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読書メモ 『幻の本土上陸作戦』



読んだ。『 幻の本土上陸作戦 』

・昭和20年6月、米軍は「ダウンフォール(殲滅)作戦」を企てていた。

・ひとつは「オリンピック作戦」。南九州に上陸し飛行場を作り、ここを拠点に首都を爆撃する。

・もうひとつは「コロネット作戦」。九十九里浜や相模湾から上陸し、首都を制圧して無条件降伏を勝ち取ろうというもの。

・「オリンピック作戦」遂行の準備段階として、鹿児島と宮崎南部に激しい爆撃が行われた。それに対抗し、日本軍は戦力を南九州に集約させると同時に地下壕を掘り、応戦体制を整えた。沖縄戦では連合国軍が地下壕に手を焼いた実績から。

・米軍は地下壕対策としてジュネーブ条約で禁止されている毒ガス兵器の導入を検討して、人体実験まで行っていた。しかし、毒ガスを戦争で先に使ったのは日本軍。日中戦争で地下道に撒いたのだ。

・そもそもここまでして米軍が戦争を終わらせたかった背景には、日本軍の捨て身の抵抗によって戦死者が増大し、世論の反発が大きくなっていたから。

・その象徴である「特攻」の最前線が鹿児島だった。中学生まで動員され、玉砕の訓練を繰り返していた。日本は6月に「15歳から60歳のすべての男子および、17歳から40歳までのすべての女子は、偉大なる国防軍の一員であり、アメリカの侵略と戦うために、戦闘員として正規軍に加わることになる」と宣言した。

・それに対し米軍も、軍人や民間人の区別なくすべての日本人を標的にして殺害すると宣言した。それを口実に無差別爆撃や機銃掃射が行われた。(実際は沖縄戦でも一般人を殺しまくっている)

・米軍は広島・長崎以外にも最大9基の原子爆弾を用意していた。標的は南九州の上陸予定地。1発落として援軍に対しもう1発、さらに山の向こうに控えている援軍にも1発。計3発×3箇所。

・結局、日本がポツダム宣言を受諾したため、オリンピック作戦は実行されぬままに終わった。しかし、南九州への大量爆撃によって、一般市民に大量の死傷者が生じてしまった。失ったものは二度と戻っては来ない。

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