『灰のもと、色を探して。』第15話:覚醒
いくらか、躰に熱が沁みている。
アッシュの魔法により、攻撃を受けても、損傷には至っていなかった。ただ、少しずつその熱が失われていく感覚がある。時間の経過か、損傷の累積か。いずれにせよ、敵からの攻撃を防いでくれることが、とてもありがたかった。
掴もうとしてくる手を弾き、足を払う。その鳩尾に、斧の柄で打ちこんだ。声をあげることもなく、魔物は動かなくなる。
時間はかかる。これは、そういう戦いなのだ。アッシュが再創世を終えるまで、ゾヴを引きつける。ゾヴを斃せなくとも、時間を稼げればミリアたちの勝ちだ。
ヒューの救出に関しては、紛れているとなった今、その時その時で最善を尽くすしかなかった。ゾヴは、きっとヒューがどこにいるか知っているだろう。しかし、それを聞く術は持っていなかった。
「轟け、戦吼」
囲まれる前に、戦技を使う。力を瞬時に溜め、前面に声として放つ。魔物たちは怯みを見せ、中には転倒するものもいた。魔物は、正直なところ強くはない。数こそは多いが、どちらかというと、傍観しているゾヴがどう動くか、が肝要だった。
理想は、ゾヴとの一対一だ。勝てるかはわからないが、負けることはない。今の自分なら、そういう戦い方ができる。手の空いたギマライは、こちらにかかり切りではなく、色丸を通じてアッシュを助けられる。そしてそのためには、一刻も早く魔物を殲滅することだった。
しかし、そこが狂わされている。
斧を置き、体術で魔物を制していく方が、実のところ効率がよかった。加減がもっとも利く。斧では、斃してしまいかねない。ただ、ゾヴの水は、素手では防げない。自分は躱せても、ギマライを狙った水撃を、打ち払うことはできなかった。
それでも、ヒューが紛れている以上、斧による斬撃は攻撃の選択肢から外れるのだ。攻守の方法が分かれていることが、ここまで難儀だとは思わなかった。
ヒューが見つからないままでは、魔物を斬れない。魔物を斬れなければ、ゾヴとの戦闘を有利に運べない。
ギマライ、急いで。
心で呟く。ミリアの背後に、ゾヴと直線になるように、ギマライはいる。いざとなれば、ギマライの楯となる覚悟だった。
操作魔法を、彼は文字通りすべての魔物に順次かけているのだ。操るまではいかない。ただ、操ろうとした時の重さで、判断をしている。
ギマライの言う順番。それは、操作のかかりやすさだ。魔物、眷属、使徒の順。つまり、重ければ眷属であるヒューで、軽ければ魔物だ。
操り切らないとはいえ、この数に魔法を唱えるのだ。隙も多くなる。そこを埋めるのが、まずミリアの役割だった。ギマライは動かずに、ひたすら操作魔法を敵に引っかけていく。
どれだけ打ち倒したのか。倒れた魔物が足元の邪魔とならないよう、少しずつ位置をずらして構える。
敵の流れが、おかしかった。そして、肌に粟が生じる。
ギマライが駆けていた。ゾヴを中心に、弧を描くように。魔物がいくらかそちらに釣られ、ミリアの感じる圧力は小さくなる。しかし、ギマライには、対面して直接的に戦えるような力はないのだ。
「なにしてるのよ」
再創世とほぼ同位置に優先なのが、ヒューの奪還である。ヒューがどの魔物なのか判別できているなら、一度ゾヴと距離を取ってでも、彼女に接触し、ヒューを元に戻すべきだった。ミリアがギマライと離れることは、敵にとって有利にはたらくほかにない。
ヒューを元に戻せるのか。その疑問は考えないことにしていた。
「ゾヴをたたけ、ミリア」
叫びながらも、ギマライは走るのをやめない。顔は、流れる血ですでに真紅に染まっていた。押し寄せる魔物たちを、なんとか振り切っている、といった情況だ。ただ、アッシュの魔法があるからか、ゾヴがなにかをする様子は見えない。
疑念を消す。ギマライの指示を遵守する。そこを誤ってはいけない。
手薄になった前面へ跳躍し、一体の頭を踏む。さらに飛んだ。ゾヴの顔が近づく。薄らと浮かぶ笑みは、相変わらず寒気を催すものだった。
