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丹波篠山の黒豆農家が産地直送で消費者にお届けする魅力とは

10月に入りますといよいよ丹波黒枝豆の収穫です。6月に種まきをした黒豆は発芽と同時に鳥や獣害を受けつつも、植え直しを行い厳しい夏を経て収穫まで1ヶ月程となりました。そこで黒枝豆の歴史と、黒枝豆の魅力を記します。

黒豆を枝豆で食した歴史

地域で聞いた黒枝豆歴史は約50年ほど前、村の祭りで黒豆を枝豆として収穫して食べたところ「大きくて美味しい」ということがあり、それ以来年々栽培量が増えてきたようです。

私が幼少の頃、祖父が田んぼの畦に黒豆を植えて『あぜ豆』としてお節用の黒豆を少しだけ栽培しておりました。その後減反政策(農水省による米の過剰生産を抑制し米価を維持するために生産調整する制度もあって水稲の栽培に制限があったため、田んぼの一部を畑地に切り替え黒豆を栽培するところから丹波篠山市(当時多紀郡)では黒豆栽培量が拡大したと言われます。同時に町おこしの意識の高い当地域ですので、全国に向けて丹波の黒豆をPRし始めたようです。同時にグルメ漫画『美味しんぼ30巻 ビールと枝豆』で紹介されてからは黒枝豆を求める声やTVでの放送が増え続けています。

近年ここ10年ほどでは大手通販プラットフォームでの販売量も増加し、通販をする農家も増えたので、丹波篠山から日本中に黒枝豆が旅立つようにもなりました。

枝豆として世に送り出された当初は、現在のように莢のみで販売されるものではなく、莢は枝に付いたまま約1.2kg程の束にされて商店や道端で販売されたようです。

黒豆の本場プライド

先述したように、半世紀程前より黒枝豆として食されてきた希少枝豆ですが、黒豆として栽培するのと黒枝豆として栽培するのは栽培方法が少し異なります。
また昔は全て手作業での栽培管理であったため当時は『苦労豆』と言われたようです。その先人の苦労もあり、現在では栽培管理がしやすくある程度機械化がされました。
毎年黒豆の栽培を行なってきた当地域ですので、栽培技術は年々蓄積され現在に至ります。播種のタイミング、苗の作り方、中耕作業、病気にならない圃場管理など先人の智慧と歴史が現在に引き継がれています。
参考書や便利な映像情報は誰でもいつでも、どこでも手に入りますが、丹波篠山の黒豆歴史はやはり真似できないものかもしれません。大手種苗企業が黒豆の種を販売されているので、今では日本中で『丹波黒』を栽培されるようになりましたが、種の交配や出所もそれぞれ違い、それぞれの地域気象によっても生育も違うので、やはり敵地的作とは良く言ったものだと思います。『真似されるようになってこそ本物の良さが出る』と近くの黒豆大農家の大将は笑っています。

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