始めた次女も一緒にちょっと遠くの先生のところまで毎週通っていました。ピアノはレッスン自体より家での毎日の練習が大切です。でも練習をしないのです。連れて行く車の中でずっと、子供の顔も見ずにバックミラー越しに練習しなかったことをなじりながら運転しました。でも子供たちは平気。それがまた私の気にさわるという繰り返しを2年ほど続けました。
ある日ふと気づくと、娘の横に座った先生のハンカチを握り締めた手がワナワナと震えていました。先生は練習してきていないのが気に入らなくて、でも親の前だから思い切り叱れなくて、怒りがこみ上げていたのだと思います。友人の娘さんはうまく弾けないと強く手をたたかれたと聞いたこともあります。
先生は熱心で善意です。しかしその熱心さが裏目に出てしまうこともあります。私はといえば子供が練習しないとことより、親として恥ずかしいという自己防衛から子供たちを叱っていたのです。救いは私の毎週のお説教や先生の悔しさにもめげず、娘たちがピアノ嫌いにならないでいてくれたことでした。
それ以来、仕事で英語を教えるとき一番気をつけるのは英語を嫌いにしないことになりました。子供が能力を発揮するきっかけや興味を持ち続けることに、親や指導者の果たす役割は大きいと思います。