見出し画像

褐色細胞腫闘病記 第19回「違和と不安の診察室」

3カ月ぶりに訪れる病院。

今回は手術を決意するまでにどうしてもこれだけの時間が必要だった。
でも、決めたからには臆していてはいけない。
もう一度自分を奮い立たせなければ、到底あの壮絶な痛みには耐えられないだろう。

外来診察。いつもの棚沢教授のドアの前に向かう。
あれ? ドアに棚沢先生の名前のプレートがない。3カ月来なかった間に診察室が変わったのだろうか。

外科外来の受付に行って事務員に問う。
この事務員はものすごい美人だ。いつも少し顎が上がっていて横目でこちらを見る。
冨永愛と荒川静香を足して、北川景子で割った感じ。
この田舎町ではめいっぱい目立つ、恐ろしいほどの美人。
そして恐ろしいほどいつもいつもめっちゃ感じが悪い。

「あの、棚沢先生の診察室、変わりましたか?」
おそるおそる出す私の声は情けないほど卑屈だ。
「は? 三島さん知りませんでした?」
おいおい、「は?」はないだろうが。こっちくらい見てくれよ。
「知らないって何を…」私の声は蚊のように小さい。
「棚沢先生、今、アメリカに招聘されていますけど」
「ええっ?」そんな馬鹿な。いないの?
じゃあ私の手術はどうなるんだ。

でも、3カ月もの間、手術の可否を保留したまま音沙汰を無くしていたのは私のほうだ。
予約を勝手に延ばした患者に、海外に行くことをわざわざ連絡する義理は当然ないだろう。

「あの、それで代わりは…」誰が診てくれるんだ。
「代診は、北野先生です」誰だそれは。
「あの、梶並先生ではないんですか?」
「違います」ああ、そうですか。で、それ誰。
「あの、北野先生というのは、今度の手術の執刀医…」
「そういうことはこちらではわかりかねます」
「あの、この病気の専門医なんでしょうか」
「だーかーらー、そういうことは先生に訊いてください」

へえ、そうなんですねわかりましたいいですね美人はそんな態度でも仕事が勤まるんですね〈木で鼻を括る〉って諺を全力で体現する人をはじめてみましたなかなかできないですよその態度はちくしょう馬鹿にすんな。

心にわちゃわちゃ湧き起って来た言葉を渾身の力でぐびっと嚥下し、私はぎゅっと拳を握って声を放つ。
「わかりました。ありがとうございます」
ツン、と無言でパソコンに視線を流す北川景子。
あんな態度を取りながら受付という仕事している理由が私には本当にわからない。

やがて、私は名前を呼ばれた。
ドアを開けると肩肘をつき、左手に顎を預けてパソコンを見ている医師がいる。40代前半くらいか。え、両足組んでないか? 随分デカい態度だな。
フレームのない眼鏡と少し癖のある髪。及川光博のようなスキっとした印象を受ける。だが、その瞳はこちらを見ない。
さっきの超絶美人受付嬢と同じにおいがプンプンする。

「あ、あの、は、はじめまして」
生来の人見知りが発動する私。この先なんて言えばいいんだろう。
「あー、はい、あ、ちょっと待って。えーっと、みどり先生、近くにいるー? ちょっと来てくれるぅ?」
おいおい、なんだそれは小間使い呼ぶみたいに診察室で人を呼ぶなよ。

パタパタと駆け付ける足音。診察室の後ろのドアが開く。
あ、藍野みどり先生だ。2回目のオペの時に助手の助手として手術室に入ってくれた医師だ。
私は緊張が一気に解ける。フっと不安が散り、安堵が広がり、思わず話しかける。
「みどり先生!  こんにちは。ご無沙汰しています!」
「はい、お久しぶりですね」
あ、あれ? なんか声が固いんですけど…

「え~っと、みどり先生、この $%&#♭は、'&%$%$%#なんだよね?」
あの、北野ドクター、あなたの言葉、いきなり文字化けしてるんですけど。
すみませんけど患者の私にも解るように話してもらっていいですか?
専門用語で内々に話されても何も伝わらないんですけど。
それに、あの、まだ自己紹介すらしてくれてませんよね。

ものすごい嫌な感じを心に宿した私は、救いを求めてみどり先生を見る。
ふと、みどり先生が私に目配せしたように見える。
そうか、この先生はいつもこんな感じなのか。
全てを察して私は黙る。

私のオペは、このスカした医師が執刀するという。
「私は海外で経験を積みました。褐色細胞腫の患者は一度だけドイツで診ました」
それがどうした。その患者は今元気なのか?  生きてるのか?
「棚沢先生に是非この手術をさせてほしいと願い出ましてね」
ほうほう、そうですか。それは奇特な。
「外科医としてこういう珍しいオペができるのは…」
「北野先生、オペの日程はどうしますか」
みどり先生が言葉を遮る。

この医師は「私」を診ていない。
ただ、この珍しい疾患の手術がしたいだけだ。
腕試しのつもりででもいるのだろう。強くそう確信する。所詮代診で代役だという気持ちなのだろう。
私はそんな医師に私の体を切ってほしくはない。

診察室を出て、私はうつむきながら会計に向かう。
どうやってオペドクターを断ればいいのかだけを考える。
私が担当医を拒否するなんてことは許されないだろう。
でも、私は棚沢先生の帰国を待ちたい。帰国はいつになるんだろう。
私が3カ月迷っていたから、棚沢先生は黙って海外に行ってしまったのだろうか。
たとえ私に非があったとしても、あんな医師にメスを持ってほしくない。

じっとベンチに座って思い悩んでいたら、突然みどり先生が私の肩を叩いた。
「三島さん、さっきはごめんなさい」

私は泣きそうになりながら、みどり先生の顔を見上げた。


よろしければ、サポートをお願いします。いただいたご芳志は、治療のために遣わせていただきます。