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なぜ自殺をしてはいけないのか? なぜ哲学は自殺を否定できないのか?

竹内結子さんがご逝去されました。自殺の可能性も報道されています。日本の映画・ドラマ界を代表する女優のあまりにも早い死去に、ショックを受けています。

昨今、芸能人の自殺の報道が増えているように感じます。

日本全体でも自殺者数が増えています。特に女性と若年層の自殺が増えているようです。

なぜ自殺してはいけないのか?

今このタイミングで「なぜ自殺してはいけないのか?」という問いかけは批判を浴びるかもしれません。「何を言っているんだ。自殺を正当化する気なのか」と気分を害する方もいるでしょう。しかし、このタイミングだからこそ「自殺」という問題を議論する必要があると感じています。

出来るだけ理性的に書きます。見方によっては「冷たく」映るかもしれません。気分を害する方は読み飛ばしてください。

今回はイェール大学教授のシェリー・ケーガン教授の著書「死とは何か」を参考に投稿します。ここでは一部しか取り上げないので、関心がある方はぜひ読んでください。「死」という問題に真正面から議論する本書は、どの世代にとっても参考になると思います。

自殺が合理的に正しい状況はあるのか?

自殺の是非の議論には二つの側面があります。「合理性」と「道徳性」です。この二つを区別して議論することが重要です。まず「合理性」から下記の質問を考えてみましょう。

「自殺が理にかなう状況はあるのか?」

果たして自殺が合理的に正しい状況はありえるのでしょうか。

・その後の人生は幸せか?

この問いに答えるためには、自殺を決めた後の人生が「幸せ」か「不幸」かを考える必要があります。もし、自殺を決めた後の人生が「幸せ」であれば、自殺は合理的な選択ではありません。下記のグラフはy軸が「幸福度」、x軸が「人生の時間」を表しています。もしA地点で自殺を決めた場合、その後の幸せな人生を経験できません。したがって、自殺は合理的な選択ではないと言えます。

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・その後の人生が「不幸」だったら?

では、自殺を決めた後の人生が「不幸」な人生だったとしたら、どうでしょうか。例えば、24時間強い苦痛を伴う病気があったとしましょう。鎮痛薬も効かず、治療薬もありません。死ぬまで、ずっと苦痛を感じ、寝ることもほとんど出来ません。病気は下記グラフのA地点で発症しました。この病気に罹った人がA地点で自殺を図ることは合理的な決断と言えるのでしょうか。

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合理性の観点だけから言えば、A地点で自殺をすることは正しい決断だと言わざるを得ません。これは「安楽死」の問題でもあります。

・その後の人生の幸福度は分からない

その後の人生の幸福度で自殺の合理性を考えるには、重要な前提条件があります。それは「その後の人生の幸福度を完全に把握しないと、合理的な判断は出来ない」ことです。上記の例で言うと、数年後に治療薬が開発され、下記のグラフを描く可能性もあります。この場合、A地点での自殺は合理的ではありません。

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つまり、不確定要素がある中で、正しい判断を下すことはできません。しかし、二番目のグラフで見たように「自殺が合理的である状況」は存在します。

・自殺の判断は間違っている可能性が高い

「自殺が合理的である状況は存在する」という前提に立ったとしても、さらに重要な問題が発生します。それは「自殺をする人の判断が間違っている可能性が高い」ことです。自殺を考えている人は、想像を絶する苦痛とストレスに襲われています。そのような状況の中で、本当に合理的な判断などできるのでしょうか。下記のいずれかのグラフを描いている可能性もあります。一時の幸福度の落ち込みで、自殺を決断することは合理的ではありません。

1. 一時的な幸福度の低下

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2. 幸福度の長期的な低下(y>0)

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つまり、「自殺が合理的な状況は存在しても、未来の幸福度を予想できない上に、自己の判断が間違っている可能性が高いので、合理的な判断を下せない」ことが分かりました。

自殺は本当に不道徳なのか?

次に自殺の「道徳性」を考えてみましょう。自殺は本当に道徳的ではないのでしょうか。「道徳性」について、「宗教」、「功利主義」、「義務論」の3つ観点から検討します。

・宗教上の理由

まず、宗教上の理由があります。例えば、イスラム教ではコーランで自殺を禁じています。

「誰ひとり、定めの時が来て、アッラーのお許しを戴いてでなければ死ぬわけにはいかぬ。」(3章145節)

ユダヤ教、キリスト教、ヒンドュー教、仏教でも自殺を禁じています。しかし、他方で宗教には「殉教」という考え方もあります。信仰のために命を失う行為は正しいとされています。つまり、宗教は自殺を禁じつつも、必ずしも自殺を否定している訳ではありません。

また、もし全てが神の御心であるとすれば、人の死も神が定めているはずです。神が自殺する運命を定めているのであれば、自殺しないことは神の御心に反するのでしょうか。宗教的な議論は、各宗教によって異なるので深く模索はしません。ただ、単純に宗教に答えを求めることは出来ないのです。

・功利主義から見た自殺の是非とは?

