中日ドラゴンズと私。(ただの昔話)

今でも小さなころ、父方の祖父とナゴヤ球場で食べた
冷えてカチカチのお弁当を思い出す。
確か中日と広島戦で5点くらい負けてた
7回も終わってもう負けたなってことで
祖父とラジオを聞きながら球場を後にした
すごく寒かったから小さな子供を気遣ったのもあると思う

そして球場から駐車場までの間で乱闘
もう少し見てたらよかったねと言いながら帰宅
途中でわかってたと思うんだけど記憶がなくて
帰ったら夜のスポーツニュースで
乱闘→逆転って試合だったことを知った

まだそこまで野球に興味なかったと思うけど
そのころ書いた将来の夢は野球選手と書いてあった
あの頃は夜どこに行ってもいつもナイター中継がやっていた

そこから野球はゲームの中だけでやっていたが
小学校4年生の時に子供会のソフトに入った
父方の祖父は病気で他界していた
そのころ母方の祖父が良くキャッチボールをしてくれた
共働き家庭だったので
学校から帰宅→祖父の居酒屋→ごはんまでに帰る
という感じで遊んでた
母方の祖父は巨人ファンだった

ソフトで野球が好きになったけど
卒業後ずっと野球はやっていなかったが
野球漫画と野球ゲームはやっていた
高校では草野球の試合をしたりした

大学では野球サークルに入ったけど
好きな先輩が卒業したら行かなくなった
でも、ナゴヤドームにたまに観戦に行くようになった
お酒が飲める年齢になって
大人の楽しみ方が分かったからだと思う

そして今、高校の頃の友達とドラゴンズの話をしたり
ドームに行ったりして楽しんでる。
もちろん息子とゲームしたりマンガも読んでる

そのくらいの野球歴だけどドラゴンズが好き
地元だからと言うのが大きいと思うけど
自然とドラゴンズらしさみたいなものが
自分の中に作られていったような気がする

自分が記憶にあるドラゴンズには立浪がいた。
落合がいた。
小さい頃のメンバーは覚えてないけど
ソフトやってるときぐらいの記憶にはいた。
そのくらいから知っている立浪が監督をやっと引き受けて
契約が3年。ずっとBクラスだったから
3年で作り替えるのだと思った。
たつなみ、たつどし、日本一だと思った

でも

1年目から期待していた自分。
すぐに落合みたいに結果を残してくれると。
でも結果は・・・ちょっと嫌いになった時もあった
これは今思うと過度な期待だった。

勝手に期待して勝手に裏切られて勝手に怒って

2年目は過度な期待があまりなくなって
他に忙しいこともあって
フラットに見れるようになった
観客動員増えてるし若手も育ってるし
実は根本から変えている途中だったのでは?
と思うようになった。
いろいろ噂はあるけど信じる信じないは自分次第で。

そう思うとまた勝手に期待している自分がいる。

楽しみな選手が多すぎて
みんなに活躍してほしい

ちなみに最近の中日の弱さの原因はお金もあると思う
年棒だけじゃなくていろいろお金はかかるし
地方の球団としてそのあたりの協力体制も
しっかりと構築出来たらもっと拮抗した
面白い試合が増えるかもしれないと思いました

ただの昔話でした。

ちなみに今中が一番好きでした。

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