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忘れられていく新型コロナ感染症対策

 新型コロナが5類移行後、本格的な夏の到来と合わせて去年まで自粛されていたイベントや祭りごと、花火など多くの人が集まり賑わう行事が解禁されたと言わんばかりに各地で開催されている様子を見ていると、新型コロナ禍が始まった3年半前と同じような感覚を覚えます。

 新型コロナのパンデミックが起きた当初、我々は未知のウイルスについてなんの知識も持ち合わせない中で、不要不急の外出を控えつつ、あらゆる感染対策を国全体で推進し、多くの国民がその対策に沿って行動していたものの、我々の多くが何故そういった感染対策をしなければいけないのか本質的に理解しないまま物事が進んでいるのではと感じていました。

 各地でイベントや祭りごとが開催されるなか、その様子がニュースやSNSなどで共有され、新型コロナがなくなったかのような賑わいを見せているのは、感染症がいかなるものなのか結局のところ多くの人々が理解しないまま感染対策という様式だけが共有されていたんだなと思うんですよね。

 新型コロナとの共生社会を進めて行くことが必要なのも事実であり、イベントやお祭りへ足を運ぶのが悪いことではないものの、感染症に対する人間の限界を見たような感覚を覚えています。

 厚生労働省が毎週発表している「新型コロナウイルス感染症に関する報道発表資料」及び「療養状況等及び入院患者受入病床数等に関する調査について」を見ると、新規感染者数と新規入院者数が増加し続けており、何の対策もせずにいれば今後もピークを迎えるまでは感染者数と入院者数が増加し続けるのは明らかであり、医療機関がひっ迫する地域が日に日に増えて行くと考えられます。

 新型コロナの感染拡大も重大な問題ですが、新型コロナが5類に移行したことで、感染症対策の判断が「基本的に個人の判断に委ねられる」ようになったことで、公衆衛生の観点から感染対策が機能不全を起こしているように見えます。

 また、多くの人が感染対策をしなくなっていくことによって、感染対策をしている人が少数派として5類移行前後で人々の価値観が逆転し、「推奨される感染対策が過剰な感染対策」だと広く国民へ誤認されていくのではと危機感を覚えています。

 新型コロナへの感染対策に一定の同調圧力が働いていた状況から一変して、今後は感染対策をしないことへ一定の同調圧力が働いてしまうような社会になっていくのではないでしょうか。

 新型コロナは突然変異しやすく、〇〇株といった表現がされているのは突然変異することで感染力が増したり強毒化したりするため、新型コロナを区別するために用いられている表現になります。

 これはワクチンを接種したり、新型コロナへ感染することで新型コロナの抗体を獲得しても、突然変異した〇〇株に対しては以前獲得した抗体が機能しないことを意味しています。

 私たちは、新型コロナへ感染を繰り返していくなかで、感染力が強く強毒化した新型コロナが流行した場合には、多くの死者や重篤化、後遺症を抱える可能性があることを理解しておかなければなりません。

 インフルエンザとの共生社会を歩んでいた私たちは、新型コロナとも共生していける社会基盤と生活様式を、公衆衛生の視点から取り入れていかなければならず、新たな転換期をむかえている真っ最中であることを忘れないことが大切なのではないでしょうか。


AIが生成した「新型コロナが消え去ったかのように花火を眺める人々」



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