穴から出て、爽やかに、乾杯を、唄いたい。
乾杯と言えば、シンガーソングライター長渕剛の歌。
♬乾杯、今、君は、人生の大きな大きな舞台にたち〜〜♬
この歌を、自分が歌っていた舞台は、
人生の闇、穴蔵の中でだった。
なぜなら、そこは、ひきこもり、挫折、登校拒否、メンヘラ、家庭問題、非行などの、青少年や大人が、社会から隔絶され、ココロのあり方を学び、社会適応を目指すための、民間運営の農場だったからだ。
対人恐怖で就活に自信のなかった自分は、
母の勧めで、地方の実家で、アルコール依存症や躁鬱症状で、皆を悩ませていた父とともに、堅実な学生の多い女子大を休学し、どうしたら生きやすくなるかヒントが欲しくて、父子で、社会適応や復帰のための農場という舞台に足踏み入れていたのだ。
悩める人と人が本音でぶつかり合うココロの研修が開催されるたびに、最後の感動シーンで、人間っていいな♬をインプットして、参加者同士で、肩を組んだり、抱き合ったりしながら、一斉にギター伴奏により、社会のメインストリームから落ちこぼれた同志で歌う、長渕剛の、爽やかな、乾杯♪。
まだ夢や野心を諦めきれない青臭い青春の若人だった私には、無理やり爽やかカタルシスを演出してるような強制的な人生賛歌にしか聞こえなかった。
しかし、歌わないと、人間賛歌に賛同しない改善意欲のない人カテゴリに入れられてしまうのが嫌で、歌っていたのだ。
本心は、長渕剛の(乾杯)じゃなく、上田正樹の(悲しい色やね)なのに、爽やかに肩組んで乾杯を歌う同調圧力に屈する自分が、嫌いだった。
そんな屈折した若人の袋小路を思い出す曲、
それが、乾杯。
、、、、、あれから、30年、、、、。
就職、派遣、アルバイト、インターネットやWEBの勉強などして、結婚、子育て、離婚などなど、
時に袋小路にはまり、その都度ぶつかりながら、希有な出会い達に助けられ、
なんとか、サバイバルしているうちに、
縁あって、東京で、依存症やメンタルヘルスの勉強をする機会に恵まれた。
数年前、やっと、再飲酒で泥酔、徘徊し、事故が危ぶまれる高齢者となった父を、勉強成果を駆使して、依存症関連の病院に繋げ、父も身内も一安心して暮らせる環境を整えた。
いろいろ勉強して職業としての成果にはなりそびれたが、身内の皆が望んでいた、根本解決もどきが、私の今までの研鑽の歩みの、微々たる成果となった。
40代になってから、
おばさんの恥捨て?気分で、
溜まった感情を、1人カラオケで解放する
技を覚え、(今は、コロナで、行く回数は減ったが)気が向けば、カラオケ屋さんに、足を運ぶようになった。
爽やかに、長渕剛の乾杯を歌える自分になっているか、実験してみたくなり、
ある時、
1人カラオケで歌ってみた。
♬乾杯〜いま、君は人生の、おおきなおおきな舞台にたち、、、♬
(、、、舞台、少なくとも、社会から隔絶された農場が舞台ではないな、、、)
♬はるか長い道のりを歩き始めた、君に幸せあれ〜〜♬
(ほんと、はるか長い道のりだったよ、そして、また、今からも、、、、)
私の舞台は、屈折した卑屈なメガネをかけた舞台から、どこかはるか遠い世界の希望を探すのではなく、今、この場に根を下ろして、幹から枝葉を伸ばすように、魂が喜んで生きれる場所を築いていくところにあるのさ、、、、
そんな風に思えたならば、
長渕剛の乾杯を、
涙で過去を洗い流しながら、
爽やかに、かろやかに、
鼻唄みたいな
ボサノバテイストで
歌いながら、
余生を歩める気がしてきた。
また、今度、1人カラオケで、誰に気を使うこともなく、
乾杯気分で、歌えるか、
実験してみようと思う。
ビバビバ♬
https://www.youtube.com/watch?v=7emBUSm1i54
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