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褐色細胞腫闘病記 第35回「溶けかかるアイスクリーム」


ママ友との交流。
これはどうしても避けて通れない道である。
子供を学校に預けながら、親が親同士の中で孤立するわけにはいかないからだ。

娘が小学校に入ってからすぐ、噂話が嫌いそうな人を血眼になって探し、なんとか合いそうな話し相手を見つけた。
崎森こずえさんという私より3つ上のママは大所帯、子供が4人いる。
線が細く、声も小さく、いつも花影のようにひっそりとほほ笑む、静かな佇まいの人だ。彼女も私のような人を見つけていたらしく、すぐに意気投合した。

義父の葬儀では、私が気が付かない些細な部分にも配慮してくれて、葬儀が終わるまで親身に手伝ってくれた。
野乃子と同級生の崎森さんの三女、桃花ちゃんは勉強の得意なちゃきちゃきした利発な子で、のんびり屋の野乃子とは対照的だった。が、ふたりはとても相性が良いらしく、寄ればいつでも楽しそうに遊んでいた。

年度末だ。今日は小学校最後の自治会の集まりがある。
大切な来年度からの役員決めだ。日曜日だというのに寒空の中、公民館に召集される。
私はくじ引きで〈環境美化委員〉に決まった。要は花壇の管理である。花の世話が好きな私は小躍りする。

見事〈会計委員〉の貧乏くじを引いてしまった崎森さんが小さな声で言う。
「中学になると勉強できる子はいじめられるから、転校する子もいるのよ。田舎ってこういうところ、ほんっと嫌よね」
「でも、桃花ちゃん勉強できても威張らないし、人気あるから大丈夫よ」
「そうかなあ…なんかひとりっ子っていいわよねぇ」
「ずーっと  "そろそろもうひとりどうなの?"  って訊かれる人生になるけどね」
「うふふ、うちは "さすがにもういいだろう"っていつも言われてたわよ」
私たちは声をあげて笑う。
こずえさんは茶色くて細い髪を緩い三つ編みにして一つに束ねている。
しなやかな細い指。たおやかな姿勢。長い睫毛。可愛らしく垢ぬけていて、とても4人の子持ちには見えない。

帰り道、4人で自転車を押して歩きながらしゃべる。
野乃子はアイスクリームが食べたいと珍しく駄々をこねている。
そっか、さっき桃花ちゃんのことだけを褒めたから、ちょっとやきもちを焼いているんだな。

こずえさんが言う。
「野乃子ちゃんは絶対におともだちの悪口を言わないのよね」
「え、そう?」確かに家でも聞いたことがないなと思って促す。
「きょうだいがいないと、そういう悪い影響も受けにくいのかな?」
「あははは、それはあるのかなあ?」
「我が家ではひっきりなしに誰かが誰かの悪口言ってるよ」
「それはそれで楽しいんじゃないかな」
こずえさんのところは子供4人、義父母2人、そのうえなぜか旦那様の兄も2人同居していて、大きな犬も2頭。
この大所帯をこの細腕で見事に取り仕切っているこずえさんの逞しさを、私は心から眩しく思う。
セブンイレブンが見える。
野乃子と桃花ちゃんは自転車に乗って急ぐ。

「ママー、つめたくて、ふわふわしてるし、ホント最高♪」
雪見だいふくで口角を真っ白にしている野乃子が叫んでいる。
ガリガリ君派の桃花ちゃんはソーダ味で舌を真っ青にしてベーッっと私たちに見せる。
なんだかんだいってもまだまだ子供だ、と、私はいとおしい気持ちをそっと胸にしまう。
私は体が冷えるのを恐れ、買ったはいいがとてもその場でアイスは食べられない。

こずえさんがニコニコしながら野乃子に問う。
「野乃ちゃん、ひとりっ子、寂しいと思うことはある?」
「うーん、のの、最初っからひとりっ子だっから、さびしいとかないなあ。もし途中できょうだいがいなくなったらさびしいかもしれないけど」
「そっか、失うものはなかったわけか」こずえさんが大人っぽい返しをするが、野乃子はキョトン、としている。そんな顔を見て、私は再びやっぱりまだまだ子供だなあ、と苦笑する。

ふと腕時計を見る。
もうそろそろ実家に夫は到着しているだろうか。

野乃子のために貯めておいた大切な貯金まで私の目を盗んで使い果たし、そのうえ、会社の後輩や先輩、挙句の果てに私の妹の旦那の親にまで金を無心していたことがわかり、今回ばかりはとても私一人の手に余ってしまい、遂に私は母と、夫の姉に相談した。
母は「一度お姉さまと一緒に連れてきなさい、話せばわかるかもしれない。話してもわからないかもしれない。けど、それがどっちかは会わないとわからない」と言った。

実家の母に電話を入れると、まだ来ていないと言う。
私は頭に血が昇る。
ここへきて何を逃げるのだ。
私は夫に電話をする。出ない。夫の姉に電話をするが、こちらも出ない。
まだ家にいるのだろうかと思ったが車庫に夫の車はない。

私は野乃子と共に実家に向けて車を飛ばしながら、昨夜の会話を思い出していた。彼は、絶対に実家に行くと私に約束してくれた。
ここは信じて待とう。
野乃子は疲れたのか、助手席で眠ってしまった。
私は路肩に車を停め、もう一度夫に電話をする。

「おかけになった電話は電波の届かない場所にあるか、電源が入っていません。おかけになった電話は電波の届かない場所にあるか、電源が入っていません。おかけになった電話は電波の届かない場所にあるか、電源が入っ…」

……そうか、来ないのか。
私はゆっくりと絶望する。
離婚したら、彼はひとりで生きていけるんだろうか。
否。それは無理だろう。じゃあ、どうしたらいいんだろう。
コンビニ袋の中で、溶けかかったいくつかのアイスクリーム。
私はなぜこれを買ったのか。
実家でみんなで和気あいあいとアイス談義でもするつもりだったのか。甘いな。私は、つくづく甘ちゃんだ。

私は途方に暮れながら、幸せそうに眠る野乃子の寝顔をしばらくそのまま見つめていた。



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三島 こうこ
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