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最後の日

大晦日。前々からのドキドキ感と、起きたときの当日!感は誕生日に劣る。けど家でて駅に向かっているとスカッと晴れやかな、お隣から掃除機の音が聞こえてきたり枝を落としてる家があったりああ街の雰囲気が確かに年末だ。晴れやかな空はいつだって祝福してくれているようで気持ちがシャンとする。今日もいつも通り仕事に向かう。スカスカな電車。平日の殺気立つ車内とも、土日の賑やかさともたしかに違う落ちついたあたたかな賑やかさ。この雰囲気が私はだいすきで、クリスマスから年末にかけて、今年は予定も休みもなくいつも通り仕事だったけどやっぱりみんなが浮かれてるのはいいもんです。1年に1回だけの雰囲気。
昨日Xで流れてきたまめつぶさんの
「ほぼxを見る時間もなく私の電池が切れそうになってる。白菜の1/4より1/2がどんどん売れていくのを見てお正月だなぁと思った。普段は1/4の方が売れるから。家族が帰ってきたりするんだろうね。おやすみなさい。」
という投稿がよくていいねする。スーパーでただ働くのではなく周りを見て変化に気づくところ、きっと家族が帰ってきてるんだろうという想像力、白菜の売れ行きでお正月を感じているところ、かわいい。短歌よめそう。素敵な人だなあと思った。私もこういう、過ぎていく日常をしっかり掴んで生きていくような生活がしたい。それが短歌を読むとできるからすきだ。あ、これいいな、と心が動く。動くようにアンテナをはっておく。それは大きなイベントではなくて全部日常にある。心の揺れ動きを31文字で表している歌人の方々は本当にすごい。際限ない言葉や表現からこんな表し方をするんだ!と驚く。最近だとくどうれいんさんの
「噛めるひかり啜れるひかり飲めるひかり祈りのように盛岡冷麺」
という短歌をみて何度も頭で反芻する。Xの投稿にはぴょんぴょん舎の写真もあるが、私も盛岡で食べたぴょんぴょん舎が思い出された。多分、家で作る冷麺とか、焼肉屋でシメにたべる冷麺だとこの短歌にならない。あの、盛岡という土地で、ぴょんぴょん舎の店内で、キラキラ光る盛岡冷麺にまさにぴったりな表現で、私が「盛岡冷麺の短歌を作ってください」と言われても絶対に作れない。きっと心から盛岡がお好きなんですね。こんな短歌が作れるようになりたい。心の動きを逃さない。
くどうれいんさんは、4、5年前に盛岡のBOOKNERDに行ったときに「わたしを空腹にしないほうがいい」を買ったのが出会い。そこからいろいろな取材記事や本を読んで、内容はもちろん他者の才能に悔しがっているところが好き。わかるから、悔しさとやったるぜという熱量。人間味がある人が好き。ガタガタとぶつかりながらもガシガシと進んでいく人が好き。なんとなく似ている友人を思いだす。特にうたうおばけは、うわあこうやって文章って書くのかと思ったし面白くて興奮した。かなり前に読んだので内容は正直曖昧ですが興奮は覚えてる。絶対読んで。
しっかり自分の人生を生きれてる。今年はなんとなくまたとっかかりがわかった、気がする、くらい。でもやることと、いる場所と、会う人が変わってるのでかなりいい年でした。来年もそうなったらいいな。やりたくないことと、やりたいことがわかったのでそれをし続けるだけだ。今年も楽しかった。
来年もよろしくお願いします。

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