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僕たちがバケハを被る日

バケハを被る男性をどう思うだろうか。
オシャレな雰囲気が出たり、なんかアンニュイな感じがしたり、ちょっと気取ったアイテムだと僕は思う。
僕が今これを書いているのは最早バケハを被りかねないぐらいの時期で、だから今バケハのイメージは?と聞かれてもこんなありきたりな文章しか書けていない。もっと前ならバケハに恨みつらみも溜まっていたけれど、もうそんな熱量はどこかに去ってしまった。

人生はバケハを被る前(Before Bucket Hat)、被った後(After Bucket Hat)の大きく二つに分かれるとされている。(B.B. A.B.と一般的に呼ばれている)
バケハを被る前と言うのはいわば少年期から青年期を指し、バケハを被った後は大人の階段を登りシンデレラになる直前ぐらいから死ぬまでを指す。
僕はバケハを被った人間は一つの諦めに達し、大人しく決まりつつある人生のレールを進め始めているように思う。(ここら辺で気づいている人もいるかも知れないが、要は自分の未来が、人生がそろそろ見えてきてしまう事が怖いのだ)

今は大学に入って、何のストレスも無く、毎日楽しく過ごせてて、こんな人間は何も面白くない。
頭が良い訳でもなく悪い訳でもなく、貧乏な訳でも裕福な訳でもない。至って普通の人生を歩んでいくのは誰よりも自分が分かっていて、こんな恵まれてる環境で個性だなんだと言ってもその声は誰にも届かない。
実際、この1.2年で自分は圧倒的につまらなくなっている。浪人の時や大学一年生の1人でカップ麺を食べてたあの頃は輝いていた。世の中に怒り、他人に怒り、そして何よりも自分に怒っていた。戻りたいと思わないのは心のどこかで僕もバケハを既に被っているからだ。
歳を重ねるに連れて最初はキャップのように尖っていた自分が少しずつツバが取れていって、丸くなった結果、人はバケハを被り出す。そして老いていくとニット帽しか被らなくなる。街でよく見るおばあちゃんが絶対に暖色のニット帽を被っているのはそういう理屈である。

最近の自分はつまらなくなったけど、楽しく過ごせてる。そんな自分に違和感は覚えつつも、嫌ではない。こんな風に人は丸くなったり成長したりするのかもなとも思う。社会への反抗期はもう卒業なのかもしれない。

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