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【俳句】【短歌】の記事

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俳句・短歌関係の記事をまとめました。
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2020年6月の記事一覧

角川「俳句」六月号の俳句鑑賞

 今回は、俳句雑誌のひとつ、角川「俳句」より、いくつかの句を紹介したい。選句と解釈は、私の主観であり、いわゆる独断と偏見がみられるかもしれないが、そのことでかえって新しい視点をもたらすという僥倖もあり得るのではないかと思い執筆した。皆様のご参考になれば幸いである。  海を曳く地球柔らか青嵐 「青嵐」対馬康子  山々が青葉を蒼天に広げ、盛んに揺らしている頃、海の波は白銀のように輝いている。その波は立っては消え、消えては立ってを繰り返している。まるで、地球が海を引っ張っている

【随筆】句碑の矜持

 万力公園は山梨県笛吹川沿いにある。万の力とは何か。八百万の神々の働きと考えてはみたが、穿ち過ぎかもしれない。土手沿いの小高いところに桜や花水木がずらりと並んでいる。初夏の今日、桜も花水木もとうに花はなく、青葉一枚一枚をさわさわと天にゆらす限りである。この景に、若葉風や万緑という季語がふさわしいかどうかは定かではないが、葉の青が爽やかで心地よい。その並びの見落としてしまいそうな所に小さな句碑がぽつんとある。名もない葉が一枚のっている。  いつも思うことであるが、句碑の文字は

短歌研究社「短歌研究」四月号の鑑賞

 一般的に短歌といえば万葉集や古今和歌集等の古典を思い浮かべるだろうか。最近のことはわからないが、私の時代の教科書では、短歌といえば紀貫之や柿本人麻呂らの歌が紹介されていた。文法学習のみならず、古式ゆかしい表現に感銘を受けたことをよく覚えている。  しかし、短歌に興味のない方々は、まず文法で躓き、さらに読解できたところで現代との「差」に共感できず、何が面白いのか、と感じるのかもしれない。世に遺る古典は、現代にも十分に通用する普遍性を備えているのだが、対象となる景や洞察は、現

歌人・宮柊二の短歌にみる反戦の祈り

「文学は先祖への魂鎮めであり、供養である。」 (折口信夫「古代研究」より)  歌人・宮柊二氏は、大正元年、新潟県北魚沼の地に長男として生まれる。家業は本屋である。師系は北原白秋氏であり、最終的に折口信夫(釈迢空)氏に私淑する。歌集「日本挽歌」は折口信夫氏の命名である。 短歌とは、日常のなかの気付きを詠むことが多い。我々にとって日常とは仕事や家事等、いわゆる平和的日常である。その日常のなかに、戦争という悲惨な体験のある人々がいる。そのひとりが宮柊二氏である。  昭和十四年、二

第五十四回蛇笏賞にみる鎮魂歌

 蛇笏賞は、俳句における数ある賞のなかで最も名誉ある賞といわれている。甲斐国の俳人、飯田蛇笏氏の名前を由来にもつ。令和二年の今年は「柿本多映俳句集成」が受賞した。選考委員、満場一致の受賞であった。作者の柿本多映氏は一九二八年滋賀県大津市に生まれ、四十代後半から句作を開始し、桂信子賞、現代俳句大賞、俳句四季大賞、詩歌文学館賞と輝かしい経歴をもつ。  今回は、その「柿本多映俳句集成」より、いくつかの句を紹介したい。選句と解釈は、私の主観であり、いわゆる独断と偏見がみられるかもし