斧をしかと握り、息を吸う。
振りおろす。当たる直前に、空中に作られた水の盾によって防がれていた。ただの水とは思えないほど、粘度があるかのように柔らかくも硬い。刺さった斧をそのままに、回転して蹴りを放つ。別の水壁に当たり、飛沫とともに弾ける音がした。念じる。手元に戻った斧で、先ほど蹴った場所に斬撃を加えた。水が飛び、消えてなくなる。心なしか、ゾヴが動いた気がした。
後ろに跳び、間合いを取る。右頬に、焼ける感覚があった。水撃だ。近くにいればこその威力なのだろうが、アッシュの防御魔法があっても、掠めた程度で損傷を受ける。
先ほどの水の盾から、無数の針のように水が飛んでくる。ミリアは躱し、また斧で打ち払う。見えてはいるが、こちらが攻撃に転じる好機が作れない。
流れたゾヴの魔法が、魔物たちに刺さる。ミリアの視界の端で、四肢が砕かれ、首が飛ぶものもいた。ヒューでないことだけを祈る。
しかし、なにか変だと思った。魔物たちは、たしかにミリアを囲むようにいる。先ほどと変わらず、攻撃してくる者もいる。それでも、囲むだけで、攻めあぐねているような動きを取る者が、一定数いるように感じた。
ギマライだ。
信じがたいことだが、ギマライは操作魔法による判別を終えているのだ。そして、ここにヒューがいないとわかり、ゾヴを斃すべく策を進めている。
さらには、動きの違う魔物。これらは、ギマライの指示だと見ていいだろう。
ゾヴには、知られてはいけない。まだミリアたちは、ヒューを探していなければならない。
しかし、確信はない。こちらにいなければ、アッシュの方にいるのか。ゾヴの話は偽りで、そもそも魔物と化していないのかもしれない。手元に置き、人質のように利用してくる可能性もあった。まだ、迫り来る魔物たちを斬り伏せることはできない。
距離を少し詰め、自分の間合いだ、と思えるところで止まる。第一に首、それが駄目なら四肢を斬る。これも、事前に話し合って決めていた。
横から、腕に噛みつかれる。腹に膝を入れ、肘で顎を打つ。その間に、大腿部に衝撃があった。水撃をもらっていた。じわじわと、腕と右脚に熱を感じる。動きに支障がないことを、ミリアは瞬時にたしかめる。
「もったいぶってないで、一息にやれば?」
「どうせ結果は見えているのですから、無駄な力を使いたくないのですよ」
そろそろ、ギマライがゾヴの背後に着き、ミリアと直線になる。死角に移動したかたちになるが、当然ゾヴもそのことはわかっているだろう。
「とはいえ」
ギマライの呻き声が聞こえる。魔物に足止めを食らったところに、ゾヴの水撃が脚を貫いていた。走っていた勢いもあり、ギマライは前のめりに倒れる。
「企てを潰すのは嫌いではないので、いくらかは遊ばせてもらいますが」
「ギマライ」
叫び、自らの躰を見やる。体表をかすかに覆っていた赤みが、消えていた。
アッシュの魔法が解けるのを、ゾヴはずっと待っていたのか。そして、その瞬間にギマライの動きを封じた。
ギマライへ駆け寄るべきか、とミリアは瞬間考える。ギマライを苦しめて、ミリアの心をそちらにむける。それこそが、ゾヴの次なる思惑ではないか。しかし、ギマライが動けないままでは、ゾヴのいい的となるのは自明の理だ。彼がやられたら、ヒューを救い出すことも、再創世を遂行することも難しくなる。
いや、そんなことではない。
ギマライを守れるなら、守りたいのだ。
音。前方の離れたところから、切り裂くように届く。空にむかって、赤いなにかが放たれていた。
アッシュの炎だ。
「ミリア」
ギマライの声。それを聞くよりも早く、跳んでいた。ゾヴが眼前に迫る。
ヒューは、アッシュの方にいた。もう、躊躇う必要はない。
横に薙ぐ。すんでのところで、水に防がれた。念じ、手元に現れた斧を握り、逆から斬りあげる。水は球のようにゾヴを囲い、この斬撃も届かなかった。
