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【俳句】【短歌】の記事

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俳句・短歌関係の記事をまとめました。
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#平和

【短歌】誠の言の葉と詩情

詩を論ずるは神を論ずるに等しく危険である。持論はみんなドグマである。(西脇順三郎著『超現実主義持論』より) 事件的真実と「詩」とは本来別次元のものである。「詩」はいつでも純粋に、個々の要素に従って真実でなくてはならない。 (秋葉四郎著『完本 歌人佐藤佐太郎』より)  本稿は、歌人の佐藤佐太郎氏に師事した文学博士・歌人、秋葉四郎氏の論考(戦時下の光と影―第三歌集『しろたへ』論)をもとに、短歌を一流から二流、三流へと落としてしまう一要因を私なりに述べたものである。秋葉四郎氏の

【随筆】回天・水中特攻隊―最期の言葉

 テーブルの上に作りかけの折鶴がひとつ置かれていた。おそらく妻だろう。私は鶴を完成させ、その純白の羽を精一杯広げてみた。頭と尾は凛と立ち、今にも羽ばたくのではないかと思えた。その時、蝉しぐれをかき消すかのように、町内放送がはじまった。上気していた私の身体は、徐々に鎮まり、窓からのわずかな涼気に目を閉じた。  八月六日の朝である。「黙祷」の響きはその背負う歴史の分だけ重い。原爆により多くの人が一瞬にして消え、後遺症に何十年も苦しむ人がいる。  かつてトルーマン大統領は両国の犠牲

『太陽の門』俳人・長谷川櫂をよむ

 毎年、蝉が啼き始める頃になると、自然と思い出されることがある。それは戦争である。私は戦争経験者ではないため、戦争について語る資格はないかもしれない。しかし、代々語り継がれてきた経験を自己の感性をもって照らし、智慧へと昇華させることはそれなりの意義があると考えている。  角川「俳句」七月号の冒頭に、特別作品五十句『太陽の門』が掲載されている。戦争という悲劇への鎮魂が主題である。作者の長谷川櫂氏は俳壇における第一人者といって過言ではない人物であり、格調高く重厚な句風という印象

歌人・宮柊二の短歌にみる反戦の祈り

「文学は先祖への魂鎮めであり、供養である。」 (折口信夫「古代研究」より)  歌人・宮柊二氏は、大正元年、新潟県北魚沼の地に長男として生まれる。家業は本屋である。師系は北原白秋氏であり、最終的に折口信夫(釈迢空)氏に私淑する。歌集「日本挽歌」は折口信夫氏の命名である。 短歌とは、日常のなかの気付きを詠むことが多い。我々にとって日常とは仕事や家事等、いわゆる平和的日常である。その日常のなかに、戦争という悲惨な体験のある人々がいる。そのひとりが宮柊二氏である。  昭和十四年、二

第五十四回蛇笏賞にみる鎮魂歌

 蛇笏賞は、俳句における数ある賞のなかで最も名誉ある賞といわれている。甲斐国の俳人、飯田蛇笏氏の名前を由来にもつ。令和二年の今年は「柿本多映俳句集成」が受賞した。選考委員、満場一致の受賞であった。作者の柿本多映氏は一九二八年滋賀県大津市に生まれ、四十代後半から句作を開始し、桂信子賞、現代俳句大賞、俳句四季大賞、詩歌文学館賞と輝かしい経歴をもつ。  今回は、その「柿本多映俳句集成」より、いくつかの句を紹介したい。選句と解釈は、私の主観であり、いわゆる独断と偏見がみられるかもし