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帰り道でいろんなことを考えました。

 いろんな人のおかげで今があります。
 
 いろんな偶然が重なって、今働いている場所で働くことになりました。

 大変なことの連続ですが、仕事があるのはありがたいことです。
 
 本当に苦しかったし苦しいことの連続でしたが、私はそういう時いつも、楽しいと自分をごまかして苦しいことを乗り越えようとする人間です。

 でも、本当に私が『楽しい』と思って暮らしていると誤解した人たちに傷つけられ続けています。

 その人たちに私を傷つけてもいいと言う権利はありません。

 どうして私を傷つけてくるのか、私には理解ができません。

 本当に困っています。


 私が今の場所で働くようになったのは、本当に偶然の連続で、あらかじめその状況を想定していたわけではありません。

 自分でもできないような偶然の連続が、私は今の状況の中に置いています。

 本当に不思議です。

 その不思議の中で、苦しいことの連続の中で、私はもがき続けています。

 自分がもっと要領が良くて、器用な人間だったらこんなふうになっていなかったのかもしれないと考えたりもしますが、今の現実が高なのですから、その状況からできる限り良い方向に進んでいくしかありません。

 傷ついたり傷つけられたり、どうしていいかわからないままここができてしまいました。

 それで感じ続けているのは、何かを完璧にやり遂げることなんて絶対に無理だと言うことです。

 なんとなくやってみたら、なんとなくこうなって、なんとなくどうにかなった。

 そのようにしか生きられない不器用な私です。

 だから落ち込むことの連続ですがそれでも生きていることはありがたくしあわせなことです。

 生きているから、苦しくてもまだ可能性があって、何かを成し遂げようとすることができます。

 そのことのかけがえなさに感謝をしたいと、感謝できる。自分でいたいと、思うけれど、現実は厳しくてなかなかそうはいきません。

 誰でもそうであるように、私自身も、現実の中で、もがきながら、苦しみだから、生きています。

 私だけではなくて、多分、きっとみんなが苦しみながら、どうにかこうにか生きているのか、現実なのかもしれません。

 その身も蓋もない事実を受け入れた上で、自分の願いを叶えていこうとして、がんばり続けている人しかこの世の中にはいないのかもしれません。

 生きていくのはなかなかに大変なことです。

 この大変な現実の中で、私の子供も多分何かと戦いながら頑張っているかなぁと思ったときに、話を聞いて理解してあげたり、どんな状況になっても味方でいてあげることで、心の支えになることができたらいいなと思いますが、それが許されない現実が私にはあります。

 だから諦めて、自分が子供に迷惑をかけないように、できることならば、子供が私が頑張っているから、自分も頑張らなければいけないと考えてくれるように生きていくしかありません。

 それはなかなかに厳しいことで、とても辛いことでもあるけれど、私にできるのはそれしかないので頑張るしかありません。

 子供には本当の意味で自分を大切にして、自分のことを好きだと思えるようになりながら暮らしてほしいと思うのです。

 中途半端に親に甘えて、自立できない人間になって欲しくないのです。

 苦しい時に理解者になって、心の支えになってあげることと、物やお金をどんどん与えて甘やかしてしまうのは全然違うと思うのです。

 こういう私の考え方は間違っているのでしょうか?

 誰かに甘えていないと生きていけないようなダメな。人間にはなって欲しくないのです。

 子供だってそんな人になりたいと思っていないと思います。


 長い間私は、自分の母親に経済的に援助してもらって暮らしていると誤解されていました。

 現実にそんな事は全くありませんでしたが、結婚していた人も、その人の家族もみんなそう信じて疑いませんでした。

 そのことが今のような状況を作ってしまったのだとしたら、私はどうすればよかったんでしょうか?


 そのことを深く考えてしまうと、私は人間というものが恐ろしく感じられて何もできなくなってしまうような気持ちになるので、考えることができません。

 

 どうしたらいいかな?

 怖いです。さ

 

ありがとうございます。 嬉しいです。 みなさまにもいいことがたくさんたくさんありますように。