プールカード
小学校中学年くらいのこと。
僕の小学校では、夏休みにも児童向けにプールを開放していた。
行くも行かないも自由だったが、行くと「プールカード」にハンコを押してもらえた。
いわゆる「ラジオ体操カード」と同じ仕組みだ。
僕は早起きが苦手な上、皆勤賞のようなものにも興味がなく、ラジオ体操にはほとんど参加していなかった。
ただ、このプールカードにハンコを押してもらうのは好きだった。
単に泳ぐのが好きだったというのもあるが、「強制ではなく参加率も高くないものに積極的に参加している」ことが、自己肯定感に繋がっていたのだと思う。
僕のプールカードは綺麗にハンコで埋まっていった。
とにかく天気が良かったのを覚えている。
それまで漏れなく通っていたプールだが、その日はなんとなく足が向かず、ベッドの上でゴロゴロしていた。
別に今日は行かなくていいか…ハンコを集めたからって誰にも褒められないし…
そんなことを考えながら、プールの開放時間になってもぼんやり過ごしていた。
いや、やっぱり行こう!今からでも遅くない!
急に「行かねば」という思いが強まり、慌てて水着やタオルを用意する。
学校までは走れば10分も掛からない。
プールの開放時間が終わるまで、まだ十分に時間はある。
家を飛び出し、炎天下を夢中で走る。
プールに飛び込んだらきっと気持ちいい。
校門を駆け抜け、プールが近づく。
はしゃぐ子供達の声が聞こえてくる。
着いた!
プールの入口は、少し重い素材でできたスライド式の扉だ。
開放時間の初めには開けっ放しになっている扉が、今は閉められている。
途中で来ると自分で開けなきゃいけないんだな…そういえば、この扉を開けるのは初めてだ。
そんなことを考えながら、荒い呼吸のまま扉に手を掛け、力を込める。
開かない。
思いもよらぬ事態に、一瞬思考が停止する。
力が足りなかったかな?
先ほどより強い力を込めてみる。
やはり開かない。
扉には鍵が掛けられていた。
中からは楽しそうな声と水音が聞こえる。
不安になりながら、扉を軽く叩いてみる。
反応がない。
プールサイドに回ってみるが、プールは地面から少し高い位置にあり、自分の背丈では中の様子が分からない。
中には先生がいるはずだが、どこにいるのか分からない。
大声を出せば誰かしら気付いてくれるだろうけど…変に目立つのは怖い。
途方に暮れつつ、そのうち誰か出てくるだろうと思い、入口に戻って待っていた。
たぶん10分くらいだったのだろうが、僕にはとても長い時間に感じられた。
結局、僕は諦めた。
なぜ最初からプールに行こうとしなかったのか。
なぜ大声を出して人を呼ばなかったのか。
その後悔が頭の中をぐるぐる回る。
家に向かう足取りは重い。
その夏、プールカードに新たなハンコが押されることはなかった。
あれから20年近くが経つ。
僕は当時の後悔を今でも引きずっている。
夏が来るたび、いや、冬だろうがなんだろうが、あの後悔は唐突にやってきて、心臓をギュッと締め付ける。
きっとこれからもそうなのだろう。
他人から見れば大したことない出来事でも、心に深く刻まれてしまっている。
それ以降、友達などから遊びに誘われたら、できる限り断らないようにしている
行けばよかった、そんな後悔はもうしたくない。
新たな後悔をしないで済む代償として、プールカードを埋められなかった後悔は、死ぬまで僕の心に残り続ける。
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