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【俳句】【短歌】の記事

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俳句・短歌関係の記事をまとめました。
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#角川俳句

【俳句】取り合わせの妙味

 ※本稿は先日読了した月刊誌、角川俳句令和四年五月号の特集『取り合わせの距離感』を、私なりに上書き、紹介する記事である。  俳句の大半は、「季語」と「何か」で構成される。たとえば、飯田蛇笏氏の句”苔咲いて雨ふる山井澄みにけり”であれば、「苔咲いて」と「雨ふる山井」だ。雨の日、山の井戸周辺に苔の花が咲いている景色である。作者は可憐な苔の花と澄んだ井戸水(もしくは湧き水)の様子に感動したのだろう。苔が咲いたことでいつもの景色が変わった驚きである。  このように、季語と何かの組み

【随筆】令和俳壇・四月号の鑑賞

 俳句の専門雑誌のひとつである角川出版の「俳句」より、一般読者からの投句をいくつかご紹介したい。いずれも、プロの俳人に高い評価を得たものであり、俳句の魅力をお伝えするに適した作品であると考えている。  また、一般読者が投句されてから雑誌に掲載されるまで、四か月かかるため、今の季節、春に合わない冬の句である点はご了承願いたい。  また、句の選と解釈は私個人の感想であるためご参考程度にお読みくだされば幸いである。解釈の数は、読者の数と同じだけあると考えている。  句の引用はすべ

【俳句】新年詠の鑑賞

 新年、開口よい言葉で始めたい。親戚が集う、旧友と会う。仕事のかたもいるかもしれない。去年と今年の境目は、自然科学の目でみれば、連続したひとつの点だが、何か特別な瞬間をみいだすのが文化である。文学である。  俳人の虚子(正岡子規の弟子)は、「去年今年貫く棒の如きもの」と詠んだ。棒は時間軸の意のみならず、伝統文化の本義、その地で生き続けてきた人々の志を表しているように思えてならない。宮中の歌会始もそのひとつだろう。  言葉は情報の単なる伝達手段に過ぎないだろうか。万葉時代の歌

【俳句】角川『季寄せを兼ねた俳句手帖』をよむ

 月刊誌「俳句」角川出版の十一月号の付録に、「季寄せを兼ねた俳句手帖」冬・新年がある。季寄せ(きよせ)とは、歳時記(さいじき)を簡略化したようなものだ。歳時記とは、季語の辞書である。俳句は、句のなかに季語をいれることが一般的であるため、俳句をつくる際は、歳時記で調べながらおこなう。歳時記にもいろいろな種類があり、広辞苑のような重く分厚いものもあれば、一方で、文庫本のような小さなものもある。  季寄せは概して携行性に優れるものであるため、季語の用例(つまり例句)が少ない等、歳時

【俳句】南 うみを『入江のひかり』をよむ

 私は、角川『俳句』を定期購読している。収録句数が多く、俳人らの本格的な評論も毎号収録されている。また、俳人の新規発表作品も豊富で、今の俳句に触れられる点は大きな魅力だ。もちろん、他社の俳句雑誌のどれも固有の魅力がある。  今回は、角川俳句七月号に掲載されている、俳人・南うみを氏の『入江のひかり』16作品のなかより、そのいくつかをご紹介したい。選と解釈は私個人の感想であるためご参考程度にお読みくだされば幸いである。  鱊来る雪の鼻梁の若狭富士  原書に注がある。鱊(いさ

【俳句】角川読者投句欄・佳作の鑑賞

 「角川俳句」は角川文化振興財団(発売:株式会社KADOKAWA)の発行する俳句専門の月刊誌である。本誌の最後には、一般の方々が投句して、プロの俳人数名に佳作以上の評を受けた句が掲載される。  秀逸句や推薦句は字も大きく目立ち、推薦句に関しては選評まで載せられる。選評とは、句のどこが良いのか説明したものである。プロの俳人に言葉をいただけるのであるから、飛び上がるほど嬉しいのだが、佳作には選評はなく、なかなか目立たない。佳作にも大変素晴らしい句が多いのに―と私は常々思っていた

『太陽の門』俳人・長谷川櫂をよむ

 毎年、蝉が啼き始める頃になると、自然と思い出されることがある。それは戦争である。私は戦争経験者ではないため、戦争について語る資格はないかもしれない。しかし、代々語り継がれてきた経験を自己の感性をもって照らし、智慧へと昇華させることはそれなりの意義があると考えている。  角川「俳句」七月号の冒頭に、特別作品五十句『太陽の門』が掲載されている。戦争という悲劇への鎮魂が主題である。作者の長谷川櫂氏は俳壇における第一人者といって過言ではない人物であり、格調高く重厚な句風という印象