見出し画像

苦境の美術館がクラファンで活路を求めています。「陣屋の御朱印」も販売へ

横浜市歴史博物館がクラウドファンディングの目標額70万円を見事達成しています。目標は達成されましたが、支援は引き続き受け付けているとのことなので有志の方はクラウドファンディングサイトを是非訪れて見て下さい。

横浜唯一の大名 米倉家の金沢藩

さて、横浜市歴史博物館が今回クラウドファンディングの対象としたのは「横浜唯一の大名 米倉家」に関する展示です。

米倉家が収めていたのは地域は下記の地図のとおりですが、そのうちの一つが現在の横浜市金沢区辺りの「金沢藩」です。

画像1

金沢というと石川県を思い浮かべる方も多いと思います。石川県の金沢藩は元々は加賀藩と言う名前でした。「加賀百万石」とか聞いたことありますよね。

というわけで、金沢藩という名前の藩は二つ存在しました。 

① 加賀藩(石川県)⇒ 版籍奉還後 金沢藩へ名前を変えた

② 今の横浜市金沢区 ⇒ 版籍奉還後 六浦藩へと名前を変えた。

今回、横浜市歴史博物館が今回クラウドファンディングの対象としたのはもちろん、横浜の金沢藩藩主「米倉家」の歴史に関する展示となります。

珍しい「陣屋」の御城印

今回の展示会では米倉家は藩主を務めていた金沢藩の陣屋の「御城印」も販売されますよ。

「陣屋」というのは簡易版のお城のというところです。

米倉家はお城を構えるほどではありませんでしたが、お城に代わる「陣屋」を構えて金沢藩を治めていました。

徳川家直属の家臣:

石高 1万石未満の領主は「旗本」
石高が1万石以上の領主は「大名」

六浦藩は「大名」でお城を持つまでは許されていなかったが、関ヶ原の戦い(1600年)以前から徳川家に従っていた「譜代大名」でした。

米倉家とは

米倉家は元々甲斐の武田家に仕えていましたが、武田氏が織田信長に滅ぼされた後、徳川家に仕えました。

徳川家から相模国大住郡堀山下村(現在の秦野市)200石を与えられて旗本となります。

その後、陣屋を現在の横浜市金沢区に移し、藩名を「金沢藩」としました。

戊辰戦争では、新政府軍が江戸を目指して攻撃を開始すると、誓文を提出し朝廷への忠誠を誓い、新政府軍の一員として戦いました。

際立った戦功は無かったとのことですが、人馬、兵糧の賄いや沿道の警備などで貢献し、藩主には褒詞が授与されています。

以後、廃藩置県により藩名を金沢藩から「六浦藩」(むつうらはん)に改めました。

これは、同じく廃藩置県により加賀藩から金沢藩へと改名した金沢藩との重複を避けるという意味がありました。

藩主のその後

明治になって、米倉家は子爵となりました。子孫の方は、現在、一般市民として陣屋跡地の一画にお住まいです。

かつての金沢藩陣屋は現存しておらず、京浜急行「金沢八景駅」にほど近い場所に跡地が残るのみとなっています。

横浜市歴史博物館の米倉家の展示会で販売される「御城印」が、かつてのよすがのありさまを感じさせてくれるのではないでしょうか。

御城印、御朱印の収納はこちらのサイトをご覧ください(^▽^)/

その他のお問い合わせはわこもんまで(^▽^)/













 







最後まで読んで頂き有難うございます。 今回の記事、少しでも良かったな、ためになったなと思われたら「スキ」をお願いします。記事投稿の励みになります(^▽^)/ ツイッターもやってます。フォロー頂けるとすごく嬉しいです。