だから私はnoteを書きます

 飛び石によるヒビがフロントガラスの半分に達したので工場へ。代車に借りた現行モデルのカローラセダンは快適です。サイドブレーキが物理的にありません。コンピュータ制御でシフトをパーキングにすると自動的に入るみたい。明日の通勤は高速道路なのでどんなものか楽しみ。

 少し前から、メモを手書きしたりnoteを書いたりツイッターをしたりして、頭の整理を意識的にするようにしました。過去には長い期間、日記を書いたこともありましたが、生活の変化とともにやめてしまい。でも、どうも書いた方が良いらしいと知って再び手を動かし始めました。

 未経験の範囲が多い時には、毎日が新鮮で、起こったこと見たこと聞いたこと、息を吐くように書けていました。しかし年齢が上がるとともに新鮮な気持ちで受け止めることが少なくなったのか、単に心身疲労が蓄積したからなのか、手が止まる日が出てきました。今も有意義なことを書こうと思うと手が動きません。有意義なことを書く以前に、書くことが自然にできないと何も始まらないというのに。格好つけたいのかも知れませんし、恥をかきたくないのかも知れません。

 mixiや自作ホームページで日記を書こうと思ったのは、糸井重里さんのほぼ日刊イトイ新聞を読んでいたからかも知れません。毎日更新される今日のダーリンを欠かさずに読み、いろんな方との対談を文字で追っていたことが大きかった気がします。柳井正さんや亡くなった邱永漢さん(この人のアドバイスもあり、ほぼ日は無料なのかな)など沢山の方を知るキッカケになったし、文字を書くことの面白さも知りました。

 それから糸井さんの真似事のように日記を書いてwebに投稿を。誰かが読んでくれる事を意識する事なく、でも糸井さんみたいに刺々しくない文章を意識して書いていました。当時の自分は書く事で、自分の気持ちが見えて落ち着けていたのかも知れません。

 そして今またこうしてnoteを、毎日ではありませんが書いています。生活に新鮮さがなくなったのではなく、新鮮さを求めなかったことにも気づきました。誰かにとって有意義になるものではないでしょうが、私には有意義であることは最近になってわかったことです。

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