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肩を借りて歩いた時間

お世話になってきた、有名無名や老若男女問わない沢山の凄腕セラピストさんや、その場その場でさりげなくエネルギー送ってくれた人達。セラピーって、歩けない時、片方の肩を掴ませてもらい歩くように、それぞれの人生経験やスキルを持つ個々のセラピストさんらの世界観が作る空間に、束の間だけ、肩を借りて生きる時間を持つってことでもあったりする。


私は個性が強いのか、自分1人で判断して歩けるまでにエネルギーがオンになると、そのセラピストさん独自のワールド価値観どっぷりに違和感を感じ、感謝しつつも、その凄さに全面降伏できない癖がある。全身で飛び跳ねる犬のように、感謝を表現し、忠犬ハチ公みたいに恩義に生きたら、可愛げがあるのに。。。。。。性格悪いというか、譲れない拘りオリジナリティが強いというか。

自分と100%同じ世界観を持つ人など、この世にはいなくて、1人ずつがオリジナルな世界観の宇宙を生きているから、仕方ないのだけれど。

セラピーの時間は、セラピーとして、あえてバーチャルな同じ宇宙、世界観に同調してくれていたから、感じずにいた(自分と同じ価値観の人は私1人だけ、、、人とのつながりは共有できる部分だけの慰めだと知る孤独)と直面するのは、かなり辛いもんだ。

でも、1人で生きられるものではないから、なるべく無理なく共有しあえる価値観の仕事や人間関係を選んで、この世を生きるのに必要なつながりを保つことを、今更、挑戦しているのだ。

高校生の時、ポンプという投稿だけで成り立つマイナーな雑誌のファンだった。学校でも家庭でも友達にもシェアして共有しあえないマイナーなことを投稿したら、全国のどこかにいるかもしれない共感してくれる感性の人がいて、やりとりがあったりする、今のSNSの紙媒体みたいな同人誌的な雑誌だった。周りに共感されなくても、世界のどこかの誰かと共鳴できる希望・・・を感じさせてくれる雑誌。まだデビュー前の学生だった漫画家の岡崎京子さんが、常連投稿者で、ちょっとしたイラストが格好良くて、カンドーしていたものだった。

今、noteやSNSに投稿する行為は、ポンプの愛読者だった頃と、そう変わらない。できれば、昔と違って、環境を選べる大人になっていることに気づいたし、雑誌やSNSやセラピー空間のバーチャルだけでなくリアルに共鳴できる人や場と、つながりを持つ人生を希望する。

https://wpedia.goo.ne.jp/wiki/%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%97_(%E9%9B%91%E8%AA%8C)

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