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『灰のもと、色を探して。』第19話:四人

 むいているとは、思ったことがない。

 まだ払暁から少し経ったほどで、外は快晴である。ところどころに穴の空いた天井から、強めの明かりが差しこんでいた。

 街からやや距離のある、まだ踏破されていない遺跡にミリアはいた。

 見通しがよく、入り口から近いところを拠点とし、ミリアはそこに即席の椅子と机を作っていた。作るといっても、都合のよさそうな石や木切れを探しては、寄せたり乗せたりする程度だ。机はもうできていて、椅子をあとひとつ作るだけだった。

 周囲を見渡して、瓦解したところを観察する。ほどよく整形された石があり、拾いに行く。持ちあげようとしたが、石は動かなかった。

「あっちの世界だったら、片手で持てるのに」

 呟きながら、ミリアは溜息をつく。そして、息を吸ってから止め、石の上部を押して傾けた。そのまま倒しては、また傾けることを繰り返した。倒す際の音が大きいが、別に気にすることはなかった。どちらかというと、振動が遺跡に与える影響の方がいくらか心配ではあるが、結局のところ、なにか起きたら対応するだけだった。

 拠点に着き、微調整をするために、しゃがみこむような体勢で今度は石の下部を押す。無事に、当初想定していた拠点の家具を揃えた。

 手をはたきながら、ミリアはひと息つく。

 足りない力でも、考えればどうにかなるものだ。

「どうしたの? すごい音だったけど」

「あら、アッシュ。見て、拠点が完成したわ」

 ひょっこりと顔を出したアッシュに、ミリアは得意げに応えた。

「どたんどたんと、遺跡のことを気にかけないんだから。崩れたらどうするのさ」

「やむなし、だわ。それに、なにかあったら助けてくれるでしょう? ほら、魔法で」

「出せないよ。まったく、豪胆というか、図太くなったというか」

 言いながらも、アッシュに批判めいた空気はない。

 再創世が起きてから、半年が経過していた。その間、灰の国には行けていない。装置も腕輪も、なんら反応を示さなくなっていた。

 このまま時間をかければ、いつかは灰の国に行けるのか。だれも答えを知らないが、だからといってこちらから打てる手もない。なら、こちらの世界の日々をしっかりと生きるだけだった。

 業績を認められ、今では、より難易度の高い遺跡を任せられるようになっていた。

「というか、わざとだよね?」

「なにが?」

「椅子の数」

「二つあるじゃない」

「また、そうやって意地悪するんだから」

「今度はなにかな?」

 暗がりから、人影が現れる。

「ギマライさん、ミリアが椅子を二つしか用意してない」

「それはひどい」

「自分の分は、自分で用意しなさいよ、ギマライ」

「まったく、ちゃんと謝ったのになあ」

「謝るかどうかはあなたの判断。それを許すかどうかはわたしの判断。それに、今この隊の指揮権はわたしにあります。新参のギマライは床にでも座りなさい」

「ミリア、おとなげないよ?」

 アッシュの指摘に、ミリアは舌を出してみせる。

「どうせわたしは、重い女ですから」

「敬語が怖い。というかそれも、謝ったじゃないか」

 再創世を終えた後、ミリアたちは自分たちの世界へ帰ってきた。三人とも大小の損傷を受けていたが、なかでもギマライの容体は酷いものだった。ヒューの治癒があっても、また追うように無理をしたのだから、仕方がない。半月、意識は戻らなかった。

