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夜ノ森で『桜のトンネル』を走る " 旅先で『日常』を走る ~spin-off⑭~ "

2023年4月3日、月曜日。東京駅前から高速バスに乗り、16時前にいわき駅前に到着した。
いわきに来るのはおよそ3年8ヶ月ぶりだ。前回は塩屋埼灯台に上り、そこからいわき駅まで走って、その後は駅前の映画館でいわきを舞台にした映画『薄暮』を観たのだった。

久々に訪れたいわきは、特に変わったところは見受けられなかった。震災や水害に翻弄されてきたここ十数年を経て、ようやく街が落ち着きを取り戻しているように見えた。

ひと安心したところで、駅改札に入り目的地に向かう。じつは今日に限っては、いわきには乗り継ぎのために立ち寄っただけなのだ。

ホームに降りると、ちょうど下り電車が停車していた。発車ベルが鳴ったので飛び乗ると、車内の電光掲示板には『広野行き』と表示されていた。目的地より少し手前の駅だ。手元のスマホで調べたところ、広野駅で小一時間の乗り継ぎ時間が発生するようだ。ただ待っているのも手持無沙汰なので、広野駅から一駅だけノルディックウォークで進むことにする。

広野駅に到着し、改札を出て駅前の通りに出た。

駅前だからといって特に商店が軒を並べていたり賑わいがあったりするわけではない、地方にはありふれた風景が広がっている。

私は右に舵を切り、まっすぐな道を進んでいく。

人とすれ違うことがほとんどないのは想定内であるが、車の往来すらほとんどない。沿道に民家はそこそこ存在するのだが。

緩やかな上り坂に差し掛かったところで、右手に共産党のポスターが掲示されていた。

人の不安に付け込んだ商売はいかがなものか?と少し不快な気分になるが、そこを深く追究するのはまたの機会にしよう。

三叉路に立つお地蔵さんに正対し、心を落ち着けよう。

ここで右斜め前に進路を変え、突き当たりを左に進んでいく。

道路の右側に、等間隔で桜の木が植えられている。

” 2011年3月11日、東日本大震災により福島県浜通り地域のみなさんは、東京電力福島第一原子力発電所の事故と相まって破壊的ダメージを受けています。 また、今後数十年間放射能という見えない敵と戦い続けなければなりません。 このような状況の中、私たちは希望をなくしつつある地域住民に元気と希望を与えるべく、『ふくしま浜街道・桜プロジェクト』立ち上げました。"

ふくしま浜街道・桜プロジェクト

被災地の様々な地域で同時多発的に桜の木を植える活動が行われている。たとえば岩手県内では津波の到達地点に沿って植える取り組みなどもある。それぞれに意義のある取り組みだとは思うが、別々の目的でバラバラに行われている現状を見ると、後世に語り継ぐ効果を最大化したいのなら一つのプロジェクトに統合した方が良いのではないか? と思ってしまう。

などと考え事をしながら街道沿いに進んでいると、大きめの交差点に差し掛かった。

右に進むと火力発電所があるようだが、関係者以外立ち入り禁止となっている。直進すると右手には運動公園があり、サッカー場などが整備されている。平日だからか、あまり人がいる様子は感じられない。

さらに進んでいく。目の前に、行く手を遮るように谷が走っている。その両側を渡している橋に足を踏み入れ、なおもまっすぐに進んでいく。左を向くと山々が、右を向くと海岸線が目に入る。

太平洋だ。今から12年前に大津波をもたらした海は、同じ場所とは思えないほど穏やかな姿を見せている。

橋を渡り切り緩やかな坂を上りきると、J-VILLAGEの入り口に行き当たった。

ここは東京電力が原子力発電所立地地域の地域振興事業の一つとして総工費130億円を投じて建設し福島県に寄付した施設で、日本サッカー界初のナショナルトレーニングセンターとして作られたのだが、東日本大震災以降はしばらく国が管理する原発事故の対応拠点となっていた。

