あれから10年

3.11。あれから10年。もう…なのか、まだ…なのか、人それぞれ感じ方が違うと思うけど、私は「もう」10年も経ったのか…早過ぎるという思いでいる。この10年で色々なことがあり過ぎた。

10年前の3.11。
当時の彼氏といる時に地震が起きて、結構揺れたからテレビ見てみようとなり、テレビをつけて映し出されたのは、最大震度7以上の地震速報だった。
その時、また大きな地震があったんだ…震源に近い地域は大丈夫かな?くらいの気持ちだったけど、津波警報が出て一転した。
津波っていつもみたいに数メートルの海面上昇で終わるでしょ!と思っているうちに、大きな波が街を飲み込んでいく映像を唖然としながらただただ見ていることしか出来なかった。何が起こっているのか理解できない。これは現実ですか…?
その映像を見て警察官の元彼は「この辺りは大丈夫と思うけど、とりあえず待機せなあかん気がする。帰る。」と車に飛び乗り帰っていった。
その後もずっとテレビを見続けた。何が起こっているの?みんな無事なの?
3月に入ったのに寒い日だったのを覚えている。

その日はテレビをずっと見ていた。つけっぱなしで寝ていたみたいで、翌朝起きると壊滅的な街の様子がテレビに映っていてさらに唖然。沢山の方が亡くなり、行方不明になっている。連絡が取れない地域もある。被害の全体はまだまだわからない。死者は増える見込み。気付いたら泣いていた。

当時は内科の混合病棟担当の看護師だった。
震災後出勤していくと、慌しい職場。
被災地の透析が出来ない状況が続いている。
津波で透析装置が使えなくなって困っている。
物資が足りないみたいだから、こちらから送る。
透析関連の物資をいくつ出せるか…と上司たちは慌ただしく動き回っていた。
下っ端の私は通常業務。変わらない日常。
でも、被災地では未曾有の事態が起こっている。
そのギャップでおかしくなりそうだった。

震災の翌年、兄が仙台に転勤になり、一度見ておかなければと思い、兄を尋ねる両親に便乗して仙台へ行った。海の近くには当時のままの建物。剥き出しの鉄骨。積み上げられた瓦礫の山。言葉が出なかった。

あれから仙台はどう復興したのか気になる。
コロナ禍が落ち着いたら、また訪ねてみたい。

3.11には必ず黙祷する。
亡くなった方の弔い、被災地の復興、まだ見つからない行方不明者の皆さまが1日も早く家族のもとへ帰れるように祈りを込めて。


どうでもいいことだが、当時の彼氏とはこのことがきっかけで別れたようなものだ。
元彼が災害派遣のため現地入りするのを事前に聞かされなかった。後で聞いたと言うか現地にいる時に聞いた。災害派遣に行く事は素晴らしい事だし反対するわけがない。でも元彼は「反対されると思った」と言った。まだ余震が頻繁に続いていた頃。そりゃ心配するだろう。でも私も知識と技術と経験があれば行きたかったぐらいだ。医療従事者なめんな!って怒った覚えがある。
まぁ、信用というか信頼されてなかったんだろう。
一気に冷めてしまい、この後あまり私からは連絡しなくなり、数ヶ月後に別れた。
別れ話をした時「友だちに戻りたい」って言われたけど断った。信用も信頼もされていない人と友達なんかになれない。無理。私のことは連絡先も全部消して忘れてって言った。私は別れてから連絡するつもりはなかったからすぐ連絡先も消した。
数年後スマホに変えてLINEのアプリ入れたら、友だちかも?に出てきた。消せって言ったのに消してなかったんかよ…とガッカリした。そして警察官とは二度とお近付きになりたくないと思った。そんな思い出。

震災の話はどこへ行った?笑

この10年の間に私は結婚して子供産んで父を亡くして病気になって看護師辞めた。
まさか自分が病気になるなんて思ってなかったし、働けなくなるなんて思いもしなかった。

色々あったけど、次の10年は幸せばかりが降り注ぐ10年でありますように。
まずはコロナ終息を願う!

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