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五輪代表の落選後すぐトリプル日本新記録を出した僕がひそかにやってきたこと

一年前、ぼくは重量挙げの東京五輪代表に落選しました。

ずっと目標にしてきた舞台に立てないつらさは大きいものです。気持ちを立て直すためには時間がかかりました。

でも、人から注目をされず、すぐに大きな大会がない時期は、思い切って新しいことに挑戦しやすいものです。

このnoteでは、ぼくが代表落選後に何に取り組んで、昨年11月の全日本でスナッチ、ジャーク、合計の3つで日本新を出すことができたのか。そして5月1日に行われる今年の全日本で、日本新のさらなる更新に自信を持っているのか。

今まで語ってこなかった取り組みについてお話できればと思います。

人に教える経験はお金を払ってでもやる価値がある

昨年6月にオンラインコーチングをはじめました。

Twitterで希望者を募り、重量挙げの実技指導を始めると、競技のあらゆることを言語化するようになりました。

ずっと感覚だけで競技をしてきた自分が、人に教える立場になったとき、その感覚をはじめて言葉にしたいと思いました。

一方的に伝えてもダメ。指導は相手と一緒に時間をかけて作り上げていくものです。

動作ひとつとっても、「ぼくはこういう感覚でやってます」と伝えると、相手は「自分はこういう感覚です」と返してくれる。そのやりとりを繰り返すなかで、自分だけの感覚でしかなかったものが、人に伝わる言葉に昇華されていきました。

過去の自分のことも分析できるようになりました。

調子が良かったときの自分と悪かったときの自分。その感覚の違いを明確に意識するようになり、正解が見えてきました。

腹圧とか、握り方とか、ちょっとしたことですが、ひとつひとつ見直すことで、「だから自分はうまくいかなかったんだ」と振り返りができました。

相手に合わせて基本的なことだけ、などと出し惜しみはしません。自分の持つ技術と理論を相手に提供すると、それに対するフィードバックをもらうことができます。

すぐに、これは一番勉強になるな、お金を払ってでも人に教える経験をすることが、自分を大きく成長させていくのだと気づきました。

人に教える中で自分を変えるきっかけが生まれる

コーチングのもう一つの収穫は、人にフォームを教えることで、自分のフォームを根本的に見直すきっかけをもらえたことです。

2019年にロシアに武者修行に行ったとき、現地のコーチに「お前はプルの姿勢でお尻が低いけれど、直さないのか」と助言されました。

ロシアではみんな腰高の姿勢でバーを引き始めていました。

それ以前にも、英語の論文で、チャイナプル(腰低)とロシアプル(腰高)の違いを扱ったものを読んで、自分の理想はロシアプルかもしれないと感じていました。

でも、そのときのぼくは、築き上げてきたやり方に固執してフォームの修正をしませんでした。

現状のやりやすさを優先して先延ばしにしたわけです。

ところが、コーチングしていると、そういう自分の理想を追求したくなってくるのです。

先延ばしにしてきた宿題を終えて気持ちも新たに

腰高のフォームでプルを引く理由は、そのほうが力学的に効率的に力が出せるからです。

でも、最初のうちは、全然うまくいきませんでした。

腰を高くするとバーの動きが垂直にならなかったり、動きがぶれたりしました。

そこで背中のトレーニングをしたり、いろいろな種類のプルを練習したりすると、腰が高い姿勢でも真っ直ぐ引けるようになりました。

ロシアプルをするには、上半身の、とくに背中の筋肉が必要なのですが、以前、手首を痛めて、上半身を徹底的にボディビルトレーニングしていたときの蓄積が活きました。

このフォームの見直し作業はとても楽しく、真剣に重量挙げに向き合う気持ちが戻ってきました。

フォームの完成度が上がると同時に、調子も上がってきました。

恩師のさりげない助言に気付くことができた理由

人に教える経験を積むなかで、人から教わることにも意識的になった気がします。

去年の夏、高校の部活の恩師が、Velocity Based Trainingの本を差し入れてくれました。

重量挙げで引きのスピードを速くする、というのは、あまりに当然のことに思えて、それまで深く考えたことがありませんでした。

でも、恩師がスピードの大切さを伝えてくれていると思い、すぐに本を読み、そこから海外の論文などもだいぶ探しました。

調べていくと、トレーニングごとにスピードが違うことがわかり、この種目はこのくらいでやる、という基準を考えながら練習することが面白く、重量挙げにどんなふうに役立つのか考えました。

動作の速度を測る機械を購入し、自分のプルの速度を測ってみるなど、新しいツールを使ったトレーニングにも挑戦しました。

その結果、引きの速度を大きくアップさせることに成功しました。

感覚でしか習得できない動きも言語化したい

腰高のフォーム、引きのスピードアップを取り入れた次は、「引き始めの足の感覚」にメスを入れました。

警視庁の監督から「バーの引き始めの感覚を大事にしろよ」と助言されていました。

ぼくはもともと、バーが膝上にきたあとは全力で動きやすかったのですが、その前の、床から膝までの運びが苦手でした。

この修正作業は難しく、今でもうまく言葉にできないのですが、最終的に全力を出せるようになりました。

力の出し方、力の使い方を見直した感じです。

「引くより、押すという感覚」「スクワットのボトム(最後の切り返し)みたいに足で押せ、それをデッドリフトに活かせ」「背中にひっかけろ」「軸に乗せろ」……。

コーチからの指導はものすごく感覚的で、パッと聞いても意味がわかりません。

でも、そうやって伝えざるをえない、言葉にできない種類のものです。

粘り強く教えてもらううちに、だんだんと自分のものにできるようになりました。

ぼく自身は「スクワットのボトムみたいに足で押せ」という感覚で技術を習得しました。でも、自分が教えるコーチングの相手には、「股関節で開く力より、膝を伸ばす力のほうを強く」といった言葉で伝えるようにしています。

