がんばらないと
短歌と俳句を書くようになってかなりの時間が過ぎました。
短歌を詠むようになってよかったなぁと思うのは、自分の気持ちを柔らかく素直に表現できるものを身に付けることができたことです。
長い文章で事細かに説明するよりもずっと端的に素直な気持ちを何か他のものになぞらえて表すことかできる形だと思うのです。
読んでくださる方も短い文章なので楽なのではないかと思いますし、具体的なことよりも何か他のものになぞらえて書かれている文章の方が受け取りやすいような印象もあります。
けれどもそういうつもりではなくても誤解されて読みとられてしまうこともあり、公開するときによく確認しなくてはいけないこともあることもわかりました。
だからそういう意味では、きちんと具体的に丁寧に説明をして書く文章の方が有効な場合もあることもわかりました。
深く考えずに勢いに任せて書いて公開していい文章なんて現実には存在していません。
でも人の心に強く響くように書こうとすると誤解を受けるような形をしてしまいがちなのも今までの数々の失敗の中でわかるようになりました。
だからもっともっと勉強しなければいけないと感じています。
私は実際に書いて公開することで、文章を書くことを自分の身に着けてきたような気がしています。
文章を書くことはただそれだけのことではなくて、それ以外の生活も変えなくてはいけない、実際に変わったような気もしています。
本を読むこと、服を着ること、食べること、動くこと、言葉遣い、日ごろのあり方、そういうものも必要に迫られて変えざるを得ず変わってきました。
けれどもそれをしてくる中で学んだことが別にあります。
無理をしすぎるのは良くないと言うことです。
だから適度な負荷をかけ、それ以上は諦めて手放してしまうことも必要なのではないかと思うのです。
その時に自分が無理なく受入入れられる程度の負荷を断続的にかけ続けることで、ちゃんと自分に力がついたらできるようになることもあるはずです。
だから柔らかく断続的に努力し続ける、それを絶対に止めてはいけないと思っています。
そのためにはやはり、相手からの理解を得られるような努力もしなくてはいけないのですが、場合によってはとても難しくてなかなかうまくいきません。
自分自身でも自分に対してどれくらいの負荷をかけ続けるのが適当なのか分からなくなってしまうことがあります。
だから失敗も受け入れながら、続けていくしかないみたいです。
どんなことでもやり続けていくというのは大変なことです。
そして周りは自分に合わせてくれるわけではないので、進めば進むほど大変なことは増えていきます。
そういう中でどんなふうに先に向かって進んでいくのか?
わからなくなりそうになることもたくさんあって、大変です。
がんばらないと。
ありがとうございます。 嬉しいです。 みなさまにもいいことがたくさんたくさんありますように。