【しょうへいコーチ】自己紹介④大学編

大学受験終了後、進路が決まった。
愛知県豊田市にある中京大学豊田キャンパス。
スポーツ科学部スポーツ健康科学科である。
山を切り開いたようなところにあるキャンパスだが、敷地内にスケートリンクがあり、あの浅田真央さんや村上佳奈子さん、宇野昌磨さんら有名スケーターたちが通っていた場所である。
スポーツをするには最高な環境であった。
受験勉強が終わり、高校卒業までの1ヶ月間、仲の良い友だちとめちゃくちゃスポーツをした。午前の授業が終われば、午後から少し離れた高岡市民体育館というところで卓球2時間バドミントン2時間が日課だった。それはもう遊びの域を超えてトレーニングであったが、本気でやるからこそ本当におもしろかった。ただただ夢中で楽しくて仕方がなかった。今までは、スポーツといえば基本的にサッカーに時間を注ぎ込んでいたので、他のスポーツの面白さ楽しさを味わう、とても良い時間だった。スポーツは真剣にやっていれば本来全て楽しいものだと思う。楽しんでいる人が一番強いだろうし、運も引き寄せられるだろうと思っている。

大学1年生春、体育会サッカー部に。
トレーナー志望で入部したが、なんやかんやあってプレーヤーのみをやることにした。
部員数は160人と多く、施設は抜群で、かつ授業で学んだものをすぐ実践できるのが大学に入っていいなと思うことだった。また、大学は全国からいろんな地域の人が集まってくるので、それぞれのカルチャーが入り混じり刺激的だった。
また、スクール当番なるものがあり、一年生が担当となっていた。スクール当番とは、指導者が不足している地域のサッカー団体から体育会男子サッカー部の中京大学生へコーチ派遣を依頼しているものだった。主に小学生の指導がほとんどだったが、内容はこうだ。派遣場所はかなり広範囲。大学から電車を使っても1.5時間以上かかるところから原付で10分程度のところまで様々。体験で初めて参加する小1を含む地域の小規模のスポーツ少年団から、地域で頭角をなしているクラブチームまでレベルの振れ幅もすごい。これはサッカー経験の長い大学生だからといえ、指導のクオリティに差がすごいぞと思った。こんなんでいいのかと。こどものスポーツにチャレンジする貴重な時間をこういう扱いになっていていいものかと世の中の少年サッカー指導の状況に不安を抱いた。コーチとはスポーツのそれを教えるだけの人であってはいけない。必ず教育要素が不可欠だと。他の部員のスクール担当をした話を聞いても、これは大丈夫なのかと思うことが少なくなかった。自分は指導に自信があり、かつ良い指導ができていた方だという自負はある。しかし、もっと現場に足を運び現状を知ることをしようとできるだけ皆が避けたがっていたスクール当番を変わって自分が行くようにしていた。様々な現地の指導者とも出会い指導観を共有することもでき、自身の指導のスキルアップもできたのは大きな収穫だった。次第に教育や指導力に強い関心を持つようになっていた。

大学2年生冬、サッカー部を退部。
大学へ入学してから約20ヶ月程、当たり前に授業を受けてサッカー部に所属していることに疑問を感じ、サッカーが必須でない生活へのシフトを決断。その後サッカースクールで繋がりができ、こどもへのサッカー指導は週3で継続。加えて指導者繋がりで社会人チームに誘っていただき、週2でサッカーを続けていた。加えて、できた時間を使って家庭教師を複数掛け持ちし、週1回以上の指導の生徒を同時に10人程抱えていた。少しずつ社会に出て行っていた。

丁度、他の部活やサークルを辞めた友だちとタイミングが重なり、新たにサークルを立ち上げる話になった。それは総合スポーツサークルである。その名の通りいろんなスポーツをやりたい人が集まってやっちゃおうぜ!というやつだ。主に月替りで、取り組むスポーツを変えていくというスタイル。集まったのは野球経験者が多く、テニス、サッカー、卓球、陸上、バスケなど様々。みんないろんなスポーツをそれなりに全力でやりたいという人たち。それぞれが自分の専門種目をみんなに教えて楽しく高め合っていくという構図だ。それぞれが伝える力、感じとる力といったコミュニケーション能力が養われるとともに各スポーツの知識、基礎技術、そして体力が身についた。とても堅いものではなく、みんながどことなくふざけ、楽しみ、真剣であった。分かり易くいうと「スポーツ校の本気の体育の授業」といった具合だ。
実際にやったスポーツは、サッカー、フットサル、野球、テニス、バスケ、卓球、バドミントン、ドッジボール、フリスビー、水泳、グラウンドゴルフ、釣り、ランニング、サイクリング、筋トレなど様々。
サークル時間外でも時間があるときに、
「13:00からテニスしたい人テニスコート集合で!」
とラインすると、だいたい3人以上は勝手に集まってくる。サクッとやりたいスポーツを、下手でもガチでできる、最高の環境だった。

振り返ってみると、サッカースクールで指導者をしながら地域の社会人チームに所属し、週1〜2でサッカーをし、そこで社会人とつながりができ、また家庭教師をたくさん受け持ち、人気家庭教師として知り合いが知り合いを呼び、たくさんの生徒に出会い学習指導力を鍛えることができ、とても大きく変化できた。サークル活動ではやりたいことにもチャレンジでき、後輩たちも入り、順調だった。
部活を辞める決断をしたのは、思い切った良い決断だったと今でも思う。

そんな大学生活が続き、大学四年生。
進路を考える。
自分は何を仕事としたいのか、どう生きたいのか、よく考えた。周りの友だちは、公務員、一般企業へと就職希望の中、自分は地元富山でスポーツ教育をしたいと思っていた。ゼミの先生からは、まずはどこか企業に勤めて経験を積んでからでもいいのではないかとご意見いただいたが、違うなと思いつつ、結局焦りながら地元の地域密着型スポーツジムに就職が決まった。
大学卒業前の2月、入社日の1ヶ月前から早め速研修を行う形で勤務開始。研修開始8日目で退職。なんか全然違う。自分のイメージと大きく違ったのが衝撃だった。これは自分の準備不足でしかなかった。このまま進んでいいのかという強い不安に駆られ、耐えられずリタイヤ。一次、鬱になりかけ、リタイヤ後の3日間の休息で本当にやりたかったことへの思いが凝縮され、弾け飛んだ。
「よし、スポーツ塾をやろう。」
スポーツは楽しく、人を成長させてくれる。スポーツはさらに多様である。いろいろチャレンジするきっかけにもなる。心も身体もスッキリするし、仲間もできる。
「スポーツを通して、人生でたくさんのチャレンジができる人を育てたい。」
そう強く思った。
そして3月、戸出スポーツ塾がはじまった。

つづく。

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