外交的な人と内向的な人の決定的な違い

先日、こんなツイートを見つけた。


自分の存在価値や提供できる価値を定義できないと不安に感じてしまうのが内向的な人。
一方、それを気にしないのが外交的な人。


この定義自体は確かに頷ける。本当にその通りだ。

が、このツイートを見て多くの人が持つ感想と、自分の感想は異なっているのではないかとも思う。


私は、「じゃあ、自分の価値がどうこうなんてクヨクヨせずに明るく振る舞えば外交的になれるのか!」とは到底思えない。


外交的になるか内向的になるかは、生まれつきほぼ決まっていると私は思う。

外交的な人は、生まれつき価値に恵まれていたからこそ、自分に価値があるかどうかなど気にせずに済んできただけ。

内向的な人は、生まれつき何かしらのハンディキャップを抱えていたことで、自分に価値がないことを突き付けられた。そうやって価値がない人向けの扱いを周りから受け続けてきたからこそ、自分の価値に対して敏感にならざるをえなくなった。


そもそも「自分に価値があるかどうか」について考えてしまっている時点で、「自分には価値がない」ことを自覚させられる経験を経ている可能性が非常に高い。人生がうまくいっていれば、そんな精神的に負担のかかることをわざわざ考える必要がないのだ。

「自分に価値がない」ことを自覚させられる経験というのは、主にいじめだろう。ターゲットになりやすい人の特徴としては、極端に特徴的な外見だったり、人よりちょっと鈍いところがあったり、空気が読めなかったり、などが挙げられる。

いじめられやすそうな要素を持っている人というのは、誰から見ても明らかである。だからといっていじめていいとはもちろん思わないが、「いじめられる側にも原因がある」のは正直事実だと思う。

ただ、そういう特徴が本人の努力不足によるものかと考えてみると、そんなことはなかったりもする。生まれ持った外見や頭の作りが少し悪かったばかりに、不遇な目に遭うパターンは非常に多い。

本当に悪い言い方をすると、内向的な人は実際に価値が低かったのだ。

「価値が低い」という評価は、ある一定の期間、周りの限られた人たちの限られた視点でのジャッジに過ぎない。だからその人のすべてを否定するわけではないが、ただあくまでも、当時の周りの人から見れば価値が低かったということだ。


また例外もある。毒親の下に生まれて理不尽な虐待を受け続けた結果、普通の人から見れば十分優秀そうに見える人でも、自分に自信がなく内向的になってしまうこともあるだろう。

見るからにいじめられやすそうな人でも100%いじめに遭うとは限らず、逆にいじめられそうな特徴が無い人でもいじめに遭うこともあり、運に左右される部分もかなり大きい。

ただ、親も生まれ育つ環境も選べないので、それも結局生まれ持ったものの1部だとは思う。


逆に外交的な人は、実際に価値が高い人が多い。

1番分かりやすい例を挙げれば、内向的な人よりも外交的な人の方が美男美女が多いのは間違いないだろう。美男美女ならニコニコしてそこにいるだけで周りはチヤホヤするわ、わがままを言っても許されるわで、いくらでも人は寄ってくる。そりゃ人と接するのが楽しいに決まっている。

見た目がいまいちだろうと外交的な人もたくさんいる。このタイプは大抵、運動部に入れる程度にはスポーツができて、声が大きくてテキパキ動けるタイプである。運動神経も生まれつき個体差があるのは明白だろう。

そもそも、外向的=明るい雰囲気を醸し出せるということだ。外交的な人は意識していないのかもしれないが、明るい雰囲気そのものが社会的に大きな価値でもある。


ここまでの話をまとめると、

自分の存在価値や提供できる価値を定義できないと不安に感じてしまうのが内向的な人。
一方、それを気にしないのが外交的な人。

内向的な人が自分の存在価値や提供できる価値を定義できないと不安に感じてしまうのは、自分には価値が無いことを周りから突き付けられてきたから。
外交的な人がそれを気にしないのは、優れた外見や明るい雰囲気など、生まれつき価値に恵まれてきたから。


では、内向的か外向的かは生まれ持った要素で決まるとしても、内向的な人が外交的になることはできるのだろうか?

内向的な人が外交的になるにはどうすればいいか


内向的な人が外交的になるには、自分の価値を高めることが第一だ。


同級生との会話が上手くできないことで悩んでいる視聴者に対して、武井壮さんがアドバイスする動画を見つけた。

武井壮さんによれば、会話が上手くいかない要因は、会話の内容などのコミュニケーション能力そのものよりも、自分に興味を持ってもらえていないことの方が大きいそうだ。


この話は本当に的を得ていると思った。

外交的な人は必ずしも話が上手いわけではなく、周りから価値が高いとみなされる要素があるからこそ、興味を持って話を聞いてもらえて、心地よい会話が成立する。

武井壮さんも「自分は陽気なキャラだったし、運動もできたから」と動画で言っていて、自分が陽キャラ側だったからこそ周りが優しかったことをしっかり自覚しているようだ。


この動画の武井壮さんのアドバイスは以下の通り。

・自分が話しやすい分野のコミュニティに入る
・ある程度メジャーなことに精通する

要するに、自分の価値を高く見てもらえる場所に移動するか、多くの人から価値を感じてもらえるように行動するかということだろう。


他にも、私の考えに近いと思われる記事を見つけたので貼っておく。

「人と接するのが好き」という人物は「人と接するのが嫌い」な人の配慮を受けてきたからこそ「人と接するのが好き」と感じている。


「人と接することが好き」という人は、まさに学生時代陽キャラだった人なのだろう。

そういう人に、必ずしも会社で求められるコミュニケーション能力が備わっているとは限らないそうだ。

学生時代はイケイケだろうと、新入社員は会社では下っ端扱い。「自分に提供できる価値は何か」を考えて動く、内向的な人のコミュニケーションは会社員としては重宝されるらしい。


外交的になれるかどうかは、話の上手さなどコミュニケーション能力そのもの以前に、価値が高い人だと思われることが第一である。

もちろん、外向的な人の方が話もうまい人が多いのは間違いない。価値が高い人は自分から話しかけずともいくらでも人が寄ってくるので、圧倒的に場数を踏みやすく、話そのものも上手くなるのだろう。経験を積むための土俵に上がるにも結局価値が必要なのだ。

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