「ギマライさんが寝たきりだった時、あれだけ憔悴していたのに」

 スミスは付きっきりで看病し、ミリアとアッシュも可能なだけ手伝っていた。異常なまでの頭痛と熱に、常にギマライはうなされていた。

「してないわよ。適当なこと言わないで」

 ある日、病床のギマライから、声が聞こえた。彼はなにかに謝っていた。それも、一再ではなく。

 意識を回復してから数日後、ギマライはまだ歩けず、暇を潰すように上体を起こして読書に耽っていた。その時、訊いてみたのだ。

 それは、ミリアとギマライの二人にとって苦い記憶。ギマライを見ると、ミリアの中に黒い感情が蠢くようになった端緒。

 母を失い、どうにかして生きていかなければならなかったミリアに、ギマライは娼館という知恵を与えた。それを、ギマライはずっと悔いていたのだという。

「今日の俺は、褒められていいと思うんだけどなあ」

 したり顔を、ギマライは浮かべる。あの時のギマライは、対照的に、無表情だった。既に苦悶はとうに超え、なにを顔に出せばいいのか、わからないかのようだった。

「なにか見つけたの、ギマライさん?」

「ふふふ、こんなものを発掘したよ」

 許してくれなくていい、とギマライは言った。ただ、狡いことだとは思うが、知っていてもらいたいだけだ。彼はそう、付け加えた。

 今では、冗談を言い合えるようになっている。それが、おかしかった。

 実のところ、謝ってきた時には、もう許せていた。ギマライが自身の言動を、間違いだったと正してきた。それだけで、ミリアに巣くっていたものは氷解した。なにより、それをゆうに凌駕するほど、ギマライには助けてもらっているのだ。ギマライからすれば贖罪なのかもしれないが、ミリアにとっては充分すぎることだった。

 ただ、それを言うのはどことなく癪だった。少しくらい苛めても、多分罰は当たらない。

「三角形の、なに?」

 ギマライが取り出したものは、手のひらに収まる程度の、正四面体だった。発掘したばかりとは思えないほどに真白であり、また朽ちたふうでもなかった。

「なんだと思う?」

「そういうのはいいから、結論を言ってよ」

「冷たい。まあ、試してみないことにはわからないんだけどさ」

 言いながら、ギマライはその立体を自らの腕に近づける。

 そこに着けてある腕輪が、ほのかに発光した。灰の国から戻ってきてから、三人は腕輪を外したことがない。

「な? これはきっと」

「あの装置に関係がある」

 我慢できないかのように、ギマライの言葉を食ってアッシュが大声を出す。

「遺跡が崩れたらどうするの、アッシュ」

「斧でなんとかできるでしょ、ミリアが」

「持ってないし、できないわよ」

「灰の国ならできる」

「そして、行ける可能性が、たった今ここにできたわけだ」

 三人で、顔を見合わせる。皆等しく、瞳を輝かせていた。

「撤収だ。ギマライさん、ミリア、早く戻って灰の国へ行こう」

 アッシュが慌てて、拠点の荷物をまとめはじめる。

「まだ、行けると決まったわけじゃないけどな。でも、急ごう」

「そうね。あと、呼び方も変えない? もう灰は、適していないわ」

「アッシュの出番だな」

「また俺? ううん、ちょっと待って」

 手を止め、あごに指をつけながら、アッシュはいかにも考えている雰囲気を見せる。

「多彩の国、はどうかしら?」

 浮かんだ言葉を、ミリアはそのまま声にする。

「あ、まだ考えていたのに」

「多彩か」

「あの夕暮れは、とてもきれいだった。きっともう、あっちの世界は色に満ち溢れている」

「いいんじゃないかな。気に入った。いい名前だと思う」

 納得したように、ギマライは頷く。

「しょうがないなあ。今回ばかりは、ミリアに譲るよ」

 言いながらも、アッシュはまったく残念な様子を見せない。それが、ミリアには嬉しかった。

「ありがとう、アッシュ」

 まだ、可能性が生まれたにすぎない。それでも、ミリアには確信めいたものがあった。

 ヒューに会える。また、あの世界を体験できる。もくもくと湧いてくる興奮を、ミリアは抑えられない。

 遺跡を出る。一番多くの荷物を持っているにも拘らず、アッシュは遥か先を歩いていた。時々こちらを振り返っては、遅いと手招く。

「ねえ、ギマライ」

「うん? なにかあった?」

 穏やかな調子で、ギマライは返事をする。

「行こうね、一緒に」

 ギマライを見つめ、ミリアは微笑んだ。

 このあたたかさは、陽射しだけでない。



 少女は、空を仰ぐ。

 わずかに雲が厚くなってきていたが、雨が降るほどの禍々しさは感じなかった。

 家の近くの川へ、魚を獲りに来ていた。網は先日仕掛けていて、あとは獲れているかどうかだった。

 きっと獲れている。少女は、期待に胸を膨らませた。獲物がかからなかった時の、落胆は凄まじいものがある。だから、本来は期待などしない方がいいに決まっていた。それでも、抑えきれなかった。