次に道徳論から自殺を考えてみましょう。代表的な道徳論と言えば、「功利主義」です。「功利主義」とは「最大多数の最大幸福」を追求する考え方です。自殺は自己だけではなく、他者にも影響を与えます。ある人が自殺したら、家族や友人は深刻な精神的ショックを受けるでしょう。その人が自殺することで、多数の他者を不幸にするのであれば、功利主義的観点から自殺は正しくありません。

しかし、一方で下記のような状況ではどうでしょうか。あるAさんという健康な人がいるとします。そして、その他に7人の臓器提供を待っている人がいるとします。もし、Aさんが自殺し、その7人に臓器提供をして命を救うことが出来るのであれば、Aさんの自殺を正当化できるのでしょうか。功利主義的観点からはAさんの自殺を否定することは出来ません。(関心がある方は映画「7つの贈り物」を観てください。)

・義務論から見た自殺の是非とは?

次に義務論から考えて見ましょう。義務論では「結果」よりも「過程」を重視します。「良い結果をもたらすとしても、その過程で誰かを害することは不道徳である」と考えます。例えば、上記の例でAさんに何も伝えず、いきなりBさんが Aさんを殺して、7人に臓器移植をしたとします。結果的に1人を犠牲にして7人を助けています。それでも不道徳的な行為です。

同様に自殺においても、「自分という1人の罪のない人を殺す行為は不道徳である」と言えます。しかし、これは反論も出来ます。もしその人の人生が死ぬまで不幸であるとしたら、それは本当に自己を「害した」ことになるのでしょうか。

また、Bさんの場合、Aさんの同意を得ていませんでした。本人の同意を得ずにAさんを害することは不道徳です。しかし、Aさんが自殺した場合は、自己の同意がありました。この「同意の有無」は道徳的な正しさを判断する上で重要な要素です。例えば、ボクシングの試合では、相手のことを殴っても不道徳的だと批判を受けることはありません。相手が殴られることに同意しているからです。

哲学は自殺を完全に否定しない

以上、自殺について「合理性」と「道徳性」から見てきました。基本的に自殺は合理的ではなく、道徳的でもないことが分かりました。しかし、その時の状況によって、自殺が合理的であったり、自殺が道徳的に間違っていない場合もありました。シェリー教授は最後に次のように述べています。

「自殺しようとする人に出会ったらどうするべきなのか?その場合には、相手が同意原則の肝心な条件を全部満たしていると自信を持って言えるかどうか、自問するのが妥当に思える。(中略)相手がよく考え、妥当な理由をもち、必要な情報を得ていて、自分の意思で行動していることを確信できたとしよう。そんなケースでは、その人が自殺することは正当であり、本人の思うようにさせることも正当だと思える。」

なぜ自殺をしてはいけないのか?

シェリー教授の意見をまとめたところで、最初の問いに戻りましょう。「なぜ自殺をしてはいけないのでしょうか。」たしかに、シェリー教授の主張の通り、いかなる状況でも「自殺は絶対にダメだ」と言い切れない状況は存在します。(特に安楽死のような状況を想定しています。)

他方で、シェリー教授の意見には賛同できない点も多々あります。しかし、それがシェリー教授の狙いでもあります。「死」という議論が憚られる分野だからこそ議論が必要なのではないでしょうか。私は「自殺をしてはいけない」と考えています。あなたは「自殺」をどう考えますか?

日本という国としての自殺対策

上記では、個人としての自殺の問題について取り上げました。強調しておきたいのは、国家としての自殺対策は全く別なことです。国家は、国民に自殺を選ばせることは絶対に避けなければいけません。国民が自殺をする国家は何か重大な問題を抱えています。

ユニセフによると日本の子供の身体的幸福度(肥満率や死亡率)は38カ国中1位です。しかし、精神的幸福度(生活満足度や自殺率)は38カ国中37位です。つまり、身体は健康でも、心は健康ではありません。日本という国は明かに問題を抱えているのです。

昨今、国も国民の「幸福度向上」を掲げ始め、群馬県でも幸福度アンケートの実施が決定しました。良い取り組みだと思いますが、対策が遅すぎることも否めません。昨今の報道もふまえて、日本政府は真剣に自殺対策と国民の幸福度向上に努める必要があります。

自殺を考えたら

もし万が一、自殺を考えている人がいるのであれば、まずは「その場から逃げる」ことをお勧めします。学校が辛いのならば、行かなくても良い。仕事が辛いのならば、辞めても良い。家が辛いのならば、家出をすれば良い。「逃げる」ことは悪いことではありません。辛いことに真正面から立ち向かう必要はありません。逃げたって良いのです。無理に苦しむ必要なんかありません。逃げることを批判する人もいるでしょう。しかし、死ぬよりはマシです。何か辛いことがあれば、躊躇わずに逃げてください。そして、正しい判断をするためにも、まずは周りの方に相談してください。

今回の投稿が「死」について考えるキッカケになれば幸いです。

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