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幼少期から22歳くらいまでの人生を少し振り返る

先日夜中に自分のFacebookの投稿をずっと見てたら止まらなくなって2時間くらい遡って最後まで見てしまいました笑 Facebookは2012年から始めたんですが、徐々に大人になっていったんだな〜としみじみ思いました。最初の方は本当に身内向けのどうでもいい内容ばかりで写真のクオリティとかも低すぎて、今だったら数人しか見てないツイッター鍵アカウントにも載せるか迷うレベルのものばかりでしたw そして途中から結婚だのタイ在住だの何やらリア充アピ的な力の入った投稿が始まり笑、ここ数年はひたすら自分の作品と題名とサイズを記録しているだけのただの作品集となっております。どこに何をアピールしたいというわけでもなくただの備忘録って感じですね。人の投稿もほとんど見てません。これが大人になるということか…笑 Facebook限定の話ですけどね。Facebook上でなにかをアピールしたいと思える人が居ないみたいです。私だけの話かもしれませんが、Facebookの友達って一時期リアルで会ってはいたものの近からず遠からずの人がほとんどで1番興味ない部類に入りませんか?お互いそうだと思うんですよね。皆さんはどうでしょう?

だいぶどうでもいい前置きが長くなってしまいました笑 というわけで今回はFacebookの投稿から一部を抜粋して振り返ってみようと思います。

まずはこちら。私が小2くらいの時にひいおばあちゃんが私の為に書いてくれた短歌です。

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「作品を壁一面に貼りつめて 賞状受くる春菜の努力」という短歌です。春菜は私の名前です。ひいおばあちゃんはこの短歌を書いてすぐくらいに亡くなってしまいそれ以前も会った時の記憶がほとんどなくて正直どんな人だったのかは覚えていないんですが、この短歌が実家に飾ってあるおかげで私の中でずっと特別な存在になっています。これを貰った時は事の大きさも内容の意味も全然理解していませんでしたが、家族の中で私だけが貰ったということで私にかなり期待をかけてくれていたみたいです(親戚の方々の話によると)。

私は1歳半から絵を描き始め、昔住んでいた家の壁一面に自分の絵を張り尽くしていました。幼稚園の段階でリビングの壁の上から下まで全部絵で埋めていました。それが外部から来た人にとっては結構なインパクトだったらしいです。今思えば確かに異常でした笑 そして小学校に入ってからは何かと言っては絵で賞を獲っていたので、ひいおばあちゃんはそれを見て短歌を作ってくれたようです。この短歌を貰った当時は壁一面に絵を貼っていることも絵を描いたら賞が貰えることも当たり前だと思っていたので努力とも思わず、内容に対して全然ピンと来ていませんでした(ごめんねひいおばあちゃん...)。でも大人になるとそういう場を与えてもらっていたことやその努力を認めてくれる人がいることは当たり前ではないということに気づき、歳を追うごとにこの短歌の重みをジワジワと感じています。今は一生懸命発信しようとしてギリ何人かに見てもらえるくらいで、賞なんかを貰えるなんて夢のまた夢です。

そしてこの短歌を見る度に私はひいおばあちゃんの期待に沿った今を送れているんだろうか…と思います。でも多分名誉を期待しているわけではなく、ただ描き続ける私を見て応援してくれてるような気がするんですよね。ありのままの自分で描き続ければそれでいいのかな〜なんて思えたりする、元気をくれる短歌です。

お次は小学3年生くらいの時に作った版画です。

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猫ちゃん!と、カタツムリもいますね。「工夫したこと→3ひきのねこをかさねたこと。」…それだけか〜い!!w なんかそれよりも柄の合わせ方とか良い感じじゃない?って今の自分から見ると思うんですが、そこはただ遊んだだけだったんですかね。子供って良いな…と自分のことながら思います笑 なんか楽しそうで可愛くてお気に入りです。こんなピュアな感じは今の私には出せないな〜って思っちゃいます。

次は唐突に15歳の時のプリクラです笑

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なんかグチャグチャしていて品がないですね笑 夏でも冬でも自転車で10キロ以上走って海に行ってからファーストフードに数時間居座り、最終的にジャスコの化粧品売り場のテスターを試しまくってからプリクラ撮りまくっていた時代です。体力を持て余しまくっていた頃…。プリクラはこんな感じで落書きしまくりで最終的に顔が全く見えないくらい落書きで全面埋めるようになってしまい、謎の汚いシートに400円払うという悲劇が起き始めた頃から撮る頻度が少なくなりましたw 最近の子はプリクラで落書き全然しないらしいですね。とても頭が良いと思います笑 この頃はほとんどちゃんとした絵は描いていなかったです。机とノートは落書きだらけでしたがw

