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褐色細胞腫闘病記 第17回「信じる者は救われる?」

私の目の前で、その人はいきなり経典を取り出した。

「騙されたと思って、1分だけ私の声を聞いてもらえますか?」

"騙されたと思って" を枕詞にするヤツの言葉はほぼ胡散臭いということを、私はとうに知っている。
だが、私は根っから好奇心が強い。ものすごく強い。だからこういう場合、ほぼ断ることはしない。
好きな言葉は〈何事も経験だ〉である。

その女性は、長い髪をかきあげて、おもむろに数珠を取り出し、なにやらよくわからない呪文を唱える。
「はい、終わりました。どうですか少し体が軽く感じませんか?」
や、何も変わらんがな。
「え…よくわかりま…」
「ハイっ! では、ご一緒にっ!」
「えっ」
「これをご一緒に唱えれば、不治の病も立ちどころに」
「えっ? 不治の病なんですか私」
途端にもごもごと口ごもる女性。

ママ友に紹介されたその人は、本当に善意いっぱいで私を健康にしようとしてくれている。
そう、善意100%である。悪気などあろうはずもない。

だが、私は宗教アレルギー。
母が入信していた某宗教団体に強制入会させられ、幼い私は何もわからずに活動していた。が、中学3年の頃、唐突に「この団体はオカシイ」と強烈に思い始め、脱退した。
それまで母の言いなりの "いい子" だった私だけれど、これだけは強硬に自分の意志を貫いた。

宗教を信じる人を私は絶対否定しない。
事実、同じ病棟に入院している人でも、宗教を信じている人は余命宣告の時期よりも格段に長く生き延びていた。
何かに盲信できるというのは、ある意味どんなことよりも幸せなことである。自分以外のものに身も心も捧げられるなんて、すごいと思う。

でも、それが特定のものでなければならない、ということは絶対にない。
その人それぞれに神はいる。それでいい。だから、母が信仰していた宗教の「他の宗教は全部邪教」という教えは嫌いだったし、染まることもできなかった。
そして「信じる自由」が憲法で保障されているなら、おんなじように「信じない自由」もきちんと保障されるべきだと思っているし、今もその思いは変わらない。
ちなみに私の現在の神は羽生結弦である(笑)

でも、何かを強く盲信している人は、弱っている病人に「善意の塊」を疑いなく投げる。
「私の神様を信じれば病気が治る」と熱心に勧める。
私がこの病気になってから、実に多種多様な宗教、スピリチュアルな何かや、健康食品、怪しげな本、数珠や壺やお守りやら、数えきれないほど紹介された。
私はそれにすべて「ありがとう」と感謝した。だって、善意好意100%なんだから、御礼を言うのが筋だろう。

でも、中には私がそういうものを一切近づけないと知ると「そんなんだから病魔に取り憑かれるんだわ」と呪いの言葉を投げつける人もいた。

母とは高校生の時に「今後一切私を引き込まない」ことを誓約書として残した。だが私がこの病気になってから、母は自分ができない代わりに他の会員を差し向けた。
その団体に対しては私は容赦なかった。絶対近づくなと拒絶した。
するとまた呪いの言葉が私に向けられた。
「この病気で死んでもあなた、成仏しないかもね」
私の宗教アレルギーにますます拍車がかかったのは言うまでもない。

病気を治すのは、医学である。それは大前提だ。
それが西洋であれ、東洋であれ、医学があってこそだと思っている。

だが、そしてそれを上回るのは「治したい」という罹患者の強い心だ。
私には病気を治してくれと祈る神はない。
でもずっと「こんな変な病気に殺されてたまるか」「こんなんで死んでたまるか」と思って生きてきた。
それは発病してからずっと変わらずに私の中にある想いだ。

信じられないかもしれないが、私は今まで一度もこの悪性疾患で「死んでしまうかもしれない」と危機的に思ったことがない。特に、娘を産んでからは生きることしか考えてこなかった。

「あなたは強いね」とよく言われる。
でも、私は精神的にはとても脆弱だ。
一時期、私は何かに依存しないと生きていけないでいた。メンタルクリニックで貰う薬が手放せなかった。
でも、こんな稀少疾患、悪性疾患を抱えたら、私が何かに依存している場合ではなくなった。
痛い苦しい想いはしたけれど、でも、この病気が私の心の不調をを治してくれたのである。

だが、そんな私でも、野乃子が6歳になってからの再発の宣告は、かなり落ち込み、私の心を完膚なきまでに痛めつけた。

私はまた、左後腹膜に、今度は少し大きめの腫瘍を抱えてしまったのである。悪性度も高いという。

私には、4度目の手術が待っていた。

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