見出し画像

書きたいことを書いていく。

日々考えたことを書いていきたいと思った。
もしかしたら、ごく普通の日記になるかもしれない。
あるいはただの自分語り。

そもそも、日々考えたことの書き出し自体も自分語りっていうものになるんだろうか。

だから、自分語りか、ただの日記を書く。

誰かに読まれていることをあんまり意識しないで、
書きたいように書いていきたいと思うので、
もしこれを読んでくれた人がいて、
読みにくかったら申し訳ない。

そして、いきなり自己紹介も何もないけど、
追々そのうち別の機会に自己紹介かきたいかもしれない。それより今はここ最近すごく強く感じたことを書きたい。


「神様っているかもしれないけど、いないかも」
ということ。
いきなりスピってるみたいで怖いね。
でも、具体的なスピでも宗教的な話ではないし
私は信じているものは何もない人間です。

しかし、まずはじめに「神様っているかも」という
感じたことのはじまりは、少し宗教は絡むかもしれない。と言っても一般的な仏教で、お寺の幼稚園に通っていたのがはじまりだったと思う。

私が通っていたお寺の幼稚園はごく普通の街にある小さなお寺が、幼稚園を併設しているようなものだった。まずは幼稚園入園前に、そこに併設されている幼児教室に通っていたのだが、私の親は、幼稚園自体は別のキリスト教系の園にしようと決めていたらしい。
幼い私はそんなこともつゆ知らず、幼児教室卒業後は晴れてこの幼稚園に入学するものだと思い込んでいたところ、もうここには来ないのだと言われ、激しく抵抗した。しかし、とりわけお寺が気に入っていたわけでもないし、幼稚園に憧れていたわけでも無かった。
でもここに来られなくなるのは絶対に嫌だと思った。
大人からすると幼児のただのイヤイヤ期、思い通りにいかないのが気に入らない!みたいなもんなのかもしれないけど、ハッキリと「ここに来れなくなるなんておかしい!」と感じて激しく抵抗した。

結果、親はあきらめて寺幼稚園に入園させてくれた。
キリスト教系幼稚園は人気があり、わざわざ朝から並んだりしたのに(自分も連れて行かれ覚えている)申し訳ないですね。

この選択はなんとなく神様いるっぽい。と後々大人になって思った。
幼児の直感に働きかける神的な。

その後無事寺幼稚園生活をエンジョイした私だったが、なんとなく、お釈迦さまという存在に毎日触れ、
「ののさまは、口では何にも言わないが、あなたのしたこと知っている」という歌を歌わされ、見えない大きな存在を意識するようになった。

いや釈迦もブッダも関係ないな。
まあ、なんとなく見えない力みたいなのを感じるようになった。信じる信じないというより、なんとなくそういうものがあるのかもしれないと感じるっていう、ふんわりしたもの。


ここまで書いてきてなんとなく考えを整理したけど、やっぱり神様とか宗教とかいう話じゃなくて、見えない力みたいなのを感じることがたまにあるって話かもしれない。

それは、強く願うと叶う、努力でどうにかなることじゃなく、運で決まることの願いが、叶う。
という事が子どもの頃何回かあったせいかもしれない。

そのお願いの仕方はめちゃくちゃで適当だったけど、神様お願いしますと強く強く願うというだけのもの。

そんなこんなないい加減なお願いを叶える力に何回も救われてきたけれど、大人になってきてそれが失われつつあるように思った時があった。

それは、成人してお酒を飲んだり、向精神薬に頼るようになってきた頃になんとなく思った。
精神と魂を濁らせてしまったせいなのかもしれないと思った。とても悔いた。今でも悔いている。

自分が元々、清い心や清い精神だったとは思っていない。でもやっぱりなにか濁ったんじゃないかと思うようになった。それに、願いが叶った理由が、清さだったからなんてわけもない。確実に。

だけど、そういう神秘性みたいなものを感じられなくなっていたのは確実だと思う。研ぎ澄まされていない状態になってしまった。
だからもう願いも叶わないんだ、私は汚れちまったんだなんて思った。
それが悲しかったんだと思う。

魔女の宅急便のキキが、ジジの言葉が分からなくなってしまった時。
魔法少女が力を失った、魔法が解けた時。
そんな感じだ。

初めから別に自分に魔法があったわけじゃないけど、あるかもしれないって思てたその気持ちも、もうないってことなんだろうな。


でも、ここ数年では神秘の気持ちが少し戻ってきたような気がする時があった。

それは神社仏閣でお参りをした時。

私はひとり旅が好きなのだが、旅先ではできる限り、お参りをするようにしている。ただなんとなくだけど「ここに来れてよかったな〜この縁に感謝したいな〜」とか「旅の無事を願いたいな〜」と思う時、お寺や神社を見かけるとご挨拶したくなる。
そんな風にお参りすると、だいたい旅中は晴れる。天気がよくなる。大雨の予報でも晴れた時はびっくりした。
これは感謝せざるを得ないと思って、またお参りをする、という繰り返し。

そして、拝んだ後ってなんとなく頭がスッとする時がある。

こういうのって、もう、見えない力の有無は関係なく、拝む事が、マインドフルネス的な?
関係あるのかとも思う。

あとは、ちょっとした神秘みたいなのを感じて、それに感謝したりしながらなんとなくやってくのがいいなって思う。信じる力とか関係なく、なんとなくいいことかなって。

なんとなーくのそういう関係性がありがたいもんだなーって思う。もう清くなくたって、これからもありがとう〜お願いします〜って思っていきたいな。


本当はこの記事を書こうと思い立った時、
神様なんかいないわ…って落ち込んでやさぐれていて、文句の一つでも書こうかなという気持ちだったのに、そんなことなくなった。

今すごく人生が苦しいし不安でいっぱいだから、助けて神様…いや、助けてくれないじゃん神様!って怒りをぶつけそうに。いや、この怒り、普段神様信じてないくせに解釈が都合が良すぎる。

この記事を書いたおかげで、そんなバカで身勝手な怒りの気持ちを捨てる事ができた。よかった。
これって、神様いるかも。いつもありがとーもうちょっと頑張りますんでちょっとお力添えお願いしますーーー


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?