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大型台風が残していった教訓

一週間はあっという間ですね。
今週も何かヌルいネタを・・・と思っていたら、大型台風が日本列島を直撃してしまいました。被災された皆様、お見舞い申し上げます。かくいう私もいろいろと影響を受けました。

記事を書いているこの三連休、本当は埼玉の大宮にいるはずでした。私、『間野山研究学会』という団体の事務局長を務めておりまして、昨年の4月から南砺市でいろいろと活動しています。今回研究会を初めて域外開催するということで意気込んでおりましたが、関東各地や遠く九州、北海道からの参加者が会場にたどり着けるかどうかすらわからない状況では、開催中止とせざるを得ませんでした。参加者の皆様申し訳ありませんでした。

近くて遠い首都圏への旅路
今回、台風が接近する中で、関東への交通手段をいろいろと考える機会になりました。鉄道・交通マニアの血が騒ぐというか、「困難な状況でもなんとかたどり着く方法はないのか」とあれこれ探すことに。最近は天候が悪くなってから運休するのではなく、該当地域の運行をまとめて休止する「計画運休」で、前もって大きな混乱を防ぐという方法がとられるようになり、北陸新幹線は早々に選択肢から外れました。昔は「公共交通機関なのになぜギリギリまで動かさないんだ!」という根性論もよく聞かれましたが、無理に動かして大きな事故につながってからでは遅いという事実が、ようやく社会的にも許容されるようになったことは、よいことだと思います。そして北陸新幹線はまさかの長野の車両基地水没で、当面東京~金沢間の直通運転は休止とのことです(朝のニュースを観て「うそー!」と声をあげてしまいました)。

台風が近づく中、飛ぶはずもない(+怖くて乗りたくない)飛行機は調べず、高速バスを調べると、富山駅から池袋へ向かうバスにまだわずかな空席が残っていました。さっそく予約を・・・と思いましたが、JRから発表されていた計画運休は、新幹線ではなく在来線も含まれている。ということは、台風の中たとえ池袋までたどり着けても、そこから大宮へ行く手段があるのか。ならば池袋で泊まれるところを探して、台風が去ったあとに移動すれば、と思い宿の検索サイトを調べるも、空室はセレブなホテルにわずかに残るのみ。都内にいろいろな用事で来て、移動をあきらめた人たちが早々に予約されたんでしょうね。ならば高速バスの車内で台風をやり過ごそう、と最後に残された手段、金沢からさいたま新都心駅までの直通夜行バスを何とか確保したのでした。新幹線開業前はよく使った、片道400km・8時間以上の長旅。以前京都に住んでいた時は、片道600kmある東京までの旅路をそれほど長いとは感じませんでしたが、途中山深いルートをたどらないと行けなくなってからは、本当に億劫に感じるようになりました。

見知らぬ番号からの運休連絡
高速バスは昔から悪天候に強い交通機関です。今から9年前に私が代表を務めて城端で行ったイベントでも、前日~当日午前中に悪天候に見舞われ、飛行機や鉄道が次々と途絶する中、東名阪からの参加者の皆様を無事運びきってくれました。その時にバス会社の人から言われた「関越道や上信越道がダメでも、北陸道へ迂回して運びきってみせます」という言葉が強烈に印象に残っています。どんだけ強いんだ高速バス。
※9年前のイベント主催団体のページ 「真実の涙をもう一度」有志会

でも今回の大型台風ではダメでした。出発二日前、見知らぬ番号からの着信履歴が残っていたので調べると、予約していたバス会社のお客様センターでした。あわててかけ直すと「運休が決まりましたので払戻の手続をお願いします」という無情なお知らせ。ちなみにネットのカード決済で買ったのに、払戻の手続は電話しないといけないそうな。めんどくさいなあ、と思っていたら、お客様センターの電話越しに、運休対応にあたるオペレーターの人たちの声があちこちから聞こえてくる。何も言わず「連絡ありがとうございました」と電話を切りました。

自然災害には人間は無力
首都圏へ入る手段がなくなり、あとは自家用車で自走していくしかないかな、と思っていましたが、高速道路も台風接近の時刻が近づくにつれ、次々と通行止になり、まさに万策尽きた状態。13日も公共交通機関の乱れが続いたことを考えると、もし研究会を強行していたら混乱は避けられなかったと思います(山村会長、現地で対応いただいたアニ玉祭関係者の皆様、ありがとうございました)。今回台風の中心から離れていた富山でも、ものすごい風雨に見舞われました。現地にたどり着くことばかり考えていましたが、家を揺らすような風雨の中で家族を残して自宅を離れなくてよかった、もう一人だけの身体ではないんだ、とあらためて自覚しました。自然災害には無力でも、家族を守れるのはお前しかいないだろう、と。

我が家は幸いにして被害はありませんでした。それでも自宅近くを流れる「池川」はふだんの3倍くらいの水量になっていました。この川は11年前の集中豪雨で氾濫し、我が家近くの家屋や橋を押し流していったそうで、その復旧工事がつい何年か前まで絶え間なく続いていました。城端のまちなかへ行く時に通る橋から見える、無骨な土石流センサーは、今でも見るとドキッとしますが、あれがあることで災害の恐ろしさを忘れないことも事実です。

昔乗ったことがあるローカル線の寸断された様子がニュースで流れるたび、やるせない気持ちになります。人間は災害の前には無力ですが、とりあえず東京~北陸の代替経路の確保に動かねば。富山空港や小松空港、名古屋まわりルートなどいろいろありますね。

2012年に、京都から富山県の南砺市城端(なんとしじょうはな)へ移住してきました。地域とコンテンツをつなげて膨らませる事に日々悩みながら取り組んでいます。 Twitter⇒https://twitter.com/PARUS0810