いくら理屈で説明しても、半分以上は実践でつかむしかないし、言われてもわからない。それはわかっているのですが、今は言語化をすることを諦めたくない自分がいます。

全日本で日本新記録、そしてキャリア最大の怪我

さまざまな見直しは、中途半端な形ではありましたが、秋までに完成しました。

その結果、去年の11月の全日本では、スナッチ191キロ、ジャーク232キロ、トータル423キロと、すべてで日本新記録を出すことができました。

五輪代表に落選した雪辱を、ひとつ返せました。

10代の頃から夢見ていた、スナッチ195キロ、ジャーク245キロまであと一歩のところに来ました。

しかし、試技の最後に踏ん張ったところで、左の外側広筋を肉離れしてしまいました。

ここまで大きい怪我は初めての経験です。

3日間ほとんど歩けず、2週間くらいはまともにトレーニングができず、さらに、かばった逆の足も痛くなってきて、二ヶ月以上も足踏みでした。せっかく出場権を手に入れた世界選手権も棄権せざるをえませんでした。

いい意味でKYにならないとメンタルでは勝てない

こういうとき、せっかく上向きになりかけた調子が崩れてしまいがちです。

でも、社会人になってから磨いたメンタルトレーニングを試すいい機会でした。

室内競技はとくに鬱になりやすい。密閉された空間で、だるい、やりたくない、と暗い気持ちになると、どんどん悪くなります。

冷静に重量挙げをしていると、俺、何をしてるんだろう、怪我も治らないし、このまま終わってしまうんじゃないか、こんな面白くない競技やってられない、と逃げたくもなります。

それをだましだまし「スナッチ気持ちいい!」と盛り上げて、脳内物質を出しながらやる。いかに気持ちいい状態になるかを考える。

ぼくは、追い詰められて頑張れるタイプではありません。だからこそ楽観的にとらえることが大事です。

自分のペースに相手を引き込む。声を出して叫ぶ。全然強くないのに、プロレスラーになった気分でやる。

もともと自分に自信がない性格だからこそ、「これは俺のステージなんだ」と勝手に盛り上げていくわけです。

96キロ級の山本俊樹先輩も、「お前が対戦相手だったらむかつく」といいます。

普段から練習場でもそうやって騒いでいるので、周りの人からはきっと嫌われています。でも、いい意味でKYにならないといけないと思っています。

本当の自分は弱いままでも「言い聞かせる」

練習場に先輩がたくさんいる、怒られないようにしよう、そう思ったら弱くなります。

先輩にどや顔する、監督に俺の練習見とけよ、くらいの傲慢さで。ぼくはもともと気が弱いから、冷静になったらシュンとなってしまいます。

本当は何を考えているかというと、先輩たちやコーチが楽しそうにしていると、俺の練習を全然見てくれなくて、興味ないのかな、俺のことどうでもいいのかな、とくよくよ落ち込むような人間です。

ライバルの選手が調子良さそうだと気になるし、ライバルの選手がでかいことをいったりすれば、「本当にやったらどうしよう…」と、気が気じゃなくなります。

だからこそ、次の全日本に向けて、「楽しみだなあ、俺をみんな見ろよ!」という勢いでいないといけない。本当の自分はそうはならないけど、言い聞かせるのです。

怪我で練習できないとき、リハビリで苦しいとき、このメンタルトレーニングのおかげで、乗り切れた気がします。

フォームの改善が体重のキャパシティも増やした

体重は今、過去最高の150キロにしています。

そもそも重量級は繊細な動きができないので、一回も間違えずに試技するのがむずかしい。脂肪のダウンを着た状態で重量挙げをしているようなものです。

でも、単純に痩せたら強くなるわけでもありません。

じつは腰高のフォームにしてから、体重を増やしても不都合がなくなってきました。

以前は重くすると、腹が苦しすぎて構えづらくなりました。ところが腰高のフォームにしたら、股関節や肩のつまりがとれて調子がいいのです。

おそらくこれ以上、増やしすぎたらクリーンのキャッチに支障がでてくるので、今の150キロがちょうどいい。

現時点で、95%くらいまでは回復してきています。

あとは気合いで乗り切る。

去年の全日本では、理想に対してまだ中途半端な完成形でしたが、それでも日本新が出せました。

今、めちゃくちゃ調子が上がっています。このままいけば、さらに記録を伸ばして日本新を出せると思っています。

ひそかな積み重ねは大会でのパフォーマンスで報われる

今年の秋からはパリ五輪の選考レースが始まります。

9月に開かれる4年に一度のアジア大会は、今の調子なら代表に選ばれるはずなので、そこでもメダルを狙いたい。

現在26歳。

重量級はピークを迎える年齢が遅いと言われているから、まだまだ伸び代は大きいと考えています。

東京五輪の選考に漏れてからの一年は、大きな喪失感がありました。

でも、だからこそこれまでの重量挙げのキャリアの中で、もっとも新しいことに挑戦できましたし、今まで気づかなかったことに気づけるようになりました。

コーチングも、フォームの改善も、メンタルトレーニングも、どれも人知れず取り組んできたものですが、大きな手応えがあり、成長できていると実感します。

あとは大会でのパフォーマンスで示すのみ!

ぼくはつねづね重量挙げは最高のエンターテインメントだと言ってきました。この舞台で日本新記録を出すぼくを見て欲しいです。

5月1日の全日本選手権での応援、よろしくお願いします。


編集協力:ブリッジワークス

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