斧を抜く猶予が惜しい。引き抜かず手をあげ、念じ、再び掌に現れた斧を握り直しては、ひたすらに斬る。
遅れて、魔物がミリアに攻めかかってくる。視界に捉えながらも、相手にはしないと決めていた。好きに攻撃してくればいい、とミリアは思う。
ゾヴに損傷を与える。そのためには、損傷をこちらが厭っていてはいけない。先ほどまでと違い、魔物を懸念なく斬り捨てることができても、今はそのわずかな時間さえも惜しかった。
仮にギマライの手助けがあるとしても、こちらを守るのに割いて欲しくはない。その分は、攻めに用いて欲しかった。
魔物に腕を掴まれた。振り落とす。水撃。伏せて躱した。脚に、一体がまとわりつく。大きな体躯の重さに、苛立ちで眉が寄る。
しかし、害意がなかった。
飛んでいた。いや、ゾヴへむけて、魔物に上空へと投げ飛ばされたのだ。頭が理解するまでに、少し時間がかかる。
信じられないものを、見ていた。
魔物たちが、一斉にゾヴにむかっていた。統一された動きで、ゾヴを攻撃していく。
「ギマライ、ふざけたことを」
ゾヴからは、笑みが消えていた。迫る魔物たちを次々に水で葬っていく。他愛もないことのようだが、全方位を相手にしているので、多少は骨が折れるのだろう。
斧を握る。真上から、重力を乗せてゾヴを叩き斬ろうとする。腕や脇腹が熱くなる。いくつか、こちらにも水撃は来ているのだ。躱せなくとも構わない。
振りおろす。水の盾。せめぎ合っている。押す。思わず叫んでいた。
早く斃して、ヒューとアッシュのところへ。邪魔をするな。
かかる力が、不意に消えた。水の盾がなくなった。いや、破壊できたのではない。ゾヴが意図的に消したのだ。そう認識するより早く、ミリアは胸部に衝撃を覚えていた。水流。それも、奔流のような激烈な勢いだ。後方に飛ばされ、柱に背を打ち、そして地に転がる。呼吸ができない。視界が巡る。
「素晴らしい力ですが、駆け引きがまったくなっていない」
魔物の数は、だいぶ減っていた。慣れたのか、声色には露骨な余裕が含まれている。
浅く、息を吸っては吐く。肘を立たせ、起きあがろうとするが、躰が付いてこない。
「意気を挫くのは、なにものにも代えがたい悦びがありますね。さあ、立ってください。次は、もしかしたら僕に届くかもしれませんよ」
ゾヴに近寄った魔物が一体、また討たれ、蒸発して消えていく。朽ちていく魔物を、そして倒れたままのミリアを、愉しそうな表情でゾヴは見てくる。
その笑みが、突如として失われた。
「届いた」
後ろから、ギマライがゾヴにぶつかっていた。勢いが強かったのか、抱きついているような体勢になる。
「細いな、おまえ。ちゃんとご飯食べてるのか?」
「どうやって」
ギマライは脚に損傷を受けていた。移動できない、そうミリアも思っていた。
「内緒」
口角をあげ、ギマライはゾヴの首を手で触れる。反射的に、ゾヴは水を頭上に集めた。
ゾヴの片脚を、斬り飛ばしていた。ギマライではない。ギマライの陰から出てきた小柄な魔物が、ゾヴの脚に剣撃を放ったのだ。ゾヴはよろめき、ギマライと一緒にその場へ倒れこむ。
「首を飛ばされるとでも思ったのか? おまえも駆け引きが下手だな」
「殺す」
巨人の腕が、水で形成される。その手はギマライの躰を掴みあげると、鈍い音を立てはじめる。
「魔物に、ここまで運ばせたのですね。紛れこむようにして」
周囲に水を呼び、ゾヴは自らの躰を持ち上げさせた。その顔には、兆し程度ではあるが怒りが浮かんで見える。斬られた部分からは、血といったものはなにも出ていなかった。
「接近戦を仕掛けてくるのは、ミリアだけだと思っていただろう? そう思ってくれて、ありがとう」
喉を絞められたように、ギマライは声を出す。水の腕は、さらに大きくなっていた。
「あなたたちも魔物にしようと思っていましたが、ギマライ、あなただけは別です。最後の一滴まで、私の水の中で、血を流しなさい」
