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タブーを議論できないのは何で?

タブーが議論にすら上げられないのはなんでだろう
異論が併存できないのは何でだろう?
私の中の素朴な疑問でした。

で、異論が併存できないのは、人としての存在と付き合う社会ではなく
立場、地位、身分と付き合う「世間」という
共同体思考や習慣システムの中に生きているからであると
いう風に最近思うようになってきました。

まず、共同体思考システムとは何かを簡単にいうと
内と外の「内側=身内」の事である。

しがらみともいうべき「贈与・互酬の関係」「目上・目下の関係」
の中にある物理的生命より立場(=社会的生命)を優先する関係性の中にある
日本的な社会であると個人的に解釈する。

世間内では、みんなが「共通の時間意識」を生きているがために
電車やバスなどの公共時間は定刻が当たり前になっている。
しかしながら、西欧的な個人の時間を生きる社会では
公共機関のあいまいさは当たり前のこととして受け入れられる。

他人軸で生きる他律的社会と自分軸で生きる自立的社会と言い分けても
いいかもしれない。

どちらがいいかは別として
「世間という共同体思考システム」についてもう少し書籍からの
抜粋にて説明を加えます。

以下「魂の脱植民地化とは何か」深尾葉子著 p274より抜粋
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共同体的社会に生きる場合、つねに今の主流は何かということに敏感で
なくてはならない。
より権威的で全体の方向性を決める力のあるものの発するメッセージを
汲み取り、自ら進んでその片棒を担ぐことが集団の中での立場を守ることに
つながる。

また、全体の空気が変化すれば、すぐにそれを察知して乗り換えることも
忘れてはならない。
共同体での立場が何よりも重要なのであって、主張の一貫性などは考慮の対象に
ならない。

集団を支配する方向性が見えたら、後は強い同調圧力とプロバガンダで、
どちらともつかない人を取り込み、「大勢」を確立する。
こうした社会に生きるためには、「自分自身の感性」はできるだけ封じ込め
あくまでその場その場での役を演ずることが、「大人」であると評価される。

他者から与えられた見方に自己をゆだねることを「魂の植民地化」と呼んでいる。

集団で決めたルールや秩序に従って自らの生きる摂理を抑え込むのは、
生きる命の本意ではない。

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抜粋ここまで。

つまり、同質同意見の同じ船に乗っている利害の一致するものの事しか考えない
空気で察する同質性社会(=内と外の身内だけの事しか考えてない自分ら中心主義)

内と外の外側(=意見や立場、利害の反するものまで人として含まれる)対話や
議論というものが、タブーな案件に対しても当たり前にテーマとして挙げていい
開かれた公共性のある社会なのか?の違い。

簡単な事例を出すと、電車の中で酔っぱらって大声ではしゃいでいる小集団のように
その他の人(=外部)の存在が普通見えなくなってしまう状況。
そこに、外部からの「もう少し静かにしてもらえますか?」的な対話や
コミュニケーション(=ディスコミュニケーションを含む)が成り立つかどうか?
お互いが相手を理解しようとして、言葉を交わせるか?
そういう社会であるか?現実問題は、やはり多くの人は対立を嫌がって
黙っていることが多いだろうと思いますし、私自身もそうなのです。

この違いがわかれば、大西恒樹氏の「心の自由を大切に生きる」という一貫した主張
のもとに、提示された「命の選別」発言も個人の純粋な感性から発せられた一つの意見
として、人格へのバッシングや排除、抑圧なしに少なくとも「議論の上にあげる」ことは
可能とする思いはあります。

残念なのは、マスコミその他の反れいわ勢力により「命の選別発言が」いかにも氏が
命を軽々しく扱っている人物的な印象にでっち上げられ、利用された感がいなめない
ところです。

そして、私が長らく自分の意見を集団の中で抑圧して生きてきた原因も多くの場合
上記の学校や会社という固定的で閉じられた人間空間である「世間という共同体」の
中にしか生きる事が出来なかったからなのじゃないかと、ふとコミュニケーション障害
などがもとで生き辛さを感じている他の皆さまに一度問うてみたい内容なのです。

実際、私自身が最初は自分の想いや感じていることを「言語化できない」
「自分の言葉=ボキャブラリ」不足でモヤモヤしていたのは確かにあります。
しかしながら、個人の言語能力とは別のところに言いたいことをいえない
世間という日本的な特殊な壁や見えない圧力が存在することも知ってほしいし、
社会をもっと良くしたいと願う皆さまと共有したいのです。

参考書籍
魂の脱植民地化とは何か 深尾葉子著
「私」を生きるための言葉 泉谷閑示著
暴走する「世間」 佐藤直樹著

#大西つねき

#命とは

#タブー

#世間


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