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薩摩川内市に行くと、死のうとした時のことを思い出すことがあります。

 昨日、川内川を車でまたぐときに、私はこの川で死のうとしたことがあることを、唐突に思い出しました。

 9年ほど前、私は仕事の関係で川内に移住したものの、私自身のだらしなさや性格上の問題も相まって、仕事をクビになり、友達もおらず、金もなく、ごみ溜めのような部屋で起きているのか寝ているのかわからない生活をし、毎日、100円のアンパンひとつで過ごしていました。希望がかけらもありませんでした。

 ある寒い晩に、こんな生活なら死んでも同じではないか、と思い、川内川の橋の上まで歩いていき、5時間ほど、飛び降りようかどうしようか、ずーっと考え続けていたことを、唐突に思い出したのです。

 結局私は、そのとき飛び込まなかったので、今ここにいるのですが、なんで飛ばなかったのかというと「寒いから満足には泳げないかもしれないけど、橋の真ん中から飛び降りたとしても、私はきっと岸まで泳げてしまうだろう、それならただ寒い思いをするだけだからやめておこう」と、そういう結論に達したからでした。

 実際のところ、かなり寒かったので、飛び込んでいたらどうなっていたかはわかりません。今、私は、あのころからは比べ物にならないような、恵まれた生活を送っていますが、それは、例えば、私の何かが良かったとか、そういうことではないと思っています。よく言われることではありますが、私は今、様々なことが、たまたまうまくかみ合って、たまたま生きている(生かせていただいている)にすぎないのだと思っています。

 なんであのころは、あんなことであんなに苦しかったんだろう、と思うこともありますが、それは今となって言えることであって、その時にはそんなことを考えることも、今のような考えができるようになることも、夢にも思うことができませんでした。

 私は今、仕事上で「死にたい」「死んだ方がましだ」というお話を聞かせていただくことがあります。時間が解決する、と簡単に思っているわけでもないし、その方が私のように幸せな経緯をたどれるかどうかもわかりません。

 でも、私は今、こうして私の書くものを読んでくださる方がいたり、それがとてもうれしかったり、おいしいものを食べることができたり、将棋を見たり、人と会って話をしたりすることができる今が、とても幸せだと思っていますし、できうることなら、あなたにもそういう時が訪れることを願ってやみません。

 もちろん、現在では、たくさんの方が私に力をくださっています。私は私に関するあらゆるもののおかげで、今生きています。

お読みくださりありがとうございます。 いただいたサポートは、NPO法人ルネスかごしまが行う「生活困窮家庭・ひとり親家庭支援」に全額使わせていただきます。