立て。ギマライを永遠に、失うことになる。前のような幸運はもう起きない。アッシュも色丸もいない。今この場には、自分しかいないのだ。
ギマライの呻きが、あたりに響く。
膝に力を籠める。斧。柄を両手で握り、杖にして立ちあがる。そこからの一歩が、踏み出せない。躰の軋みに、顔が歪む。
なにかないか。思考を回せ。打破できる方法。利用できる環境。見当たらない、と諦めそうになる自分を引き留める。ないと思えば、どこにもないのだ。
「ギマライ」
意味なく叫ぶ。まるで呼べば、彼が助かると信じているかのように。そんな都合のいいことはない。それでも、喉が壊れそうなほどギマライの名を叫んだ。
「泣いているのか、ミリア」
掠れるような笑い声が、ギマライからこぼれる。
知らない。涙など、流していない。
「しょうがない女だ、ほんとに」
散らばっていた魔物たちが、ミリアの周辺に寄ってくる。彼らはミリアを中心に円陣を作ったかと思えば、各々が武器や防具を構えなおした。
ギマライが、守ってくれているのだ。
こんなことは、今にはじまったことではない。この旅路、ずっと彼は自分を守ってくれた。気づきながら、どこかで否定していた。わかっていた。それがくだらない意地だと、わかっていたのだ。
「まあ、おまえに看取ってもらう最期なら、悪くない」
一度、どくんと鼓動を感じた。自らの脳からか、もしくは、斧からか。
認識が、あとだった。周囲が突如として静まり返ったと思えば、すべての動作が緩慢に見える。跳んだ。ゾヴが近づくが、ゾヴはまだそのことに気づいていないようだった。
腕にギマライを抱いていた。着地し、振り返る。
水の腕が霧散していた。斧が二つに折れ、転がっている。
「ミリア、おまえ」
「喋らないで、ギマライ」
ゆっくりと、ミリアはギマライを置いた。満身創痍には違いないが、呼吸は幾分しっかりとしていた。なにかが切れたように、ギマライは眼を閉じる。
「まさか、狂戦士の素質が目醒めたのですか」
五感が研ぎ澄まされている。見るもの、聞く音、嗅ぐ臭い。すべてが自分を圧倒していた。そして、漲る力。自らの躰でありながら、まるで借り物とさえ思える。
「知らないわよ、そんなの」
念じる。斧は戻ってきたが、折れたままで短かった。刃が無事でよかったと、心底思う。柄の長さが足らなくても、斬ることはできる。
先ほどの鼓動は余韻となり、体内は静謐さで満たされている。髪の先端まで、怒りが神経となり太く巡っているようだ。
魔物たちの統率が、不意に消えた。今度は敵意をもって、ミリアに迫ってくる。ギマライを見やると、意識が混濁しているようだった。それで操作が切れたのだろう。
「心配しないで、ギマライ」
斧を投げ、魔物の頭を飛ばす。その持っていた剣を左手に取り、次に斬りかかった。斬る間に、右手に斧を戻す。突き出された槍を、蹴りあげた。魔物の上半身を薙ぎ、折れかけた剣を捨てる。飛び、落ちてきた槍を掴んで、ゾヴに投げた。
「小娘が」
ゾヴは水の楯を形成し、前面に出す。
槍は楯を貫き、ゾヴの肩へと刺さった。
痛みは、ミリアの躰全体に鋭く感じていた。また、一挙手一投足につき増してきている。次から次へと、動かす箇所に針が刺さってくるようだった。損傷を受けているわけではない。この躰捌きに、神経や筋力が追いついていないのだろう。
なにかを燃やしている。燃料はなんでもいい。燃えるなら、身も心も、すべてをくべる。もっと、激しい火炎を巻き起こす。
反動の軋みが、ミリアはなぜか嬉しかった。
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こちらのイラストは、きんにく様に描いていただきました。
改めまして、この度はご協力いただきありがとうございました。
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