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何故、電機屋になったのか。


・電気の世界
「ハンダごて」を握るということからでした。

ハンダを溶かし部品を基板に取り付ける時の“香り!?”がとても好きになってしまったのが中学生の頃。

部活動の顧問の先生が「アマチュア無線」免許を取ってみないか?と勧められ勉強を始めたことが電気の世界を知ることになります。

・無線の魅力
当時は携帯電話(スマホ)といったものは普及してないので線を伝わることなく「話ができる」というのはすごく不思議なことで、当時、熱中できることを模索していた時期だったので、この無線の世界にのめり込んで行きました。

携帯電話のような1対1のつながりではなく、1対複数(複数は常に変化する)の対話ができるのも魅力でした。

・コミュニケーション向上のために・・・。
「人と話をする」「アンテナを自作する」etc・・・。

いろんな楽しみ方のあるこの無線の世界ですが、もちろん資格と免許を取らなければなりません。

この資格を取るための試験勉強が後の電気屋の礎(いしずえ)のなるのですが、免許を取得し「人と話をする」ことは当時の「引っ込み思案」改善にと、沢山はなしたのを今でも覚えています。

・いざ「電気屋」始める。
そんな感じで、学生時代も終わり20歳を迎え、家業を少しの間手伝っていて震災の復旧作業も少し落ち着いた頃、「電気屋」になる事をこの時に決意しました。

勿論、右も左も分からない状態で、まずは「見習い」として就職することから始めました。

・いろんな「電気屋」の存在
徐々に技術を身につけていく中で、いろんな「電気屋」が存在する事を知り、将来「独立」する時は、どこまでを間口にするか考える時期でもありました。

・間口を決めるまでは「独立しない」
電気に携わっているのがとにかく楽しかった。

電気に関する事で分からない事は知りたかった。

そんな思いが技術を向上させていったのだと思います。

当時、独立していた先輩達は「電気屋5年」とよく言っていました。

その時には既に5年経っていましたが、「独立」してからの技術習得は難しいと当時は考え、各分野の電気の技術を更に覚えました。

ちゃんと、人に聞く事なく出来るようになった頃には9年が経過していました。

・どんな電気屋になったのか
間口を決めるにあたって、まず「内線屋」である事。

その次に主に「住居」「小規模の工場」であること。

その中で、
  ・建築系電気
  ・機械系電気
  ・空調系電気
  ・通信系電気
を間口として決めています。

・これからの電気屋とは
電気に関わってきて、今年で24年目になる年。

「見習い」を始めた年も「子年」今年も「子年」。そして2020年と何かと振り返って、未来に向けて考えて行動しないといけない「この1年」だと考えています。

今年から「これから技術を身につけたい」と思っている人に伝えていったり、「インターネットを使った販路の拡大」「将来に対する考え」を中心にアウトプットしていこうと考えています。

具体的には「SNSの開設」や「webショップ」を充実させるべく活動を始めています。


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