贖罪のための罰符【麻雀初心者・チョンボ】
こんばんは。
場末フリー雀荘出身の田ノ倉です。
お盆中も通常通り働かされ、やっと一日だけ休みが入ったと思ったら、
取引先の社長から「うちの従業員が麻雀覚えたいって言ってるから付き合ってよ」と言われ、
貴重な休みをいつもと違う意味での接待麻雀に費やすこととなりました。
「休みなのにめんどくさいなあ~」
「麻雀覚えたいって、役から教えんのかな~」
「点数計算とかも教えんのかな~」
「何切ったらいいとか聞かれてもわかんねーな~」
とか思いながら件のメンツ2名と社長と合流しました。
結果として、初心者とされて来た取引先の従業員2名は、
Mリーグを見て麻雀をはじめて、
雀魂で役や点数計算はすでに記憶済み。
最低限の牌効率等は理解していて、
雀魂でいうと雀豪1と雀豪2とのこと。
普通に打てるんじゃん、こんなの普通の接待麻雀やんけ、
と思っていたところ、
「リアル麻雀を打つのがはじめてなので、段取りを教えてほしい」
とのことでした。
場末仕込の所作なんて参考になるのか?
と思いましたが、大事なお客様なのでなるべく汎用性の高いやり方を頑張ってお教えすることになりました。
途中、社長が
「今回の場代とかメシ代は全部俺が持つから」
と言ってきたので、
「いやでもリア麻の段取りなんかネット見ればある程度勉強できるんじゃないすか?わざわざ僕に金かけて教えてもらわなくても・・・」
と言うと、
雀豪2(女性)のほうが
「今度Mリーガーがゲストで来る大会にいきたいんですけど、“チョンボ無し”って書いてあって・・・」
というのです。
普通なら、チョンボなしって謳ってるくらい初心者歓迎の大会なら、何も心配ないやんけ!と思うところでしょうが、
個人的には、ああ、なるほどと思いました。
「あ~・・・・チョンボ無しが、ってこと・・・・?」
と答えると、雀豪1(東大出身男性)のほうが
「そうなんです、チョンボ無しってことはなんかミスして迷惑かけてもこっちにお咎めなしってことじゃないですか。逆にチョンボあったほうがまだ気楽に行けるんですよ。社長はまったく理解してくれないですけど」
と言う。
これ要するにどういうことかといいますと、
まず、
チョンボ=ルール違反、ゲームを乱す行為
であるという認識のある初心者がいたとして。
その人が、とある麻雀の大会に参加したいんですが、
まわりの人に迷惑をかけるチョンボをしてしまったとしても、
大会規定に「チョンボなし」というのがあるので、
自分に一切のダメージがないと。
初心者なのでチョンボのおそれがあるのですが、
チョンボというのは通常何らかの点棒的罰則があるところ、
初心者歓迎の大会ということで、そういう罰則がないのです。
これに対し、初心者側から、
「まわりに迷惑をかけていて、通常は罰符を払うはずなのにそれがない。そうなってしまうと、ただただ気まずすぎてその状況が怖いので、いまの状況でその大会に参加することが躊躇われる」
そういう意見が出ているということです。
本来、初心者の方が気楽に参加できるように、
という目的で「チョンボなし」というのが設定されていると思うのですが、
これが裏目・・・・・!!
という話です。
チョンボに伴い支払う罰符は、せめてもの贖罪・・・・!!ということです。
言いたいことはまあ良くわかります。
確かに、
「初心者だからチョンボしちゃうかも・・・!!」
と考えて大会への参加を躊躇している層が、
「え!チョンボしてもお咎めなしなの!??やった!じゃあ参加してみよー!」
ってなるのか?と言われると、微妙な気がします。
そもそも
チョンボしちゃうかも・・・・
と不安を感じている真面目な層って、
チョンボしちゃうことで同卓者に迷惑をかけてしまうことを不安視しているのではないかと。
そういう人たちにとって、チョンボに伴って課される罰符は、贖罪的な意味合いで捉えられているということになります。
だとすると、チョンボ無しというのが解決策にはなっていないというか、
よくよく考えるとさらに足枷に感じられる人がいるというのは十分理解できます。
チョンボなしといわれて、
何も考えず
「チョンボしても大丈夫なの?!じゃあ安心して参加できるね!!」
と思うような層は、最初から
「初心者が参加しても大丈夫かな・・・・」
なんて思わず余計なことは何も考えず参加してるのではないでしょうか。
もともと
「初心者の自分が参加してチョンボなんてしてしまったらまわりに迷惑をかけてしまうことになるかも・・・」
と不安に思うような人たちは、さらにチョンボしても何もなしなんてことになると、
「え!もともとチョンボなんかしたらまわりに迷惑なのに、さらに同卓者に負担をかけることになるなんて・・・」
ということになってしまうというわけです。
それにしてもやはり優良企業の社員たちは考える視座が違います。
ちゃんとまわりのことを考える精神的余裕がある。
素晴らしいですね。
自分のことしかかんがえていない我々ブラック企業戦士たちとは大違いです。
ということで、おそらく初心者への門戸を広げるべく記載されたこの文言。
はたして本当に広がっているのか、あるいは存外に狭めていることになっているのか。
どうなんでしょうか。
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