そしてこちらは18歳〜21歳くらいまでに結構本気出して練習してみた水彩画たちです。

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あ、下のモノクロの絵は中3の時に県で1番の賞を獲った絵です。中学時代は全校生の前で表彰されるのが嫌すぎて美術の先生に頼んで私の絵はそういうコンクールに出さないか、出すなら手を抜くって感じでやってたんですが(今思うと生意気w)この絵の時は「絶対コンクールに出さないから本気出して良いよ」と言われてまんまと本気出したら結構デカいコンクールに出品されてまさかの1番だったという笑 これだと見えないんですが床の白い部分の柄を全部変えたりしていて細かい仕上がりが良かったみたいです。本当に暇つぶしで色々描き足していただけだったんですが、今ではそんな凄い賞を獲る機会すらないのでめちゃくちゃ感謝してます。当時はキレましたがw

そんなこんなで上の絵は何も知識がない私なりに当時の本気を出した絵たちです。ほとんど100均の画用紙と筆と水彩絵の具で描いてました。下手であることを自覚し始めた頃でもあったので自分に高い画材は勿体ないとも思っていました。ちなみにセーラー服の写真はちょっといかがわしいバイトをしていた頃の自分です笑

次は油絵を描き始めた頃に描いた構図メモの一部です。

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なんか今より思考回路がまっすぐだな〜って自分的に思います。人にどう思われるとかツイッター受けがどうとか、今はある邪念たちが一切なかった時代だなって感じですね。今は今で見えてるものがあると思うのでそれはそれで大事にしたいですが、やっぱり作品って生モノだなと思います。過去の作品はもう思い浮かびません。当時構図はメモしたものの作品として取り掛かってないというメモが沢山あったのでそのうち描こうと思います。こうやって後々使えるのでとにかくメモしとくのは大事ですね!

そしてこちらは日本で1人暮らししていた頃の作業風景です。

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制作現場も汚いですがペットボトル溜めてんな〜とかも気になりますね笑 でも絵の制作に関しては毎回ちゃんと片付けていたので普段は綺麗でしたよ(ペットボトルは大体こんな感じ笑)。展覧会やコンクールにも出していた頃だったので主に大きな絵を制作していました。これはまだ少し小さい方です。本気でガムシャラにやってた頃を思い出せる写真です。

そしてこちらは展覧会での様子。

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受け付けをやってますね。懐かしいです。山梨県立美術館で年に1回デカい絵を5枚くらい飾らせてもらっていたのは今思うと大変ありがたい環境でした。今は何の為にやってるんだろうって定期的に思いますし、見てもらう環境や締め切りが基本ないので成長のスピードも遅い気がします。締め切りとかって辛いですけど成長という点ではやっぱり重要ですよね。いつかまたこんな風に展覧会とかしてみたいです。

こちらは1人暮らしのアパートに両親が遊びに来てくれた時の写真です。初公開かも?!笑

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当時描いていた私の絵を持ってもらっています笑 元銀行員の父と元小学校教師の母です。親戚も不動産や農業や教師などお堅い職業ばかりで絵を描く人なんて1人も居ないせいか私の考え方は基本的に理解してもらえなかったですし、私自身も親たちの考えに共感できないことが多いんですが、大事に育ててもらったとは思うので感謝しています。細かいことは色々ありますが…笑 それにしても親戚に芸術家のロールモデルが居ないと芸術家として生きるにはどうしたら良いかサッパリわかりませんね。あくまでも普通に堅実に生きた上でやりたい芸術をやるって道以外は想像もつきません。本当はもっと芸術の為に生きてその日暮らしとか出来たらカッコいいんだろうな〜って思ったりしますけど、全然具体的に想像できないものは無理ですねw 今だに芸術家として生きる人たちの暮らしには興味があります。画家に限らず作曲家などそういった自分のセンスで食べていけてるような人たちの暮らしを覗いてみたいです。

そして次は働いていた頃に書いていた日記です。

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これ両面にびっしりです。起床時間、就寝時間、やったこと、食べた時間、食べた物、体重、400文字くらいの日記を2年くらい毎日書いてました笑 馬鹿ですよね〜。今は記録癖はまだちょっとマシになりましたがタイに来てから書いた日記やら何やらは相変わらず大量にあります。毎日生きてるとどんだけ吐き出しても無にならないので困りますね。気持ちとかどうでもいい記憶とかは吐き出してスマートにしないと作業効率が悪くなるタイプなんです。こういうの無しで普通に生きられる人は凄いなって思います。

お次は21歳頃に付き合っていた元彼が描いた天才的な絵です。その元彼はビョルンみたいな見た目で当時超絶イケメンでした笑

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