敷地内に入りグラウンドの方を見やると、そこではサッカーのトレーニングが行われているようだった。

震災から暦がひと回りし、ようやく福島の被災地にも日常が徐々に戻っているようだ。

そろそろ次の電車が到着する頃だ。私はJ-VILLAGE駅に移動し、仙台方面へ向かう各駅停車に乗り込んだ。


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17:35、電車は夜ノ森駅に到着した。

福島第一原発の事故によりこの一帯も帰宅困難区域となっていたが4/1に解除されたとのニュースを見て、居ても立っても居られなくなり現地に赴いたのだ。

とはいえ、駅前の道路を中心とした一部に関しては常磐線復旧に合わせて2020年3月に解除されており、私も2021年10月に夜ノ森には足を運んだことがある

駅改札前に備え付けられている線量計は前回訪れた時と同じ場所にあり、同様の数値を刻んでいた。

跨線橋には『夜の森さくらフェスタ』の開催を祝した美少女キャラのポスターや、地域の小学校による横断幕が掲示されていた。

夜ノ森は『桜のトンネル』と呼ばれる全長2km以上の桜並木が有名で、奇しくも桜が満開になる時期に合わせた避難指示の解除となった。桜祭り自体は2021年から再開されていたようだが、このような経緯により近年稀に見る盛り上がりになりそうである。

駅を出て、駅前の通りをノルディックウォークで進んでいく。前回訪れた時は、駅前の目抜き通りから入る脇道はすべて立ち入り禁止だった。しかし今日は違う。一方で、駅前に放置されている商店群の前には高いバリケードが張られ、いまだ非日常の趣きを残している。

通りをひたすら直進する。

人気はまったく感じられない。

交差点の右手には、廃墟となったヤマザキショップが12年間時を止めたまま佇んでいる。

右に折れ、桜のトンネルを目指して進んで行く。

視線の遠く彼方に夕陽が沈んでいくのが見える。

左手に来場者用の大きな駐車場が現れた。花見客おぼしき人々の姿を確認した。

右に曲がると桜のトンネルがある。

例年よりも開花が早いというニュースに違わず、夜ノ森の桜は満開に近い開花状況であった。

ここから桜のトンネルを、海側の端に向かって進んで行く。花見客はまばらだ。

右手には夜ノ森公園があり、子どもとお母さんの組み合わせの人たちが楽しそうに遊具で遊んでいる。

左手には廃墟化した小学校の校舎が聳え立っている。

もう10年以上祈りを捧げられていないであろう教会の姿も視界に入る。

この町では止まっていた時間がようやく今動き出したばかりなのだ、という事実を目の当たりにする。
幹線道路に突き当たったところで桜のトンネルは終わりとなった。今来た道を戻。

道端のゴミ集積所に出ている表記はまだ更新されていないようだ。

日が落ちていく中を、なおも戻っていく。

どこかのTV局が生中継の準備をしている。

それも二つの局が別々に中継を画策しているようだ。日本全国の規模で見ると、今回の制限解除はなかなか大きなニュースバリューがあるのだろう。その割に現地の人並みは寂しいものがあるが。

来た道を戻り切り、そのまま直進して跨線橋を渡って行く。

渡った先を左に曲がるとトンネルの続きがある。すっかりライトアップされ、幽玄な美しさを醸し出している。

右手にはメンズ全身脱毛の看板が煌々と輝いている。

人はパンのみに生きるにあらずといった格言を聞いたことはあるが、人類が衣食足りてまず行うことは全身脱毛なのだろうか? しかもメンズ。

駅を越えふたたび跨線橋を跨ぐ。そのまま直進し、交差点を右に折れると桜のトンネルの続きがある。

先ほどよりはだいぶ人が増えた。地元在住の人がほとんどのようだが、路肩に駐車して5分くらい桜を眺めて立ち去る人が多い。きっと震災前にもこの時期には同じように花見をしに来ていたのだろう。

帰りの電車の時間が近づいてきたので、駅に向かって進んで行く。

右手に焼きそばの屋台が出ていた。私はランチを食べ損ねていたので一人前注文した。

出来上がりに20分ほどかかるということなので、近くをふらついて時間を潰した。

廃墟となった飲食店はそのまま放置されている。

一本裏道に入ったところにある公園にたちより、そこからトンネルを一望した。

なんというか、この世のものとは思えないような浮世離れした雰囲気がある。「桜の木の下には死体が埋まっている」とどこかの文学者が書いていたが、桜の花には人を非日常に誘うような艶やかさが感じられる。そして、10年以上仮死状態だっこの地でも何事もなかったかのように毎年花を咲かせ続けている桜の強さに思いを馳せた。

桜が咲き続けている限り、ここに暮らしていた人たちの日常はきっと取り戻せるはずだ。そう確信して、私は焼きそばを取りに向かった。

屋台まで戻ってはみたものの、約束の20分を経過しても焼きそばが出来上がる気配はまったくなかった。発車が迫った次の電車に乗らないと、今日中に家まで帰れない。残念だが焼きそばは諦めよう。私は後ろ髪を引かれる思いで夜ノ森を後にした。


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