 母には、刺繍を覚えるようにと言われた。それは断り、漁を学びたいと父に言った。両親は困りながらも、最終的には折れてくれた。

 だから、鼓動が高まるのだろう。自分で決めたことだから、落胆もするし興奮もする。苦しさを感じる時もある。しかし、そういった感情の揺れ動きのすべてを含めて、愉快と思えるのだ。

 これまでの自分なら、きっと刺繍に進んでいただろう。不満を覚えながらも、文句は言わず、従っていたはずだ。それがどれほど以前の自分なのかを考えると、なんだか思考がぼやける。ずっとこういう性格だったという気もしてくるのだ。

 隣村から縁談の話が出ているらしいが、それも来次第、丁重に断るつもりだった。結婚というものは自分にはまだ早いのか、興味が湧かない。

 正直なところ、結婚よりも楽しいと思えることが、たくさんあるのだ。

 幸運にも、魚は数匹かかっていた。小さく拳を握り、少女は勝鬨をあげる。今日の夕飯で用いる分以外は、干して保存食にする。隣人が求めてきた場合は、分けてしまう。

 その中で一匹、まだ成長しきっていない魚がいた。

 今ここで食べてしまおう。そう、少女は企んだ。

 枯れ枝を一本、小刀で細かく削いで綿状にしていく。さらにちぎって細かくしたものを、揉みながら丸めた。小さい鋼と石を擦り、丸めた火口へむけて火花を散らす。そこに生じた火に息を吹きかけながら、枯れ枝をくべていった。細く成形した別の枝を、魚に刺して火の近くに立てた。

 火を見るのは、好きだった。火は火でありながら、一度として同じかたちにはならない。だから、ずっと見ていられるのかもしれない。

 そしてなにか、過去にもこうしていたことがあるような、不思議な感覚に襲われるのだ。脳裡を掠めるのは、夢にも似た記憶の断片。そこはとても殺風景で、空は常に、仄暗い雲に覆われている。

 また、ありえないことだが、灰が降っているのだ。そんな天気、生まれてから味わったことがない。

 同時に、去来する思いがあった。

 ありがとう、と心から言いたい人が、自分にはいるのではないかと。

「また、つまみ食いかい、ヒュー」

 通りすがりの老人に、からかわれる。苦笑いで、少女は応じた。

 自分の名は、古代の言葉で色を意味するのだという。

 それを思う度、極めて多くの色が、この世界を美しく形成しているのだと、少女は深甚に感じ入る。空、木々、土、川。自然の恩恵は、ただ生きるためだけではなく、自分たちの心をどこまでも潤してくれる。

 そしてこの世界の景観は、きっと当たり前のことではない。神々のお蔭でもない。だれかが、勇気と決断で行動した結果なのだと、少女は思った。いや、そうだと知っているような気がしているのだ。

 雲の落とす影が、薄くなっていた。

 妙な感覚を覚え、少女は顔をあげた。そして、理由もわからずに笑う。瞳が大きくなるのが、自分でもわかる。火も魚もそのままに、少女は駆け出していた。

 速く、速く。呼吸はあがり、汗が額に滲んでは、肌を転がり落ちていく。それでも、少女は走り続ける。

 もうすぐ会える。

 曇天を貫く、青い光。遠くに立ち昇っている。


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こちらのイラストは、もりょ様に描いていただきました。

改めまして、この度はご協力いただきありがとうございました。

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