この混じり気のない心をそのまま取り出してみせたいぐらいだ

例のパワハラ音声をきいて怒鳴られまくっていた頃を微かに思い出したので、いろいろ感情とかまとめとこうと思う

怒鳴ることはやっぱり暴力的行為で絶対に悪だ
どんなに正しくも行った途端に全部間違いになるぐらい
私が間違えた時に(正しく)怒鳴られて、あの時は怒鳴られてよかったと思えるものもあるんだけど、やっぱそれは当事者の感覚で正しく怒鳴るなんてものは実際存在しないのかもしれない

でも怒鳴ることのほとんどはストレスの吐口だったり、怒鳴る側の快楽で、怒鳴ることでしか相手を正せないなんてやるせない

怒鳴る側の擁護も散見されるけど、それは怒鳴られたことがあるのだろうか
人格ごと否定された事があるのだろうか
あの感覚は怒鳴られなきゃわからないものなのか
もしくは怒鳴ってる側なのか

普段もっとえぐいものを浴びせられてるからこれぐらいなんて平気なんてのも見かけたけどそんなの気のせいで、ちゃんと自分に寄り添ってほしい
私もあんなの比じゃないぐらいの罵倒されてたけど、それでもやっぱりあの音声きいて一気に心が沈んで息がしにくくなった
それでもあの音声を何度も何度も繰り返して聞いてしまうのはなんでなのか

あの最悪な期間を忘れないでおこうと思っているのに忘れる
今回で思い出したのもほんの少しだけだ
こうやって人は忘れて許すのかもしれないけど、正しくない

つい最近久々に怒鳴られたけど、笑いそうになってしまった
あんなのまともな人間がすることじゃないし、自分がまともかどうかも見えなくなってるなんて可哀想だなー、って
私は私を傷つけるひとのことなんか助けないよ

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