褐色細胞腫闘病記 第14回「新しい病気の出現」
「おっぱいの下、10センチくらい切ります。内視鏡でイケるかと思ったけど、難しそうだね」
胸部外科の佐東助教授がCTの画像を指しながら説明している。
35,6歳といったところだろうか。黒縁メガネに長いまつげ。どことなく阿部寛に似ている。
「あの…傷痕は残りますよね」
当たり前やん切るんだからと自分で自分に心の中でツッコミを入れつつ、それでも訊かずにいられない。
「まあ、でもお腹の傷よりは目立たないと思いますよ」
それは胸が大きい人だろうが私は扁平胸だから目立つんだよと今度は心の中で先生に向かってツッコミを入れる。
「幸い、腫瘍はそれ程大きくありません。ただ、細かすぎて取りこぼしそうなものが多数あるので、できるだけ多く摘出したいと思っています」
「肋骨を外すかもということでしたが…」
「それは開けてみないとわかりません」
そうですか宜しくお願いしますと言うしかないな、思いながら頭を下げる。
野乃子は2歳になった。
相変わらず本当に育てやすい子だった。
妹が男の子の双子を私よりも先に産んだので、暇を見てはその子たちの世話をしていたということも大きかった。私は子育てにすっかり慣れていたのだ。でも、それを差っ引いても野乃子は本当に私を困らせない子だった。
いやいや期というものもなく、一人遊びをいくらでも飽きずにする子だった。
聞けば、私の幼少時も絵本さえ与えておけば親がいなくても日がな一日絵本でニコニコしていた子だったらしい。
信じられないことだが20歳で私を産んだ私の母親は、ありとあらゆる絵本を私に与え続け、私を一人置いて自由に買い物すらできていたらしい。
でも、どれほど多くの絵本を与えても、好きな絵本は決まっており、同じ本を何度も何度も繰り返し読むような変わった子だったという。今もその読書のやり方はそれほど変わっていない。
野乃子はサンリオのビデオが大好きだった。
キティちゃんの踊る姿やキキララの歌う姿を何度も何度も観ていた。
一緒に踊ったり歌ったりしてやると、とても喜んだ。
さすがに私の母のように家に一人置いて出かけるようなことはしなかったが、私は自由に家事ができたし、自分の時間も確保できた。
みんなが子育てに悪戦苦闘している話が信じられないほど、野乃子は殆どぐずらない子だった。
「ののちゃん、ママね、またおいしゃさんに、わるいところをチョッキンしてもらうことになったの」
「また、いたい、いたいするの?」
「うん、でもわるいのをやっつけるんだよ」
「ののは、ママと、いる」
「ごめんね、またばあちゃんとじぃちゃんのところにいてくれる?」
「・・・」
「すぐかえってくるから」
「・・・」
黙っている。何も言わない。ふと顔を見ると、野乃子の目にはいっぱいいっぱい涙が溢れている。
2歳児が、母親の前で声を出さずに泣くという、この不憫さ。
私がそうさせてしまったんだ、と思う。
「いい子」にしていたのは私が「いい子」にさせていたからだ、と、大きな大きな呵責が私を襲う。
そうだよ、本来「ぐずらない子」なんてこの世にいない。病気の私が無理にそうさせていたのではないか。
ごめんね、ごめんね、ののちゃん。
小さな体を引き寄せ、強く抱きしめる。
「ごめんね、ののちゃん。ママもね、ずーっとののちゃんといたいんだ」
「ののも。ののもママとにゅういんするの」
「それはできないんだよ。でもね、すぐかえってくる。げんきになる」
両手で小さな手を包み込む。目を見て、真剣に伝える。
「これがおわったら、もうママはずっとののちゃんのそばにいるから」
嘘はつきたくない。もうこれで終わりにしたい、心からそう思う。
胸の手術は、思っていたよりずいぶんスムーズに終わった。
手術時間5時間半。肋骨もいじらずに済んだらしい。
術後のドレーンを抜くときが一番痛かった。
鎖骨から腰骨の下までⅩを描く2本の長い管。肺を手術すると廃液がたくさん出る。これを排出するためのものだ。
これを一気に麻酔無しで引き抜く。
「はい、三島さん、息止めて! 3・2・1、はいっ!」 ズボッ!
「はいもう一回、今度は右いくよっ、3・2・1、はいっ!」 ズボッ!
ひーぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃやめてぇぇぇぇぇぇいたいいたいいたいいいいぃぃぃぃぃぃぃ
それは、一瞬の、死ぬほどの痛みだった。
もうあんな思いはしたくはない。
一説によるとあれは中世の拷問の一種だという噂がある(嘘)。
手術創は小さかったため、手術自体の痛みは殆どなく、退院も12日という短さだった。
歩行練習も必要なく、すぐに回復した。ベンツに比べたらなんてことはない。
ふふふ、これでもう、私の体には腫瘍はないはず。
私はやりきった感でテンションが上がっていた。
佐東助教授が私に言う。
「肺は大きく転移すると命に関わってしまいます。定期的に検査を欠かさないでください」
「わかりました。これで命の危険はないとみなしていいでしょうか」
「それが…」
えっなにまだ何かあるの。
「心臓の大きさが、ちょっと気になるんです。一度循環器の先生に診ていただいてください」
ええええっ。なんだそれ。もういいよー。
「でも、自覚症状は何もありませんが」
「あったら困るんです。その前にちゃんと診断してもらって治療しないと」
「えっ、気になるってなんなんですか」冗談じゃない。
「心臓が、ちょっと大きいんです。ご家族に肥大型心筋症の方はおられますか」
…いる。いるで。めいっぱいいるで。
「母が特発性肥大型心筋症を患っていますが」
「遺伝する病気なんですが、三島さんの場合はここ数カ月で急に大きくなったようなので、もしかすると褐色細胞腫の副症状の可能性が大きいです」
「え、母からの遺伝ではないんですか?」
「わかりません。私は違うかと思います。詳しくは循環器で診てもらってください」
また新しい病気? ここからまた治療するの?
でも、これは序の口。
これを契機に、私は次々と別の病気が発見されたのだった。
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