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【読書メモ】 「 母性のディストピア 」宇野常廣
読んだ。 「 母性のディストピア 」
・「世界と個人」「公と私」→「政治と文学」という問題設定
・戦後とは「政治」がアメリカの影によって機能しない時代
・ここでは無条件に自分を承認してくれる「母」的な存在に庇護されることで初めて「政治と文学」が接続され、「父」になる(成熟する)ふりをすることができる。
・戦後アニメで描かれる二つの命題
①「アトムの命題」 成長しない身体(キャラクター)ー用いて成熟(老い、死)を描くこと
②「ゴジラの命題」 虚構を通じてしか捉えることのできない「戦争」を描くこと
・宮崎駿、富野由悠季、押井守は上記の命題に挑み、敗れ去った。
・現代に「政治と文学」を再設定するヒントが「シン・ゴジラ」に見られた。 <現実(ニッポン)vs虚構(ゴジラ)>
・「映像の世紀」から「ネットワークの世紀」に以降した現代、世界が非物語的なデータベース≒市場になった時、「世界と個人」「公と私」→「政治と文学」ではなく「市場とゲーム」として結ばれる。
・世界中が接続され革命ではなくイノベーションによって進化する時代に要求されるものは、物語の語り手/読み手ではなくゲームのデザイナー/プレイヤーとしての成熟である。
他人の物語への感情移入→自分の物語を自分で演じるものへ。
・かつてサブカルチャーの受け手の中には、世界を「物語」としてではなく「情報」の集積として見做す一群がいた。成熟するために必要なのはこの知性(リテラシー)ではないか?
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